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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
193/318

192 鳥と報告書

視点:ファジュル

 扉をたたく音にファジュルは顔を上げた。細かな折り目のついた報告書を執務机に伏せる。入室許可を出せば、火の聖堂へ出かけていたセレナが現れた。廊下の端にはラシードが控えている。


「探しものはみつかったのかい」

「いいえ。昼食を用意してあるからって、一度戻ってきました」

「ああ、そんな時間か」


 めぼしい情報がみつからず面白くないのだろう。そこへ邸と聖堂との往復で時間を消費されればふくれっ面にもなる。ファジュルも仕事を中断されるのは嫌いだ。食事くらいは早めに済ませてやろうと椅子から立ち上がれば、セレナの後ろに使用人が見えた。


「失礼致します。会頭宛てに火急の報せが届きました」


 差し出された手のひらには小指大の筒がのっていた。ファジュルが各地に放っている鳥、間諜からの報告書だ。今しがた読んでいたのは水の領地からだったが、今度はどこからか。ファジュルは折り目のついた紙に素早く目を走らせる。


「鳥を飛ばす。これを三枚書き写して持ってきな」

「かしこまりました」


 報告書は休暇中の娘につけた観察役からだった。市場の古着屋に入ったあと姿を見失ってしまった。店主に聞き取りをおこなったところ、以下を答えた。鉱山へ行くと言っていた。人に追われているというので裏口を使わせた。着ていた服と寵章のカメオは店で大切に保管している。今の服装を別紙にまとめた。引き続き捜索を続ける。


 娘はファジュルが付けた観察役を人攫いと勘違いしたのだろう。ただの買い物ではないと思っていたが尾行をまくとは思わなかった。娘の実力を見誤ったようだ。何事もなく邸に戻ってくれば問題はないのだが。


 ――ああ、面倒だ。


 軽傷ならまだいい。すぐに治る。しかし程度によっては大口顧客を失うどころか、商会を潰されかねない。


「食堂へ移動しようか」

「えっと、大丈夫ですか?」

「今できるのは食事だ」


 空気の変化を感じとったのだろう。ひかえめに訊ねてきたセレナへ、ファジュルは気にするなと手を振った。ひとくちに鉱山といってもガットア領には複数ある。場所を特定する前に動いても時間を無駄にするだけだ。ジャバラウ地区に放した間諜からの報告を待つほかない。


 ◇


 テーブルを囲った三人の昼食が半分ほどの量になったとき、使用人が報告書を持ってきた。


「フドド?」


 嫌悪が指に伝わり紙の端が破れた。鉱山へ行っただけなら、わずかだが物見遊山の可能性もあった。しかし行き先がフドド廃鉱となれば悠長に構えてなどいられない。娘の目的がなんであれすぐに連れ戻さなくては。


「会頭、もう一通届きました」


 迎えに行ってこいと使用人へ命じようとしたそのとき、新たな筒が差し出された。読めば報告書に娘の情報はない。しかし、最悪だ。


「エディが行方不明になった」

「なんでっ!? どういうことですか!!」

「待ちなラシード」


 セレナの驚く声よりも早く食堂には大きな音が響いていた。椅子を倒したラシードは大剣を背に今にも扉をくぐらんとしている。


「場所はフドド廃鉱だろう」


 先ほどファジュルが呟いた名をしっかりと聞いていたらしい。護衛対象である聖女を放りだす騎士へ普段なら、職務はどうしたと揶揄っているところだが。苛立ちあらわな鋭い視線へ、ファジュルはさらなる悪報を重ねる。


「そこから北の岩石砂漠で神殿騎士団が交戦中だ」

「――っ」


 言い終わるが早いかラシードは食堂を飛び出して行った。ファジュルの雇った用心棒よりも強いのは確かだ。聖女の護衛騎士に任命されたことを思えば、魔物討伐に参加している神殿騎士の誰よりも強いかもしれない。


 そこへ、娘に対して少なからぬ情を抱いているとなれば、差し向ける迎えとしてこれほど最適な人間はいない。ラシードはなにがあっても娘を護ろうとするだろう。


「交戦中って……」

「よりにもよって今日、上級ランクを狩る準備が整ったんだろうよ」


 神殿騎士団の逗留は把握していた。ソルトゥリス教会からも近づくなと通達されており、上級ランクを討伐するまでは魔物調査も予定されていない。


 日程に余裕があるからこそ、娘は今日休暇を取ったのだろう。しばらく調査はないの一言で済ませず、状況について委細伝えておくべきだったと後悔が募る。


「私も行きます!」

「許可できない」


 ファジュルは腕を組み、馬を出せと迫るセレナを跳ねつけた。火の大神官として優先するのはセレナの安全であること。教会から依頼された魔物調査ではないこと。戦えないセレナは足手まといにしかならないこと。ファジュルは順に理由を挙げていく。


「治療ができます!」

「アンタが負傷したときはどうするんだい。魔物を消したいんだろう?」

「っ、……でもエディ君が!!」


 魔王を倒せずとも、新しい聖女が立てば魔物は確実に減る。果たせるかも分からない夢と、約束されている未来。悩まずとも答えは決まっている。


「エディがいなくなっても何も変わらない。けどね、セレナがいなくなったら被害は長引くんだ」


 ファジュルは生界の安定を選んだ。仇を見るような目で睨まれても譲れない。危険の要因が上級ランクの魔物だけなら、ここまで固持はしなかった。神殿騎士団は岩石砂漠で戦っているのだから。問題は、娘のいる場所だ。


 ――潰されたら治療もなにもない。


 フドドは五年前、大勢の労働者をつれて崩落した。ファジュルの両親をも飲み込んだ忌々しい鉱山は閉鎖され、立入禁止区域となっているはずだが。

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