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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
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178 訓練剣と初討伐

「あ、はい! ただいま参ります!」


 白んだ中庭で、艶やかな黒髪が揺れていた。思いのほか緊張していたようで、流れてきた声にジルは息をついた。水の大神官は昇る朝陽に目を細め手招きをしている。ジルはラシードへ素早く一礼して、ナリトの許へと駆けた。


「姿が見えないから捜してしまったよ」

「申し訳ございません。配慮が、足りませんでした」


 水の大神官はジルの日課を知らない。起こさないの一点に気をとられ、起床後のことは考えていなかった。ナリトに詫びつつ、明日は部屋に書き置きを残そうと頭に刻んだ。


 ◇


 食事は皆で摂るのだろうというジルの予想に反して、朝食は客室に運び込まれた。そして昨夜同様、ナリトの希望でユウリとジルも席についた。セレナとファジュルはケンカをしていないだろうか。気になりつつもジルは主人に紅茶を注ぐ。


「ありがとう。とても美味しいよ」

「勿体ないお言葉です」


 付け焼刃のコーヒーとは違い、紅茶は教会領で何度も淹れた。ジルの好きな飲み物だから、茶葉に合わせた濃淡もお手のものだ。食後に合うものをと淹れた紅茶は、ナリトの好みにかなったようで嬉しい。


 ソファの横に立ち控えていると座るように促された。ユウリは今この場にいない。今日は視察に出るということで、食事を終えると準備のために客室から出て行った。


「エディ君に訓練剣を贈ったのは、ジル嬢が十四歳の時だったね」

「その節はお心遣いをいただき、ありがとうございました」


 ナリトの正面を避け、側面に座ったジルはその場で一礼した。水の大神官から貰った長剣があったから、姉弟で打ち合いができるようになったのだ。一本のままだったらジルの戦闘技能はもっと拙かっただろう。


「剣術は御父君から教わっていたのかな?」

「はい」

「魔物を斬ったことは?」

「あります」


 ナリトの声は凪いだように穏かだ。けれど尋問めいた印象を受けるのは、ジルに後ろめたい事があるからだろうか。不要な発言で尻尾を掴まれないようにしなくては。


「努力を重ねてきたんだね。心配してはかえって失礼になってしまうかな」

「セレナ神官様や大神官様方は、必ずお護りいたします」


 頼りないと思われないよう、ジルは背筋を正し真っ直ぐにナリトを見詰めた。水の大神官も常に強化魔法を使用しているのだろう。熱を籠らせる長い髪は結わえられていない。背中を覆っていた艶やかな黒髪が、はらりとジルの足元で波打った。


「嫌なら辞めてもいいんだよ。私からダーフィ猊下に献言しよう」


 膝に乗せていた手を取られた。いたわるように、ナリトの手が重ねられている。気を引き締めた途端にジルは焦った。


「お立ちください! 僕は大丈夫ですから」


 ソファに座った従者の前で、主人が傅いていた。水の大神官でなくともナリトはタルブデレクの領主だ。たとえ相手が聖神官であっても、膝を折る必要はない地位に就いている。


 以前にもこんなことがあった。見上げられる視線に落ち着かず、手を握られたままジルも膝をついた。ソファを横に、二人して床にしゃがみ込むという可笑しな光景が生まれた。けれど二人きりの客室で、笑い声なんて上がらない。


「魔物とはいえ殺めた感触は残る」


 至近距離にある柳眉が物憂げに下がった。


 初めて魔物を討伐したとき、戻れないのだと実感した。黒い靄は消えてなくなったのに、セレナへ手を差し出せなかった。ジルはこれまで何体の魔物を砂に変えてきただろうか。今ではすっかり慣れてしまった。そんな手をナリトは。


「努力家の美しい手だ」


 褒めてくれた。手袋越しに熱が移ったようで、じわりと胸があたたかくなる。


 水の大神官も初討伐では、ジルと同じように考えたのだろうか。領主が最前線で戦う機会はそうないはずだ。けれど、多くの領兵を戦場に送り出している。


「だが、頑張りすぎてはいけないよ。張り詰めるほど膜は薄く、脆くなってしまうから」


 ひどくやさしい声音だった。ジルの姿にきっと、魔物で苦労している領兵や領民を重ねたのだろう。ジルの出身はタルブデレク領ではないのに。海のように広い気配りに、目元が緩む。


「代わりのないこの御手を護るためなら、僕はもっと頑張れます」


 ナリトの手を包むように、ジルは空いていた方の手を重ねた。


 従者や神官見習いは多数存在するけれど、ひとつの領地に領主は一人しかいない。魔王討伐はナリトの助けにもなるのだ。新たな意義が加わり、ジルの心にまたひとつ張りが生まれた。


 しかし、水底のような青い瞳には影が差したままだ。エディに成りすましているため、自己回復ができるから心配はいらない、とは言えない。どう伝えればナリトは納得するだろうか。


 不意にジルは上へと手を引かれた。抵抗する理由もないため、引き上げられるままナリトと一緒に床から立ち上がる。


「君の代わりもいないよ。もっと自分を大切にしなさい」


 握られた手はかたく、熱が籠っていた。頭上から注がれる真剣な眼差しに背筋が伸びる。頑張りすぎるなということだと思うけれど、弟の死亡回避やセレナの聖女化を阻むためにも手は抜けない。それでも、エディを心配してくれたのだと思えば嬉しかった。


「ありがとうございます」


 ジルがお礼を伝えた直後、客室の扉が叩かれた。出掛ける準備が整ったようだ。

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