186 申請と要請
視点:デリック
エディに成りすました少女がガットア領へと旅立って十日が過ぎた頃、第二神殿騎士団団長の執務室でデリックは書類の山に囲まれていた。
戦況報告はあっち、補給整備の裁決はこっち。嘆願書、遠征計画書はここ。魔物の報告録も併せて置け。訓練日報は最後でいい。次々と紙の束を運び入れる従卒に指示を出す。
「これ中級だろ? 付ける資料間違ってねえか」
「それが……嘆願書と調査報告に書かれた地名、被害状況と魔物の特徴が一致していました」
自分も何度も確認した、と従卒は困惑気味に答えた。神殿騎士団は上級ランクの魔物討伐を担っている。中級や下級ランクは領地の兵や自警団で対処するのが慣例だ。だというのに、デリックの手元には中級ランクの魔物討伐依頼書があった。
「ミシュダなあ。アイツら数は多いけど巣の前に毒エサ置いときゃ」
そこでデリックは口を止めた。魔物の調査報告書をめくる手と、文字を追う目だけが忙しなく動く。毒が効かなかった、生きたままの家畜が巣に引きずり込まれた形跡がある。報告書にはそう記載されていた。
ミシュダはネズミに似た魔物だ。大きさは赤子ほどしかない。群れて行動するため中級に分類されているが、一体の強さは初級程度だ。捕食行動にしても、死骸か瀕死状態の生物しか狙わない。だから簡単に巣へ近づくことができる。
「人的被害は……毒エサを置いた調査員だけか」
「現在、任地教会で治療中とのことです」
「分かった。この魔物は四と五に行ってもらう」
第一、第二神殿騎士団が受け持っているローナンシェ領から届いた魔物討伐依頼書。それらに関する資料一式を第四、五部隊に届けてこいとデリックは従卒に手渡した。
上級ランクの討伐なら最低でも三部隊編成となるのだが、第一、二、三部隊は遠征から戻ったばかりで休養期間中。対象は中級ランクであることから、二部隊での討伐をデリックは指示した。
教会領を除き、魔物はどこの領地にも発生している。ローナンシェ領だけでみられる現象なのか、他領でも起きているのか。
――今日こそ休暇申請とおしてやる。
魔物の変異が限定的であるという可能性がゼロではない以上、デリックは今すぐにでも少女の後を追いたかった。
「討伐には、ヘイヴン副隊長も参加されるのですか?」
「あー、オレんとこは代理が征くだろ。ほら、隊長たちに渡してこい」
デリックは応接ソファから立ち上がり、資料を抱えた従卒の背中を押した。が、浮かない顔の従卒は足を動かさない。神殿騎士団に所属してまだ二年目だ。ただ渡すだけとはいえ気後れしているのだろう。
「自分はただのつかいだ。文句なら臨時団長補佐に言えって胸張ってけ」
「いっ」
背を叩き気合を入れてやれば、従卒はうらめしそうな視線を残して執務室を出ていった。と思ったらいくらも経たないうちに扉が動いた。しょうがない、資料は自分が持って行くかとデリックは落とした腰を再び上げ、姿勢を正す。
「お疲れ様です、ハワード団長」
戻ってきたのは従卒ではなく第二神殿騎士団の団長だった。朝一で開かれた評議会で喜ばしくない議題が挙がったのだろう。デリックの挨拶に片手で応えたウォーガンの気配は重い。
「不在中の報告はあるか?」
黒地に橙の差し色が入った騎士服の襟元をゆるめ執務机についたウォーガンは、デリックの前に積まれた書類へと視線を落とした。
「中級ランクの討伐依頼がありました」
執務机の前に移動したデリックは先ほど従卒に指示した内容を団長に報告した。それから十回目の休暇届をウォーガンに提出し。
「魔物討伐も協力の内だ」
今回も同じ言葉で差し戻された。
橙の差し色は北方担当を示している。南方のガットア領へデリックが行くには休暇を利用するか、配置転換を希望するか、騎士を辞職するかの三択。そのなかで専属従卒の枠を潰さない選択肢は、一つしかなかった。
魔物を根絶したいという目標の協力にはなっているだろう。しかしデリックは少女の近くに行きたいのだ。危険から直接護れる距離に。それがなぜか協力を申し出たその日に団長補佐を命じられ、戦場ではなく執務室に留め置かれていた。遠征に出た足で帰還せずガットア領へ向かうのでは、と警戒されているのだろうか。
――否定はしねえけど。
「ほかの領地でもランクを越えた魔物が確認されている。中級の変異体なら領兵と神殿騎士一部隊あれば対処可能だろう」
「げっ。さっきの依頼、一部隊編成に訂正してきます!」
「ミシュダは数が多い。その判断で構わん。しかし問題なのは上級ランクだ」
室内の温度が急激に下がった。デリックは踵を戻しウォーガンに向き直る。神殿騎士団の団長八名、近衛騎士団の団長一名が緊急招集された理由はそれか。
「一体、ガットア領で報告があった。それの討伐でうちにも協力要請が」
「オレが征きます!!」
机に両手をつきデリックは身を乗り出した。言葉を遮られたウォーガンの表情に変化はない。是が非でもと食いつくデリックに動じず落ち着いている。
「最後まで聴け。南方から要請されたのは土魔法が使える者だ」
「…………」
「睨むな。俺が作戦を立てた訳じゃない。魔物のねぐらは岩石砂漠だ。火の聖堂からは遠い」
「でも征くんですよね」
「三日後に発つ。留守は頼んだぞ、ヘイヴン臨時団長補佐」




