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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
184/318

183 嫌いと好き

<残酷な描写あり>苦手な方はご注意ください。

「居間でよろしいのではないでしょうか」

「終わったらあとは休むだけだから、ここのほうが効率的だと思うよ」


 ジルは寝台の上で正座をしていた。もう正体は知られているのだから表情や声は抑えない。簡易寝台に腰掛けたナリトへジト目で抗議してみれば、涼しい顔で返された。ユウリは部屋の外で待機しており、この場にはいない。


 領主と側付きが浴場へ行っている間、ジルは居間で待っていた。すると流れるような動作で抱えられ、主寝室に運ばれてしまった。ナリトにはたびたび抱えられている気がする。自分はそんなに持ちやすい形状なのだろうか。


 確かに話が終われば寝るだけだ。ナリトは明日、領地に帰る。睡眠時間を削らせるわけにはいかない。用件が済み次第、副寝室に移動しようとジルは切り替えた。昨夜は同性と思われていたから隣で眠れたけれど、今夜は無理だ。


「承知いたしました。ここでお話しいたします」


 ジルは気を引き締め、ルーファスに伝えたのと同じ内容をナリトに話した。


 体の弱い弟が心配だったから自分が従者になった。聖魔法があるから戦闘は問題ない。セレナを聖女の役目から解放したい。生界から魔素を、魔物を一掃するために、魔王クノスを討伐したい。


 姉弟の入れ替わりを知っている者。魔王討伐の計画だけを知っている者。口裏を合わせるために、ジルはそれぞれ該当する名を伝えた。


「封印場所については現在、風の大神官様が探してくださっています」

「討伐についてハワード団長はなんと?」


 足の上で手を組み、ジルの話に耳を傾けていたナリトが初めて相槌以外の声を発した。


「……反対されました。従者の職務に専念しろと」

「御父君はジル嬢を心配したのだろうね。私も同意見だよ」


 魔王討伐なんて無謀だ。成功するはずがないとナリトも思っているのだろう。しかし聖魔法で魔物を浄化できると判明した今、勝算がないとは言い切れないではないか。成功する保証はどこにもない。姉弟の入れ替わりだって、成功する保証はなかった。けれどジルはソルトゥリス教会を欺き、弟に成り代われている。


「ナリト大神官様は、魔物を斬ったこの手を褒めてくださいました」

「奨励したわけではないよ」


 濡羽色の長い髪が肩からすべり落ちた。ナリトはゆったりとした物腰で立ち上がり、軽い衣を揺らして近づいてくる。大きな寝台の端が沈んだ。やや骨ばった手が、ジルの頬に触れる。


「私は、君自身を褒めたんだ。美しいのは手だけじゃない。他者を想い行動できるその心は、とても尊いものだ」


 深い深い水底から注がれる眼差しはジルを包み、じわりとあたためていく。嵩を増してゆくそれに浸るまいと背筋を伸ばし、息を吸い込む。


「根源である魔王の討伐は、広く人のためになります」

「多くの者にとってはそうだろうね」 


 奥歯に物が挟まったような言い方だった。言い換えれば、少ない者にとっては不都合だと受けとれる。魔王を必要としている人。魔素信仰者だろうか。


 思案に伏せたジルの眦を、ナリトの親指が撫でた。肌の薄いそこに一筋の違和感が残る。


「君が戦わなくても、次代の聖女様が立てば情勢は安定するんだ」

「それでは、同じことの繰り返しです」


 魔素の根源を絶てば解決するのに、ひとりの少女に犠牲を押しつけ続ける生界は歪だ。弟が死ぬゲームの夢をみたから、ジルはこの歪みに気が付けた。どうしてあんな夢をみたのか、ずっと不思議だった。


 ――これは私の役目なんだ。


「それでも皆、生きて暮らしている。多くの者よりも、ジル嬢ひとり喪うほうが私には耐えられない」

「お約束が違います、タルブデレク大公閣下」


 気が付けば頬にあった手を払いのけていた。無礼極まりない行為だ。それでもジルは毅然と領主を見据える。昼間、ナリトは責務を全うすると肯ったのだ。


「領民よりも私を優先すると仰るのなら、私はソルトゥリス教会に罪を、っ」

「その通り私は大公だ。従者の一人くらい、教会を通さずとも捕らえられる」


 寝台に背中を押し付けられていた。落ちてきた声は低く凪いでいる。


 エディと同じ方法で、ナリトも御せると思っていた。だから油断していた。寝台を覆っている紗幕のように、ジルの視界には艶やかな黒い天蓋がかけられている。手が拘束されていないのは、ジルを脅威に感じていないからだろう。埋めようのない身分の差、浅慮な自分が情けなくて顔が歪む。


「そんなことをする、水の大神官様は嫌いです」


 伝えてくれた想いを踏みつける悪あがきに、ナリトは眉尻を下げて微笑んだ。


「困ったな。私はジル嬢に好かれたいのだが」

「知りません」

「好きだよ」

「っ、なにも聞こえません」

「愛してる。君は私の唯一なんだ」


 低く玲瓏な声は塞ぐ手をすり抜けて、ジルの耳を満たしていく。嫌ってなどいないと気付かれているのだろう。尖らせたジルの視線はあまい蜜のような言葉に受け止められ、立ちどころに溶かされてしまう。


 義父もナリトも、ジルの身を案じてくれているのだと分かっている。だからこそ心配は不要だと言っているのに。口にしただけでは伝わらない、言葉以外で示すには。


 案が閃いたと当時にジルは腕を動かした。迷う隙なんて作らない。怖くて実行できなくなる。


「ジル!!!!」


 あまやかだった空気が一辺した。青い目を見開いたナリトの顔に、とろりと紅い華が咲く。青褪めた肌に紅をさした投擲用のナイフは立ちどころに剝ぎ取られた。


 どくどくと拍動する首は熱いのに、がたがたと体は震えている。気を抜けば浅くなる呼吸を整えて、ゆっくりと魔力を解放する。正常な痛覚は早くはやくとジルを急かすけれど、すぐに治療してはいけない。しっかりとナリトに伝えなくては。


「私、っには……自己回復が、あります。ですからほら、大丈夫です」


 止血しようとするナリトの手をとり、心配している事は起こらないとジルは笑んでみせた。

“いいね”ありがとうございます。栄養です。執筆のお供に頂戴いたします。

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