163 抗議と評価
「騙すなんてひどいです」
「聞き間違えたんだろう? アタシはちゃんと果実酒だって言ったよ」
「言ってません!」
「酒と水。聞き間違えることもあれば、言い間違えることもあるさ」
席についたファジュルは、悪びれる様子もなく口の端を上げている。テーブルを挟んだ正面では、セレナが眉を吊り上げていた。
客室からすぐに出られる中庭でラシードと日課を行ったジルは、朝食の場についていた。テーブルの上にはこんがりと焼かれた薄切りのパンに、ジャムとバターが挟まれている。小さな器に入った玉子は火が通りきっていないようで、ぷるぷるしていた。
ジルの後ろにある大きな窓は今日も開かれており、素振りで上がった体温を風が浚っていく。
紅茶とは違う、この茶色い飲み物はなんだろうか。お行儀悪く少しだけ顔を近づけてみれば、甘く芳ばしい香りがした。おいしそう。そう思ったと同時に、ぐぅとお腹が鳴いてしまった。
「あ、ごめんなさい。これじゃ朝ご飯食べられないよね」
「いえ」
「水掛け論は時間のムダだよ。アタシも仕事があるんだ、さっさと食べな」
「ファジュル様が言わないでください!」
「次からは証拠を揃えてくるんだね」
どうやらこの場はファジュルが勝ったようだ。昨夜、ジルもはっきりと果実水だと聞いた。けれどラシードが抗議を入れると言っていたこと、こうして目の前でセレナが声を上げたことから、ジルの不満は収まっていた。酒という飲み物の味は分かった。次は失敗しない。
なごやかとは言えないけれど、四人での食事は静かに進んだ。途中、玉子を食べる方法が分からず思い切ってファジュルに尋ねてみれば、パンを浸して食べるのだと説明されて驚いた。
言われた通りにしてみると、サクりとした食感にとろりと黄身が絡まり、甘塩っぱい味が織りなされた。帆船での料理もそうだったけれど、ガットア領の食事は分からないことだらけだ。
「エディ、紅茶の淹れ方は知ってるね」
「はい」
「コーヒーは?」
「申し訳ございません。存じません」
神官見習いの講義では紅茶しか教わらなかった。コーヒーは苦いと聞いたことがあるから、飲もうと思ったこともない。ジルの答えに、ファジュルは手元でカップを掲げた。
「なら覚えて貰うよ。明日の商談で給仕しな」
「はい、えっ?! 僕がですか?!」
予想外の指示にジルの目は丸くなった。声が大きくなってしまい、慌てて口元を手で抑える。付け焼刃で淹れたものを大切な来客に出してもいいのだろうか。ジルは教養の講義が苦手だった。粗相をして怒らせる気がしてならない。
「アタシの従者だろう? それに気負う必要はないよ。今回はこっちが上だから」
くつくつと愉しそうに喉を慣らしたファジュルは、手にしたカップを艶やかな唇に運んだ。
◇
「ひいた粉を布で漉します」
「はい」
「練乳を入れたカップに注いで完成です」
ファジュルの命により、ジルは調理場で女性使用人からコーヒーの淹れ方を習っていた。渡された紙に手順を書き込んでいく。初めから甘味を入れているのは珍しいけれど、湯で漉すのは紅茶と変わりないようだった。
――ん? 甘味?
「あの、コーヒーは苦い飲みもの、なのでは……」
「こちらはヴィリクル特有の飲み方です。朝食でお出ししたものですよ」
「あれコーヒーだったんですか?!」
ジルの知るコーヒーは茶色というより黒色をした飲みものだ。それにとても甘かったから、まったく思い至らなかった。そういえば、ファジュルやラシードの前に置かれたカップの中身は黒い液体だった気がする。
「領外からのお客様には、別の方法で淹れたものをご提供します」
「僕たちも、別の領地から来たのですけれど」
「神官様と従者様には、ラバン会頭より指示が出ておりましたので」
甘いほうが食べやすいと言ったから、わざわざ変更してくれたのだろう。ファジュルの心遣いは嬉しい。嬉しいのだけれど。
「ファジュル大神官様のことが、よく分かりません」
思わずジルは口に出していた。ケトルや布を片付け、新しいお湯の用意をしていた使用人がくすりと笑んだ。
「厳しく、難しいことを仰ったりしますけど、私たちの働きをちゃんと評価してくださる方ですよ。ただ、」
先ほど利用した豆の袋とは異なる、別の麻袋が台に載せられた。使用人の途切れた言葉の続きに耳をそばだてつつ、ジルは紙に書きつける。コーヒー豆の見た目は同じだけれど、香りが異なるようだ。こちらはより芳ばしい。
「お気に入りの方は、構いたくて仕方がないみたいです」
使用人の声音に同情や労いが含まれているのは、気のせいではないだろう。落ちた視線の先にあるのはジルの足首、紅メノウのカメオがついたブレスレットだ。
――うーん、遊ばれてる。
教会領で出遭った時と、火の大神官はなにも変わっていなかった。




