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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
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185 損益と変革

視点:ナリト◇ファジュル

「女の部屋を毎晩尋ねてるなんて知ったら、どう思うだろうね」

「仲良しだ、かな」

「アハハハハハハッ。社交界一の色男も形無しだね」


 愉快だとばかりにかすれ気味の声が転がった。執務室の扉をあけたファジュルは拒むことなくナリトを招き入れた。話題の少女は夢のなかで、夜は深い。


「一杯どうだい?」


 先ほどまで商会の仕事をしていたのだろう。執務机には便箋や印璽が並んでいる。窓際近くに置かれた蔓編みのソファにナリトが腰を下ろせば、テーブルに一本の酒瓶が立てられた。リングーシー領で醸造されたブドウの果実酒は上質なものが多い。ラバン商会の会頭が買いつけたものなら間違いはないだろうが。


「こうみえても酔いかけでね。遠慮しておくよ」


 酒に弱いわけではないが、特段強いわけでもない。しかしナリトはこの邸に滞在してからは酒を控えていた。向かい側のソファからまた声が転がってくる。


「遠慮して他に取られてちゃ世話ないね」


 からのグラスは二つ。そのどちらにもファジュルは果実酒を注いだ。血のように赤い液体から豊潤な果実が香ってくる。


「みすみす渡すつもりはないが……閉じ込めることもできない」


 己の侍女が教会領で犯行に及んだその日、ナリトは少女の身辺調査を指示していた。だから特異な自己回復については把握していた。まさかそれを使い脅してくるとは思わなかったが。


 無理やり籠に入れてしまえば少女は、ナリトの目の前で自身を傷つけ続けるだろう。


「タルブデレク大公閣下が分の悪い投資を好むとは知らなかった」

「おや、ラバン会頭は違うのかな?」

「最終利益が見込めるなら別さ」


 熟れた果実酒を含んた唇は艶やかな笑み刷いているが、紅玉の瞳は油断がない。昨夜はいささか強権的になってしまったから警戒されているのだろう。部屋を尋ねたときから浮かべていた微笑みを、ナリトは深めてみせる。


「蒸気機関。あれの輸送転用が叶うよ」

「魔物とローナンシェの狸をまとめて消してくれるのかい?」

「君の協力があればね」

「要求は。どうせ姫さん絡みなんだろう」


 吐き出された大きなため息は、降参というよりも呆れの色が濃い。褐色のしなやかな両手がひらりと上を向いた。


「そんなに分かり易いかな」

「隠す気もない口がよく言う。ウチじゃ構わないけど余所は気を付けたほうがいいよ。嫉妬ほど厄介なものはないからね」

「ああ、憶えておこう」


 狂った嫉妬の果てに、ナリトの母は異母弟を毒殺した。己はそうなるまいと自制心を働かせているが、目にしてしまえばそれは容易に渦を巻いた。その挙句、少女を追い詰めているのだからお粗末だ。親子の血は争えない。温厚なルーファスが羨ましい。


 ――彼と、クレイグ大神官とも話す必要があるな。


 ハワード姉弟の入れ替わりにファジュルも気が付いている。今は少女を気に入っているようだが、ひとたび損失を呼び込むと判断したなら容赦なくソルトゥリス教会に突き出すだろう。隠匿は告発以上の利益をもたらすと示しておかなくてはいけない。


「魔王に関する情報なんざ禁書の類いだろう。当てはあるのかい?」

「この際、一掃しておこうと思ってね」

「へぇ……そこまで腐ってたのか」

「だが魔法石だけじゃ証拠が足りなくてね。各領地に飛ばしてる君の鳥を貸してくれないかな」

「昨夜、それを狩ろうとしたのはどこの領主だったか」

「見逃してあげただろう」

「姫さんの寝室を護衛騎士と分けるなんていう、私欲まみれの交換条件でね」

「欲のない人間なんていないよ。私の欲と君の欲は競合しないだろう?」


 会話の合間にもファジュルはグラスを傾けていた。最後のひと口を飲み干し、からのグラスが一つできあがる。そこへすぐに瓶が近づき、再び果実酒で満たされた。


「一羽用意しとくよ。教会の伝書鳥に比べれば遅いが、宛先を間違えない賢い子だ」

「礼を言おう」


 ◇


 話がまとまるや否やナリトは執務室を出ていった。蔓編みのソファに座ったまま見送ったファジュルは、グラスを口に運ぶ。


 火の大神官という底上げがあるとはいえ、ファジュルの身元は商人だ。魔法石の不正売買にローナンシェ大公の陰があるのは認識していた。しかし労力に見合う利益がでないため、ひとまずは尻尾のジャバラウ商会を潰せれば上々。その過程でタルブデレク大公からも儲けられると区切りをつけていた。


 それをナリトは頭から。同格の公爵を飛び越え、禁書を閲覧できる立場にいる者までをも排そうとしているのだから畏れ入る。その行動の根底にいるのが一人の娘なのだから尚恐ろしい。


 飲酒の抗議に来たラシードもそうだった。害する言動をとるのなら、異端は大神官とて例外ではないなどと忠告してきた。本来は聖女や教理が主語となるはずだが、あの物言いは違った。


 ――生かすも殺すもジル次第。


 変革は新しい商売を生む。魔物が殲滅されれば領地をまたいだ線路が敷けるし、業突く張りなローナンシェ大公が失脚すれば燃料の石炭は掘りやすくなる。そうなれば輸送力が増え経済は拡大する。


 ――稼げるならなんでもいいさ。


 職にあぶれる者。借金の形に売られる子供。それらが無くなるのなら、ソルトゥリス教会のお偉方がどうなろうとファジュルには関係ない。自分はこれまで通り事業を拡大し、雇用するだけだ。


 熟れた果実酒を一息にあおり、ファジュルは商会の仕事に戻った。

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