191 剣と鍵
「どけ邪魔だッ」
ジルの腕を掴んでいた商人は大男によって払いのけられた。魔物の襲来で焦っているのだろう。手加減なく吹き飛ばされた商人は踏前に横たわり呻き声を漏らしている。
「魔物をぜんぶ始末したら俺からも教祖サマに頼んでやる!」
大男は牢の扉をあけるなりジルに剣を押し付けてきた。小屋で取り上げられた短剣だ。手早くベルトに装着しつつ周囲の気配を探る。これは。
「もしかして、連れて来たんですか?」
「あっちが追っかけて来たんだよ!」
廃鉱まえのあばら屋で休憩していたところ、大型ネズミの魔物が壁にぶつかってきたそうだ。痩せぎすの男は見張りに出ており不在。見れば外にいる魔物は一体だけではない。一人では倒せないと判断してここへ来たのだと、大男はジルの背をぐいぐい押しながら答えた。
これでは鍵を奪うどころではない。
「奥で、待っていてください」
ジルは突き刺した短剣を魔物から引き抜いた。曲がり角から突進してきた大型ネズミは黒い靄を噴き出し急速に干乾びる。
――何体いるんだろう。
ジルに接近してきた魔物の足元では、倒された魔物が砂となっていく。倒せばすぐに次の魔物がくる。正確には数えていないけれど、十体以上は討伐しているはずだ。多くても二体ずつしか相手にできない道幅のため囲まれる心配はないけれど、いつまで続くのか分からないこの状況は精神的によろしくない。
――攻撃魔法が使えれば一度に倒せるのに。
ジルが布陣しているのは牢へと続く通路の途中だ。眼前には五体の魔物が詰まっており、左右にのびた坑道からも気配を感じる。
――魔法石を……ダメだ。
魔法石のイヤリングをくれたクレイグは、使用者の全周に岩の杭が生えると言っていた。魔物は今ジルの前方にしかいない。効果範囲は不明であるため、最悪二体しか倒せない可能性がある。それでは魔法の無駄打ちだ。
「っ」
鞭のような尻尾が視界をかすめた。牢の方には退けないため顔への直撃を腕で防ぐ。ジルは裂けた皮膚に目をやることもなく、着地したばかりの魔物を短剣で斬り伏せた。足元で何度目か分からない靄が立ち昇る。そうして倒された魔物が砂へと姿を変える前に、新たな魔物が。
「……引いた? どうして」
ジルの前方には岩の通路が見えていた。坑道を埋めていた大型ネズミの魔物は、波が引くように廃鉱の外へと向かっている。それだけではない。ただのコウモリまで明るい出口を目指し天盤に黒い帯を作っていた。
「オマエが強ぇから逃げたんだろうよ。よくやった小僧!」
魔物が退いたと見るや否や大男はジルの背を叩いた。振り向きざま喜びも露わな顔のした、大男の首元にジルはぴたりと刃を添える。
「剣と、牢の鍵をください。僕が強いのは、分かりましたよね?」
「ほらよ」
「えっ」
「強ぇヤツには逆らうな。オレ等みたいなモンが生き残る方法だ」
大男からは怒りも悔しさも感じない。そうするのが当たり前だといった様子で腰に引っかけていた鍵束と長剣を渡してきた。逆らわないという言葉の通り、牢の鍵を開けているときも大男は邪魔をしなかった。
男の子は鉄格子から出てくるなりジルに抱きついてきた。よほど怖かったのだろう。小さな手は白く、必死にジルを掴んでいる。
「けが、ごめん」
「貴方があやまる事じゃないよ。それに、ぜんぜん痛くないから大丈夫」
家族と引き離された苦しみに比べれば、ジルの傷なんて小さなことだ。知らない土地に一人でいる心細さが、魔物に襲われた恐怖が少しでもやわらぐようにと、ジルは濃紺色の髪を撫でる。今すぐにでも廃鉱から出たいところだけれど、まだ。
「教祖様というかたの部屋を教えてください」
先ほど調達した長剣の切っ先を突きつければ、降参とばかりに元持ち主の両手が上がった。ジルを案内するため大男が歩き出したとき。
「そいつは聖神官だ! 売れば一生金に困らないぞ!」
商人の声が洞に響いた。前を歩いていた大男の足がとまる。くるりとジルを振り返り、視線を上下させ。
「コイツは上玉だが、ありゃあ女がなるモンだろ。男妾ならたんまり稼げそうだがな」
大口をあけて笑いながら再び歩きだした。商人が近づいてくる気配はない。長剣を握っていないほう、繋いだ男の子の手がきゅっとジルの手を握った。その気遣いに少し癒される。
ジルは一言も口をきかず、無表情で教祖の部屋だという廃坑に入った。と同時に長剣の柄を大男の首側面へ突きこむ。大きな体は板が倒れるように床へと落ちた。
「案内、ありがとうございました」
気絶した大男にジルの声は聞こえていないだろう。それでも少し力を入れ過ぎた気がして、ジルは弁解するように話しかけた。続けてしゃがみ込む。
「すぐに終わるから、もう少しだけ待ってて」
「わかった」
岩盤を削った無骨な壁には豪奢なタペストリー。足元には重なった厚手の絨毯。その上には浮き彫りのローテーブルがあり、二冊の綴りが無造作に置かれていた。




