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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
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194 証人と再生

「大丈夫ですか! ケガはありませか?」

「おおお前は」


 坑道でうずくまる丸い影。小太りの商人は青い顔をしているが、出血は見当たらなかった。助けにきたとジルが伝えれば商人は坑木にしがみ付いた。しかし、力が抜けたようにずるりと再びうずくまる。


「……払える金はない。さっさと行け」

「柱が邪魔なんですね」


 斜めに倒れた坑木で牢の柵ができていた。ジルならすき間を通り抜けられるけれど、体のまるい商人には難しそうだ。岩盤の揺れに合わせて木くずや石片が落ちてくる。


「そこから離れてください。早く!」


 大きくなった揺れに語気が強まる。ばたばたと距離を空けた商人を確認し長剣を抜く。ジルの腕力で柱を切断なんてできない。だから。


「割れた!?」

「ここから出ましょう」


 傷みの激しい部分を見極めて坑木に剣先を突きこんだ。坑道を分断していた柱の重心が崩れ、いくつかの朽ちた木材が岩盤に転がる。ジルの掛け声に商人は動きだしたけれど足元はおぼつかない。動揺がおさまらないのだろう。その背へジルは手を添えて廃鉱の出口へと誘導していく。


「な、なにが目的だ。私にはもう、金や宝石なんて」

「…………証人になって貰います」


 ジルは見返りなんて求めていなかった。けれど考えを変えた。一方的に渡されるより、交換のほうが落ち着く人間もいるのだ。この商人や、自分のように。教祖の部屋から持ち出した綴りと商人の証言があれば摘発はすみやかに進むだろう。


 雨のにおいが近づき、足音に水気が交ざる。もう少しで地上だと商人を励ましたとき、灰色の出口に黒い影が差した。


「帰るぞ」

「バクリー騎士様?」


 なぜここに居るのだろうか。そう疑問に思えど、黒い騎士服を着たそっくりな人という考えは浮かばなかった。殺気と紛うほどの鋭い気配を、ジルは何度も受けている。先ほど会った使用人のようにファジュル、あるいはセレナから命じられたのだろう。職務外、それも嫌いな人間の迎えなど不満に感じて当然だ。


 それでも、ラシードを認めた瞬間、ジルの肩から力が抜けた。


 窮屈そうに背をかがめ、足早にジルを引っ張っていくラシードの手はあたたかい。雨のなか馬を走らせてくれたのだろう。気温の高いガットア領にいても汗ひとつかかない褐色の肌に、水滴がついている。


「近くの小屋に、人攫いがいます」

「誰もいなかった」

「えっ」


 そういえば大男はジルが脅すとすぐに降参した。それが生き残る方法だと。捕縛されると分かっているのに、無法者が大人しく待っている道理はどこにもなかった。関係者が減ったなら、商人の言葉はますます重要になってくる。


 不規則に揺れる廃鉱から出れば、灰色幕を下ろした雨は上がっていた。濡れて濃くなった赤茶色の道、雲の切れ間からは空色が覗いている。


 地上に出てもラシードの歩調は緩まない。一刻も早く済ませたいのだろう。後ろを振り返れば商人との距離がひらいていた。ここで逃亡されるわけにはいかない。


「バクリー騎士様、手を――っ」


 放して欲しいと言う前に自分から振り解いた。足先に体重を乗せて地面を蹴る。疲弊した様子で地上に出てきた商人の後ろ。


 ぽっかりとあいた廃鉱の入り口に、闇が詰まっていた。


 岩壁が膨張し亀裂が奔る。動いた直後は進路が固定される。だからそこを狙えば動きを止めることができる。ただし、その方法が使えない対象もいる。迫りくる脅威を止められないのなら、その進路上から外れるほかない。


「エディ!!!!」


 ジルは思い切り商人に体当たりした。体勢を崩しながらも進路から外れていく商人。崩れ飛ぶ岩石。大きな口をあけた魔物。ジルの視界は闇一色になった。


 直後、右腕は大きな痛みに襲われた。


 みしりときしむ骨。ふくらむ鉄のにおい。音にならない声が喉を震わせる。ジルは痛みから逃れるためすぐに自己回復を施した。負傷を癒す魔力の流れを感じる。聖魔法は発動している。でも。


 ――治らないっ。


 なにかに阻まれて再生しない。裂かれた肉は塞がらず、開いたままの傷口からは液体が流れ続けている。外ではラシードが戦っているのだろうか。魔物が動くたびにジルの腕は悲鳴を上げた。


 ――口を、開けさせないと。


 おそらく右腕は魔物の牙に挟まれているのだろう。真っ暗闇のなかでジルはうつ伏せになっていた。自由に動かせるのは左腕と両足。手狭で長剣は抜けない。ジルは腰の短剣を掴み咥内を斬りつける。


 肺が押し潰された。


 魔物は口を開くどころか食いしばってしまった。魔力を抑えていない体は自動回復を繰り返している。痛みと汗はひかないけれど気休めにはなる。中途半端な攻撃では逆効果だ。口をこじ開けるくらい大きな力を与える方法は。


「っ!」


 不意に急激な落下感に襲われた。片足から崩れるような落ち方だ。魔物は劣勢なのだろうか。わずかに緩んだ牙のすき間から赤茶けた地面がみえる。


 ――あった。


 取り落とすわけにはいかない。深呼吸と共に、握っては開いてを繰り返し強張った左手をほぐす。震えがおさまったのを確認して服で汗をぬぐい、左耳のイヤリングに手を伸ばした。


 ――効果範囲、広くありませんように……!


 橙と茶。ジルは二つの色が揺らめく魔法石を噛み砕いた。

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