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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
182/318

181 口約束と泡

 ナリトの返事は早かった。瞬きなどする間もなく形の良い唇だけが動く。


「請け合おう」

「えっ」

「口約束では心配かな?」

「いえ! これまでのご公務を疑うような非礼にもかかわらずご快諾いただき、ありがとうございます」


 予想とは異なる回答に口を開けていたジルは、慌てて頭を下げた。水の大神官は、簡単には頷いてくれないだろうと思っていた。


 夢でみたナリトはシャハナ家の当主を、つまりタルブデレクの領主を養子に継がせていた。ヒロインは聖女であるため教会領からは出られない。領主に就いたままでは逢える時間が少ないためナリトは養嗣子を迎え、引継ぎを終えたのち自身はリシネロ大聖堂に居を移していたのだ。


 いま思えばゲームでは上手く隠されていた。聖女には例外なく子がいない。しかしナリトは公爵家の跡継ぎをもうける義務がある。それを分家から養子を迎えることで繕っていたのだ。


 水の大神官は好感度が一定値に達すると、とても甘くなる。初めから好意的ではあるのだけれど、口にする言葉、振舞いすべてが砂糖に漬かる。ヒロインを溺愛しているナリトなら教会領への転居は然もありなんと、ジルはなんの違和感も抱いていなかった。


 ――快諾してくれたのは、私が聖女様じゃないからかな。


 目の前にいるナリトは一片の迷いもなく、領主の責務を全うすると約束してくれた。放蕩とは程遠い、賢明な領主が去るのは領民にとって不幸でしかない。


 例えジルの罪が明らかになっても、ナリトは領主を続けるために姉弟の入れ替わりは知らぬ存ぜぬを通すだろう。ジルの希望通りに進み息をついていると、下げた頭の側面を大きな手に撫でられた。


「話しは邸で聴くよ。ジル嬢の戻りが遅いと皆が心配してしまうからね」

「水の大神官様の間違いでは?」

「私を待っているのはユウリくらいだ。そうだろう?」

「この場ではそうですが、タルブデレク領では皆が無事のお戻りを願っていますよ」


 微笑んだナリトが声を掛ければ、樹々の合間から側付きが姿を現した。いつからいたのだろうか。声には少し疲れが覗いている。あの受け答えでは、ユウリにもジルだと認識されているに違いない。


 近づいてきたユウリは手に一本の剣を携えていた。騎士達が使用する長剣よりも小振りで、輝いてみえるそれは。


「拾ってくださったのですか!?」

「どうぞお収めください」

「ありがとうございます、カライト様」


 剣身は折れていない、欠けたところもない。義父から貰った長剣の状態を確認したジルはほっと胸を撫で下ろし、しっかりと鞘に収めた。


「大きな籠が帰路を塞いでいます。馬に引いて貰いましょう」


 ジルが馬車から飛び降りた直後、馭者に停止を命じたナリトは引き具を外し馬で捜索していたのだとユウリは話した。一頭立てのため、牽引力を失った馬車は立往生。馭者を残してユウリも後を追い、その途中でジルの長剣をみつけたのだと教えてくれた。


 ◇


 車内を揺らしていた車輪が止まった。陽は傾き、窓の外には長い影が落ちている。


 馬車に乗っている間、ジルはずっと手を繋がれていた。強化魔法をかけているからだろうか。手袋を介しているけれど、ひんやりと涼しい空気がナリトから伝わってきて気持ちよかった。でも。


「ひととき、お傍を離れてもよろしいでしょうか?」

「構わないよ」

「ありがとうございます。少し、失礼いたします」


 鷹揚に頷いた主人へ一礼し、ジルは玄関ホールで二人と別れた。走るか走らないかの足運びで使用人とすれ違い、わき目も振らずに向かう場所は、浴場だ。


 汗でべたべた。砂や落ち葉のうえを転げまわった体は綺麗とは言えない。馬車の壁は風をとおす紗幕とはいえ、ナリトに不快感を与えているのでは、と移動中ジルは落ち着かなかった。


 廊下で待機していた使用人に尋ねれば、利用者はいないと返ってきた。昨夜のような失態はおかせない。湯着を身に着け浴場に入る。湯には浸からず洗い終わったらすぐに出よう。そう、思っていた。


「流しますよ~」


 ジルの頭上からあたたかなお湯が流れてきた。髪を覆っていた泡が肌の上をすべり落ちていく。それを何度か繰り返しすっかり綺麗になったところで役割を交代した。


 ――最後にエディの髪を洗ってあげたのは、いつだったかな。


 花の香りがする石鹸を泡立て、淡紅の金髪にのせていく。泡のなかに手を差し込んで、爪をたてないよう指先を動かした。


「きもちいい」

「洗い残しがあったら教えてください」


 ジルが髪の毛を洗っていると、浴場にセレナが入ってきたのだ。扉をあける前に声を掛けられたから飛び上がりはしなかったけれど、どうしてジルがここに居ると分かったのか不思議だった。


「廊下に領主様がいたんです。見張りだ、って」

「えっ」

「私なら入ってもいいって言われたから、来ちゃいました。ダメでした?」


 もこもことした泡が目に入らないよう、瞼を閉じたままセレナは首を傾げた。この姿をみてダメなんて言える人がいるのだろうか。いるわけがない。それにセレナとの入浴は楽しい。嬉しいとジルが伝えれば、セレナの顔も綻んだ。


 ――そうだ。情報共有しておこう。


 泡に磨かれた淡紅の金髪は、キャンドルの灯りを受けて煌めいていた。浴槽には入らないつもりだったけれど、これからナリトに話す内容をセレナにも伝えておいたほうがいいだろう。


 ――水の大神官様に言われたことも、ちゃんと。

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