156 黄金と島
着岸した帆船の先には、青々と茂った森が広がっていた。火の聖堂はガットア領最大のオアシス都市にあり緑が点在していたけれど、ここはどこを見ても植物が生えている。
「ここもガットア領ですか?」
「ああ、ガットア領・ヴィリクル。黄金の実がなる島さ」
質問したセレナ、傍で聞いていたジル。二人はファジュルの言葉に揃って首を傾げた。黄金の実とはなにかの別称だろうか。初めて聞く名前だ。
埠頭では水夫たちが、船倉から次々と大きな木箱を運び出していた。その箱はあっち、それはこっち、邪魔だどこに積んでんだ、陽が暮れるぞ、などと大声が飛び交い賑やかだ。
その喧騒に笑みを刷いたファジュルはカツカツと踵を鳴らして通り抜け、一台の馬車の前で足を止めた。火の聖堂から港への移動に利用したもの同じ、天蓋に紗幕の垂れた造りをしている。
「セレナとエディはこっち。ラシードは馬でついてきな」
馬車から少し離れた場所、陽射しから逃れるように葉の茂った樹に一頭の馬が繋がれていた。護衛騎士は警護が職務であるため、何もおかしなところはないのだけれど。
――当たりが強い気がする。
ラシードが所属している第五神殿騎士団は、ガットア領の魔物討伐を担っている。火の大神官であるファジュルと接する機会もあるだろう。そこで何かあったのかもしれない。ゲームで情報が出ていたのかもしれないけれど、ジルの記憶にはなかった。
セレナは上座で、ファジュルはその隣。ジルは向かいの席、二人の間となる位置に座った。馬車に乗り込む際、使用人から渡された大きな扇を左右に動かす。ぬるい空気は扇に押し出されて風となり、正面にある亜麻色の髪と淡紅の金髪をふわりと揺らした。
ファジュルはジルを従者として扱ってくれるようだ。仕事ができる、役に立てる。嬉しくて扇を振る手に力が入った。
「エディ君、疲れたらやめていいからね?」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。到着まで、快適にお過ごしいただけるよう努めます」
「いい心掛けだね。これからどんどん働いて貰うよ」
セレナは眉尻を垂らし、ファジュルは唇に弧を描いている。この対照的な二人がゲームでは姉妹、家族のように仲睦まじくなるのだから驚きだ。きっと違うからこそ、互いを認めたとき絆が深まるのだろう。
馬車は海岸沿いを進んでいた。進行方向とは逆を向いたジルの右手にはきらきらと輝く海が、左手には鮮やかな緑の林が見える。一定の間隔で植わった樹の枝には、大きな実が鈴なりにぶら下がっていた。豆のような形をした実は赤みのある黄色で重たそうだ。港でファジュルが言っていた黄金の実とは、これのことだろうか。
黄金の果樹園はどこまでも続くように思われた。しかし、林は唐突に途切れてしまった。背の高い白塀が境界線とばかりにそびえ立っている。道なりに進んでいた馬車が門前で停止したのは束の間で、車輪はすぐにまた回りだした。
塀のなかには邸があった。短く刈り込まれた芝生の庭。その奥に赤茶色の屋根をもつ白壁の建物が鎮座している。邸を囲うように低く整えられた生垣は、暗くなり始めた空に反して皓々と緑を主張していた。根元あたりに魔石を埋めているのだろう。
リングーシー領で泊まった宿屋のような重厚さはないけれど、こちらも大きく立派な造りをしている。ガットア領は暑い。風が通るようにか、廊下と思われる場所の壁は大きく開いており解放感に溢れていた。
邸の前で車輪が停まったのに合わせて、ジルは垂れ幕を開き紐で結ぶ。降車口で手を差し出せば、褐色のしなやかな手が重ねられた。
「様になってるじゃないか。どこで習ったんだろうね」
かすれ気味の声がころころと楽しそうに笑っている。ファジュルはいつもヒールの高い靴を履いているけれど、紅い裾をしゃなりと捌く足取りは危なげない。扉へと近づく火の大神官を見送ったジルは、馬車上のセレナにも手を伸べた。
「ありがとう」
足を踏み出すのに合わせて、淡黄の裾と桃色の瞳がふわりと綻ぶ。リシネロ大聖堂を出立した時に比べれば、セレナの所作は自然なものになっていた。ヒロインというだけあってセレナは物覚えが早く、風の聖堂で基本的な作法は修得していた。これなら次の領地、タルブデレク領に行っても心配はない。
「おかえりなさいませ」
「そこの二人と後ろの騎士一人を部屋に案内してやって」
薄紅の布をまとった女性、装飾のないすっきりとした灰色のチュニックを着た男性。大きな両扉の傍には使用人が並んでいた。ファジュルの傍には壮年の男性が立っている。ここはファジュルの別邸兼商会の支部であり、主が不在の時はこの男性、支部長が対応にあたっていると紹介された。雇い主の命に従い、女性の使用人が近づいてくる。
「ご滞在中のお世話を仰せつかりました。なんなりとお申し付けください」
セレナだけでなく、ジルまで丁寧な挨拶をされてしまった。ラシードのほうへ向かっていた男性の使用人は馬を預かっている。三人の合流を待ったところで、女性使用人は再び口を開いた。
「お部屋、ならびに邸内をご案内いたします。各設備はいつでもご自由にご利用ください」




