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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
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167 商談相手と先制

「ラ、バン会頭様のお心遣いに感謝致します」


 開かれた扉の先には、藍墨髪の男性が立っていた。丸くなった藍色の瞳がジルを凝視したのはわずかな間で、タルブデレク大公の側付きはすぐに言葉を紡いだ。


 ――危なかった!!


 ジルは上げそうになった声を寸でのところで飲み込んでいた。弟は驚いてもあまり大きな声は出さない。表情筋を動かさないように注意して、ユウリに衣装を渡した。


 ここにタルブデレク大公の側付きがいるということは、今日の商談相手はジャバラウ商会ではなく。ジルは平静を装いつつ、首を傾げる。


「失礼ですけれど……カライト様、でいらっしゃいますか? リシネロ大聖堂で、一度お会いした……」


 ジルとユウリは何度も顔を合わせている。ユウリから問われる前に、自分は弟のエディだと先制した。頭上にある顔はとり澄ましているけれど、警戒の色は消えていない。


「それでは、ハワード神官見習い様の弟君の」

「はい、エディです。火の大神官様の、従者を務めています」

「神殿騎士団の従卒になったと聞き及んでおりましたが」

「ソルトゥリス教会の命により……今はこちらに」


 ユウリは自身がもつ情報と、ジルの言葉を照らし合わせているのだろう。衣装を持つ姿勢は真っ直ぐで考え込むような仕草はないけれど、二人の間に暫しの無言が落ちた。その隙をみてジルは再び口を開く。


「それでは、」

「どうした、何か問題でも」


 ――離脱しっぱい!


 ユウリの背後から、低く玲瓏な声が流れてきた。艶やかな濡羽色の髪は長く、水底を思わせる青い瞳は大きく見開かれており。


 ――仲良しさんだ。


 二人の驚いた顔は相変わらず似ていた。ユウリの弟分で、現タルブデレクの領主であるナリトが、そこに居た。領主兼水の大神官がただの観光でガットア領に来ているとは思えない。ジルはその場で深く腰を折った。


「水の大神官様におかれましては、ご健勝のこと、何よりと存じます。かねてより姉のジルが、お世話になっております」


 ここで慌ててはいけない。声の抑揚を抑え、ナリトにも自分は弟だと先制しておく。視界の外にあった靴音が足元に入り込んできた。頭上で囁きが聞こえる。ユウリが状況を伝えているのだろう。


「ラバン会頭の遣いで来たとか」

「はい」


 頭を上げたジルは、真っ直ぐにナリトを見上げた。丸くなっていた瞳は涼やかさを取り戻しており、声は凪いでいた。


「エディ君はいつから従者をしているのかな?」

「三日ほど前から、火の大神官様に仕えています」

「もしやその前はルーファス大神官に?」

「はい。三ヶ月間ほど、ですけれど」


 先ほどおこなったユウリとのやり取りに似た沈黙が、二人の間に落ちた。しかし今ジルが対面しているのは領主だ。立場がずっと低いこちらから話を切り上げるような真似はできない。ナリトが口を開くまで、ジルは静かに呼吸を整えていた。


「一緒に行こうか。応接室まで案内して貰えるかな、エディ君」

「……あの、失礼ながらお着替えは?」


 ジルが使用人から預かった衣装はユウリに抱えられたままだ。雨で濡れたから着替えるのだと思っていたのだけれど。


「ああ、持参したものに着替えたんだ。三日間、ここに滞在する予定だから」


 形の良い唇が紡いだ通り、ナリトの服は濡れていなかった。教会領で着ていたものよりも生地は軽めだけれど、仕立ての良さを感じる。服の型は体にそったものではなく、風を通すよう緩めに作られていた。


 邸の主であるファジュルが、客人であるナリトの滞在日数を把握していないのはおかしい。それはつまり。


 ――遊ばれてる。


 火の神殿での儀式が終わるまで、この調子が続くのだろうか。ガットア領では鋼の精神が要求されるようだ。出かかったため息を押し殺したとき、ふと、ウォーガンとの稽古で精神について話したのをジルは思い出した。


 ――自信があれば心に余裕ができて、動じづらくなる。だったかな。


 魔物とは臆さずに戦えている。今では他者回復も使える。護衛騎士との実力差は分からないけれど、あの頃に比べれば力はついているだろう。


 それに弟や義父以外からも、言葉を貰った。


 デリックはよく頑張ったと褒めてくれた。セレナは自己回復を特別だと評してくれた。ルーファスは傍にいると言ってくれた。


 役立たずな自分にも、少しは価値ができたのかもしれない。


「かしこまりました。応接室まで、ご案内いたします」


 水の大神官と側付きに一礼したジルは、背筋を伸ばして商談の場まで先導した。

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