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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
169/318

168 リンゴとコーヒー

 案内した応接室には三人の姿があった。出迎えたファジュルは気安すぎず、堅苦しすぎない挨拶をナリトと交わし、二人を紹介した。セレナは教会領所属の神官、ラシードはその護衛騎士。ガットア領で三ヶ月間、魔物の調査を行うという建前通りに。


 夢の通りなら、大神官であっても新しい聖女の降誕は通知されていない。領地へ渡る時期が近づいて初めて報せが届くのだ。だからこの場で、セレナとナリトが逢うのは異例だ。


 明るい配色の室内にファジュルの紅い衣装、ナリトの黒髪はよく映えた。その傍らに佇んだセレナの気色は淡い。この場に呼ばれた理由を説明されていないのだから、不安を覚えるのは当然だ。


 ナリトの斜め向かい、ファジュルの隣に所在なく座っているセレナと目が合った。できるならこの場に留まりたかったけれど、ジルには給仕の仕事がある。すぐに戻ってきますという気持ちをこめて微笑み、応接室から退出した。


 ◇


「しっかりと酸味もあるから爽やかで、後味のいいリンゴだね」

「ご存じなんですか!?」


 ジルが調理場から戻って来ると、セレナは身を乗り出して驚いていた。しかし領主に対して無作法だったと気が付いたのだろう。セレナは浮かせた腰をすぐに下ろした。その様子をナリトは楽しそうに見ている。


「リンゴは長く貯蔵できるから、毎年いくらか分けて貰ってるんだ」

「ぜひ、うちのリンゴもお願いします!」

「アハハハハ! 儲けにきたはずが、払うほうが多くなりそうだね」


 弾んでいる会話にジルはほっと息をついた。物怖じしないセレナの売り込みに、二人の大神官は笑みを零している。会話の邪魔にならないよう、ジルは部屋の中央に置かれたテーブルへと静かに近づいた。


 上席に座ったナリトの傍に空のカップを置き、サーバーに淹れたコーヒーを注ぐ。使用人から事前に砂糖やミルクは入れないと聞いていたから、なにも加えず提供した。次はファジュルだと移動しかけたとき。


「ありがとう」

「……恐れ入ります」


 声の主は、なめらかな笑みを浮かべていた。給仕しただけで感謝されるとは思っていなかったから、反応が一拍遅れてしまった。ナリトに一礼した後はファジュル、セレナへと順にコーヒーを注ぎ、給仕を終えたジルは部屋の隅へと足を向けた。


 護衛騎士はセレナに近い壁際に、タルブデレク大公の側付きはナリトの近くに控えている。ジルは火の大神官、邸主の従者だから扉の傍で待機するのが適当だろうか。


「ウチの従者が大公閣下のために淹れ方を覚えたんだ」


 目的地について振り返ったと同時にかすれ気味の声が耳に入った。ジルの場所からファジュルの表情は見えづらいけれど、声音は面白がっているようだった。片眉を上げたナリトの顔はよく見える。


「私のため?」

「苦いコーヒーを何度も試飲してね」


 商談相手はジャバラウ商会だと思っていたからナリトのためではない。とはいえ、取引の成立を願ってコーヒーの淹れ方を覚えた。方向性としては嘘ではない。だからジルは、こちらに向いた青い瞳へただ静かに会釈した。


「焙煎時間を長くしてみたんだ。甘い菓子には苦みも強いほうが合うんじゃないかい?」


 テーブルの上には黒色、あるいは茶色の液体に満たされたカップしか置いていない。ファジュルの提案を受けたナリトはコーヒーを口に含んだ。


「酸味が消えてるね」

「紅茶は負けちまうけど、これなら互いが引き立つと思うよ」


 唇に笑みを刷いているけれど、二人の瞳は笑っていない。もしやすでに商談は始まっているのだろうか。話の流れからすると商材はコーヒー豆で。


 ――真面目に覚えて良かった。


 ジルの腕前ひとつで破談となるところだった。ファジュルやナリトから不味いという言葉は出ていないから、失敗はしていないはずだ。人知れず冷や汗をかくジルをよそに商談は進んでいる。


「今年の収穫量は?」

「二百ってところだね。樹が育ってきたから来季は倍の予測だ」


 口を湿らせたファジュルはカップを皿に戻しながら、思い出したとばかりに息を零した。


「コーヒー豆は別の港に置いてるんだ。ローナンシェのヤツがよく買ってるみたいでね」

「うちにも補給で寄港してるね。随分な量だから、無作為検査で手一杯みたいだ」

「それでは、如何ほどお求めになりますか?」

「来季分も押さえておこう」

「タルブデレク大公閣下のご支援に感謝致します」


 立ち上がったファジュルは右手を体に添え、軽く片膝を曲げた。しかし恭しい礼をとったのは束の間で、ソファに戻ると前に流れていた波打つ髪を後ろに掃った。


「コーヒー豆はどうする?」


 ――あれ?


「いま買ったんじゃないんですか?」


 ジルが疑問を感じたのと同時にセレナも首を傾げている。隣に座ったファジュルは笑むだけで答えず、片手を上げた。


 ――おかわりだ。

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