162 熱と水
軽い疲労感は微笑みに隠して双眸を覗き込む。
『どうかな?』
『まだ……ごめん』
『貴方のせいじゃないよ』
俯いた頭を撫で、再び唇を重ねた。この子が体に溜め込んだ苦しみに比べれば、自分の疲れなんて小さなことだ。
ある日、人という種族をみつけた。
『ぼく、まちがえた?』
『間違えてないよ。ただ、他の子たちよりも弱いみたい』
不安そうに見上げてくる顔へ微笑む。精霊や妖精、獣や鳥はみんな変わりない。人だけがいつも、なにかと争っていた。
『私が調整するから大丈夫』
『ありがとう』
減らし過ぎると他の種族が生きられなくなってしまう。だから人の棲み処だけ、ほかよりも濃度を下げた。
『きょうも?』
『まだ治まらないみたい』
『わかった』
不安と寂しさを懸命に隠そうとする姿が、たまらなく愛おしい。自分と対を成す唯一を抱きしめて、ただの口付けを落とした。
『すぐに戻るから』
その日、私たちは迷子になった。
◇
伸ばした指先に熱が触れた。
ここにいたのだと嬉しくて必死に掴んだ。もう置いていかないから離れないでと引き寄せた。触れたぬくもりに、独りにしてごめんねと涙が溢れた。
不意に、背中にも熱が触れた。
大丈夫だと伝えてくる揺れに安心して、でもやっぱり不安で。離れていかないように、存在を確かめるように。掴んだぬくもりを強く抱きしめた。
◇
喉の渇きを覚えてジルは目が覚めた。弟のような、違うような。大切な誰かの夢をみていた気がする。情景はぼんやりとしていて思い出せない。そのなかで今はっきりと分かるのは。
――お水飲みたい。
寝台の上で聖魔法を使って、そのまま眠ってしまったようだ。ここは暖かいから何も掛けずに眠っていたらしい。視界が暗い。今は何時だろうかとジルは時計を探し。
「なんっ!!」
ゴツンと音を立てて寝台から転げ落ちた。床へとしたたかに打ちつけた体が痛い。しかし、ばくばくとうるさい心臓に比べたら大した問題じゃない。痛みによってはっきりと覚醒した思考で確認しても、ジルは状況がさっぱり理解できなかった。
部屋には小さな灯りが一つともっていた。視界が暗かったのは、目の前に壁があったからだ。
「寝る時くらい静かにしろ」
薄暗い室内に不機嫌な声が落ちた。睡眠の邪魔をされたから苛立っているのだろう。しかし、怒りたいのはこちらも同じだ。立ち上がったジルは拳に動揺を握り込み、眼下を睨む。
「どうしてそこで寝てるんですか!」
自分の寝台にラシードの大きな体が横たわっていた。副寝室には二つの寝台が置かれている。二人で使えば狭いと分かっているのに、わざわざ隣で眠る理由が分からない。寝ぼけて間違えたのだろうか。まさか残っていたあの酒を飲んだのか。
「お前が放さなかったんだろう」
「はい?」
腹の底から声が出た。無表情を作るのも忘れて眉根が中央に寄る。説明するのも億劫だといった声はその場で寝返りをうち、ジルに背中を向けた。
「なんでわた、僕がそんなことを」
「覚えてないならさっさと寝ろ。二時間後には夜が明ける」
「……そこ、僕の寝台です」
「隣を使え」
腑に落ちない。なぜ自分が移動しなければならないのか。放さなかったと言われても、そんな記憶はない。もやもやと霧が掛かっているようでスッキリしない。しかし。
――喉が渇いた。
言い分は飲み込めないけれど、水は飲みたい。ラシードに背中を向けてジルは副寝室の扉をあけた。居間の魔石ランプはすべて灯っており、暗さに慣れた目には眩しい。テーブルに瓶やグラスは無く、綺麗に片付いていた。
衝立の向こう側、簡易台所には新しい水差しが置かれていた。邸の使用人が取り替えてくれたのだろう。整えられたグラスを一つ手に取り水を注ぐ。
――おいしい。
乾いていた体に水はあっという間に沁み込んだ。一杯では足りず二杯目を注ぐ。床にぶつけた体を聖魔法で癒し、次は喉を潤すようにゆっくりと水を流し込んだ。
落ち着いた頭でジルは考えてみる。ラシードがわざわざ嘘をつく利点はあるだろうか。少なくともジルに思い当たる節はない。では、放さなかったというのが本当だとすると。
――ないないないない! エディと間違えるなんて!!
教会領の寄宿舎で一緒に眠っていたとき、目が覚めると弟の手を握っていたことはあった。それが一度や二度ではなかったから、癖になっているのだと思う。しかしそれは同じ寝台で眠っていたからだ。放さないもなにも、まずラシードが近くにいなければ掴めない。
――探られてるのかな。
やはり護衛騎士は姉弟の入れ替わりを疑っており、決定的な証拠を掴むために知らない振りを続けているのだろうか。もしそうなら。
からになったグラスを置き、ジルは副寝室へと向かった。ラシードは変わらず同じ場所で眠っている。その傍を通り過ぎ、誰もいない寝台から上掛けをはぎ取った。
明るい居間に戻ったジルは上掛けを体に巻きつけて、ソファに寝転ぶ。
――これからは同じ部屋で眠れない。
ブックマークに評価、ありがとうございます。
お陰さまで気が付けば30万文字も執筆しておりました。
軽い設定を置いておきます。イメージの一助になれば幸いです。
▼身長の高い順( )内は年齢
ウォーガン(36)>ラシード(20)>デリック(21)>ナリト(22)>>ルーファス(19)>>ファジュル(24)≧クレイグ(16)>セレナ(16)=エディ(14)=ジル(17)




