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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
175/318

174 従者と従卒

視点:ナリト

「エディ!」

「エディ君!!」


 急くままに押し退けた扉の先で、少女は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。ふらりと傾いだ肢体はほの白い湯ではなく、褐色の腕に受け止められている。硬い浴槽に打ちつけられず安堵した半面、騎士が少女の肌に触れているのは面白くない。


「助けてくれたことに礼を言う。私の従者だ。こちらで引き取ろう」


 ナリトは室内着のまま浴場を進み、湯のなかへと足を踏み入れた。ガットア領の気候に合わせて誂えた軽い衣が、ぬるい湯を吸い上げる。ラシードに抱えられた少女はぐったりと浅い呼吸を繰り返していた。


「恐らく湯あたりです。こちらで対処します」

「これ以上その子に触れるなと私は言っているのだが?」


 なにか思うところがあるのか。冷えた声音でナリトが引き渡しを命じれば、褐色の指先は拒むように少女を掴んだ。無表情だが目は口ほどに物を言う。ラシードからは警戒心が滲んでいた。


 聖女の儀式はすでに三ヶ月過ぎている。騎士団の演習場で会した時は親しそうには見えなかったが、この騎士は少女からの信頼を勝ち得ているのだ。こんこんと湧きでる感情がナリトの心中を波立たせる。


 しかし、何よりも優先すべきは少女だ。


「更衣室までは許可する。そこの長椅子まで運びなさい」


 塗り固めた為政者の顔で指示を出し、己も浴槽を離れる。足に絡みつく濡れた裾は、移動しながら水魔法で引き剥がした。その場で霧散させず、宙に浮く水を固めていくつかの氷を生成する。更衣室に備えられたタオルで氷を包み、長椅子に横たわった少女の首、脇の下へと当てた。


 浴場へと送り出した時刻から逆算すれば、体の水分は不足しているはずだ。魔法で生み出した水は飲料に向かない。室内にある水差しをラシードに示し、ナリトは魔法で少女の湯着から水分を取り除いた。


 濡れて張りついていた布が空気を食む。それでも少女の華奢な手足は露出したままだ。何人の目にも触れさせたくはないが、体を冷やさなければならない。


「水です」

「そこに置いたら下がりなさい」

「エディは」

「従卒でもなければ、君の部下でもない。火魔法に今できる事はない」

「……畏まりました」


 低い声音は平坦で感情を窺わせない。しかし一拍の間に込められたものは、ナリトの心中に湧いた想いと同類だろう。大人しく引き下がるラシードの気配を背に感じつつ、ナリトは力ない少女の手をとった。


「エディ君、水は飲めるかな?」

「……ん」


 呼び掛ければ薄い瞼が微かに動いた。もう一度声をかける。本当は少女の名を呼びたいところだが、正体を隠しているようなのでナリトは合わせた。


 閉じていた瞼がゆっくりと上がる。現れた紫の瞳は遠くを眺めるように彷徨っていた。長椅子の前で膝をついていたナリトは少女の視線を捉えるため、熱を上らせた頬に手を添え覗き込んだ。


「喉が渇いただろう。少し水を飲もう」

「は、……え、な……」


 狙い通り焦点は定まった。今は混乱に揺れ動いているが問題ないだろう。背を支えて少女の上体を起こす。ナリトは空いたほうの手でグラスを運び、薄く開いた唇へと傾けた。すると少女は一息に水を飲み干してしまった。足りないだろうと思い水差しから二杯目を注ぐと、次は自分でグラスを持ち飲み始めた。


「ありがとう、ございました。……あの、どうしてここに」

「戻りが遅いから迎えに来たんだ。ラシード卿、外にいるユウリを呼んでくれ」


 下がれと命じたはずだが、着替えた後もラシードはずっと更衣室の隅に控えていた。騎士も少女が心配で堪らないらしい。ナリトの背にはずっと、監視に似た視線が刺さっていた。


「お呼びですか」

「エディ君の荷物をここに」

「け、結構です! 動けますから、自分で」

「ダメだよ。君はまだ安静が必要なんだ」


 そんなに声を張ってはまた眩暈を起こしてしまう、とナリトは細い首に冷たいタオルを当て直す。そうしている間にもユウリは動いており、すぐに指示した物を運んできた。そのまま冷やしているようタオルは少女に預け、部屋着である長衣を手に取る。


「今の恰好では外に出られないからね」

「わっ」


 袖に腕は通さず、頭からすっぽりと体に被せた。ふくらはぎより下は出てしまうが仕方ない。長衣の裾を整えつつナリトは少女を抱き上げた。


「部屋に戻る。ラシード卿も休みなさい」

「あっ、バクリー騎士様も、ありがとうございました……!」

「っと」


 身を捩った少女が両腕から零れ落ちないよう己の体に引き寄せた。後方に立つラシードへ声を届けたいと思っての行動だろう。直後、危ない軽率だったと眉尻を下げた少女に見上げられた。


「構わないよ。君はいま私の腕のなかにいるのだから」


 抱えたぬくもりに愛しさは尽きない。それに比例して疑問と心配が増していく。絹のような銀髪が短くなっても、少年の姿をしていても、見間違えたりなどしない。弟に成りすまし従者をしているのは何故なのか。


 ――このまま領地へ連れ帰ってしまおうか。


 ファジュルが商談で提示した内容はヴィリクル限定だ。ここにいる間は、少女と騎士の寝室を分けると暗に告げていた。つまりガットア領本土では未定ということだ。客室へと続く廊下を進みながら、ナリトは取引材料をひとつ浮かべる。


 ――ユウリから小言を食らうかな。

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