182 失格と隣席
ジルは視察中にあった事をすべてセレナに話した。入れ替わりの露見、水の大神官の想い。いつから好意を抱かれていたのか、なにが切欠だったのかは分からないけれど。
「申し訳ございませんっ」
ジルが言葉を発したのと同時に湯がぱしゃりと跳ねた。ぬるい膜に覆われて息ができない。
ルーファスの時は事前に、セレナが抱く印象を確認していた。しかし、ナリトについては完全に無断だ。商談で二人の雰囲気は悪くなかった。だからセレナが水の大神官に惹かれていたら。
――お助け役失格だ。
リシネロ大聖堂で不安と緊張に震えているセレナに会い、弟に代わって支えようと決めたのに。風の大神官と同じようにジルは、ヒロインから攻略対象を奪ったのだ。
「もう! 私言ったじゃないですか。謝る必要なんてないです」
セレナに肩を掴まれ、ジルは折っていた体を戻された。湯に浸かっていた顔、前髪からぽたぽたと雫が落ちる。苦しかった肺腑に、あたたかな湯気が送り込まれていく。
「遠慮しなくていい、私は自分で頑張れるって言いました」
風の聖堂にある大神官の寝室で、たしかにジルは聴いていた。しかしそれに水や火の大神官は含まれていなかったはずだ。どういうことだろうと疑問符が浮かぶ。
「その顔はジルさん、分かっていませんね?」
「えっと、はい……おそらく」
セレナは不満にむくれた声も可愛らしい。と場違いな感想を抱いたそのとき、湯面がばしゃりと大きく揺れた。ほんのりと白い湯に隠れて見えづらいけれど、セレナは両手を腰に当てており。
「私が好きになる人を、勝手に決めないでください、ってことです」
はっきりと言い切った。セレナの通った声は浴場に広がり、ジルのなかで反響する。セレナはゲームのヒロインだから、攻略対象と結ばれるのが当然だと思っていた。だから、邪魔をしてはいけないと。
「攻略対象っていう皆さんよりも、私はジルさんのほうが好きです。それに、エディ君のご家族に嫌われたくありません」
「それはどういう」
「だから一緒に、しあわせ目指して頑張りましょう!」
疑問には答えず、セレナは笑顔のままジルの手をぎゅっと握った。
浴場から出ると、使用人に交ざり本当にナリトが廊下で待っていた。長湯になり待たせたことを詫びれば、ちょうど夕食の時間だと微笑まれた。
◇
「魔物が出たんだって?」
「初級ランクが一体。周辺に、大きな被害は出ていませんでした。ただ」
昨夜と同様、晩餐は食堂で行われた。ただしジルの席は扉近くではなく、ナリトの隣だ。
従者仲間のユウリも移動して欲しかったのだけれど、申し訳ないと辞退された。下座にはラシードがいる。視界に入らないよう少しでも離れたほうがいい。これは配慮でもあるのだ、とジルは自分に言い聞かせながら席についた。
それぞれの席にころころと丸い果物が給仕され始めたとき、ファジュルに尋ねられた。馭者、あるいはナリトやユウリが報告したのだろう。ジルは聖魔法で浄化したことは伏せ、戦闘の際に覚えた違和感を伝えた。
「耐久力だけが中級ねぇ」
ファジュルは思案とも、感想を零しただけともいえるような声音で呟き、果物を手にとった。器に盛られた赤黒い実は硬そうで、そのままでは食べられそうもない。今日は近くにユウリがいないから食べ方を訊けない。どうするのかとファジュルの手元を観察していると。
「どうぞ召し上がれ」
隣から器を差し出された。硬そうな実はフタをとったように上半分が消え、中には白くやわらかな果肉が詰まっていた。
「ありがとう、ございます。しかし、それでは水の大神官様の分が」
ナリトの声に気を取られ、ジルはファジュルの手元から目を逸らしてしまった。視線を戻したときには、ジルの横にある果物と同じ姿をしていた。諦めて隣席へと顔を向ける。
「よろしければ、食べ方を教えていた、だ」
フォークを手にしたナリトの笑みが深まった。瞳は清水のように輝いている。水の大神官は好感度が基準値に達すると。
「ありがたく、こちらを頂戴いたします」
嫌な予感がしたジルは、急いで差し出された器を引き取った。入れ替わりに自分の果物を隣へ移す。弟ならともかく、他人から食べさせて貰うなんて。それに皆がいる前でなんて恥ずかしくて耐えられない。
――ああ、ごめんエディ。
ジルはよく弟に食べさせていた。寄宿舎のみならず、水の大神官の前でも一度、フォークを口に寄せたことがある。さらにジルはナリトにもチョコレートを。
――はっ! まさか仕返し!?
あの時はつい、弟へする感覚で領主に食べさせてしまった。仕返しというナリトの思惑から逃れるため、ジルは急いで白い果肉を口に運んだ。溢れでた甘酸っぱい果汁に眉が跳ねる。おいしい。
「浄化の力が弱まってるからかな」
「留意しとくよう、ここの自警団にはアタシから言っとくよ」
「私の領地でも調査しよう。神殿騎士団にも一報を入れたほうがいいね」
すべての魔物と戦ったことがあるわけではない。もしかしたら思い違いかもしれない。それでも皆は、ジルの言葉を信じてくれた。




