171 晩餐と主従
ジルが廊下で待っていたのは二十分程度だろうか。実際にはもっと時間が経っていたかもしれない。嘘の言い訳だったけれど、ガットア領のお土産はなにがいいか、ラシードに特産品を尋ねるなどして思いのほかセレナと会話が弾んでしまった。
気が付けば廊下を照らす灯りは太陽から、魔石ランプに変わっていた。扉が音を立てたのに合わせてジルは慌てて頭を下げる。
「待たせてしまったね」
「揃ってると思ったよ。アンタ達もこのまま食堂に来な」
ナリトの退室に続きファジュルの号令が掛かった。先を行く亜麻色の波打つ髪は快活に弾んでいる。よい取引になったのだろう。
◇
高い天井、鏡のように磨き上げられた大理石の床。魔石ランプが皓々と灯る空間で、大きなテーブルの上にはキャンドルが飾られていた。宵闇を切り取った窓から入り込む風に灯火を躍らせている。
主賓はナリト、主催者はファジュル。セレナは陪賓といった扱いだ。水の大神官の従者となったジルは、タルブデレク領主の側付きであるユウリと共に食堂の壁際へと控えた。
ジルの立ち位置は間違っていないはずだ。
「僕は、カライト様と同じ……いえ、本日から仕えている状況を鑑みますと、序列は最下となります」
「ではユウリも同席させよう。構わないかな? ラバン会頭」
ジルの知らないうちに作法が変わったのだろうか。そんなわけはない。よどみなく流れた主人の言葉に、隣に立つ側付きは閉口していたのだから。
微妙な空気を醸す従者二人をよそに、ファジュルは着席したまま右手を体に添えた。
「大公閣下のご用命とあらば」
「持て成しに感謝する。さあ、ユウリとエディ君も席へ」
振り返ったナリトは涼やかな青い瞳を期待に輝かせ、手のひらで空席を示している。ナリトは菓子をくれる良い人だ。悲しませたくはないけれど。
――遠慮したい。
これまでもジルは、大神官と食事をともにしていた。それは望まれたからという理由のほか、午餐や晩餐といった格式ばった会食ではなかったからだ。ルーファスやファジュルは貴族ではないという気安さもあった。
しかしナリトは違う。生界にある五つの領地の内、タルブデレクを治める公爵家の当主だ。聖神官なら会食に招かれることもあるだろう。しかしエディはただの従者だ。同じ卓につくなどありえない。
ユウリはどうするのだろうか。ちらりと頭上を見遣れば、主の顔に穴が開くのではというくらい目に力が入っていた。諫めたいけれど他者の目があるから堪えている。そんな無言の訴えなどナリトはどこ吹く風だ。
主の希望を叶えれば無作法に。拒否すれば体面を傷つける。ユウリを巻き込んだのはジルだ。
「恐れながら……水の大神官様に、お願いがございます」
「なにかな?」
「バクリー騎士様も、ご同席を。お許しいただけたなら、末席を汚させていただきます」
三日後に主従関係は解消される。ジルとナリトの間になら、いくら亀裂が入ろうと問題ない。自分が饗されるならば、ジルよりも序列が上である護衛騎士も招いて欲しいと要求した。ラシードの方は見ない。わざわざ目を向けずとも気配で分かる。
――チクっとした。
でも食卓を囲むのが許されるのであれば、ジルはこれまでのように皆と一緒に食べたかった。ラシードだけ席につかないのは寂しい。
先ほどと同じようにナリトが尋ねれば、ファジュルは問題ないと受け合った。
「ご厚情に、感謝いたします。バクリー騎士様、カライト様、ご相伴に預かりましょう」
ユウリの心情を慮れば率先させるのは申し訳ない。大神官二人に一礼したジルは、先輩従者の腕をとった。戸惑うユウリに構わず足を進める。
「ハワード君、腕を」
「失礼いたしました」
まだ抵抗感があるのだろう。気まずさの滲むユウリの声掛けにジルは腕を放した。自分が席に着けばユウリも踏ん切りがつくはずだ。扉に一番近い椅子へジルが手を掛けたとき。
「私の隣も空いているよ?」
傾げた首に合わせ、濡羽色の艶やかな長髪が流れ落ちた。心なしかナリトの声が沈んでいるのは、兄のようなユウリが傍にいないからだろうか。
「僕の身には、余ります。カライト様はご希望でしたら……」
無理やり連れてきてしまったユウリを窺えば、澄ました顔が微笑みにかたどられた。扉から二番目に近い椅子、ジルの隣席へとユウリは手を掛けた。
「後進に軌範を示すため、私もこちらにて失礼致します」
「そちらにつくのか」
「こちらにつきます」
先刻あった商談のような駆け引きが行われているのだろうか。微笑みあっているのに主従の目は笑っていない。取引されるものはなんだろうと不思議に思いつつ、ジルも倣って着席した。
ガットア領の多彩な料理は食べ方も独特だ。ジルの手が止まるたびにユウリはそっと正しい作法を教えてくれた。その指導に講師のような厳しさはない。兄がいたらこんな感じなのだろうか。
上座には二人の大神官とセレナ。下座には護衛騎士と従者二人。テーブルに飾られたキャンドルはじりじりと溶け、晩餐が終わるころには随分と短くなっていた。




