153 証拠と動機
入れ替わりを指摘されている。そう判断するのに十分な言葉だった。護衛騎士は相変わらずの無表情でジルを観察している。やはり船長室での会話を聞いていたのだ。しかしすぐにジルを取り押さえないのは証拠がないからだろう。
顔を動かさない。声に抑揚をつけない。話す言葉は最低限。ジルは慎重に唇をひらく。
「似ています。けれど、僕はエディです」
「従卒に就いたのはいつからだ」
「今年の、三ノ月です」
「だが、それよりも前からハワード団長の指導を受けていた」
「っ!」
手首を掴まれた拍子に神殿騎士団の上着が落ちた。しかし朱殷色の瞳は足元ではなく、ジルの手に固定されている。このまま拘束されるのだろうか。物見台で感じた不快とは異なる、胃からなにかがせり上がってくる感覚。
「姉は聖の神官見習いだな」
「……はい」
短い音をはくだけで精一杯だった。ひとつ確認される度に一歩、袋小路へと追い込まれている。護衛騎士のもう片方の手によって、手袋がはぎ取られた。
「なぜ剣を握る手に何もない。聖魔法で治療してたのか?」
低音な声がぐさりとお腹に刺さった。ジルが手袋を着けていたのは文様を隠すためだ。魔法発動時にしか文様は浮かばない。だから就寝時には手袋を外していた。ジルは自らラシードに証拠を与えていたのだ。
――誤魔化せない。
ジルの出方を窺っているのだろう。査問する護衛騎士の瞳はじっと据えられている。空気の塊を喉に押し込む。正直に話せば、ラシードは信じてくれるだろうか。魔王を倒したいのだといえば、見逃してくれるだろうか。
「仰る通りです。魔法で治していました」
また船底から傾くような揺れが起きた。けれどジルを掴んだ手は強固でわずかも緩まない。
「弟がいれば姉が付いてくる。姉が駄目でもそっくりな弟がいる」
講義や仕事以外の時間、確かにジルとエディはいつも一緒だった。しかし、その後に続いた言葉はどういう意味だろうか。エディはジルの予備とでも言いたそうな口ぶりだ。真意が分からず押し黙っていると、ラシードはさらなる混乱をジルに呼び込んだ。
「デリックは代用として、お前を専属に選んだんじゃないのか」
「でりっくさま?」
思わず聞き返してしまった。なぜここでデリックの名が出てきたのだろうか。ジルは今、弟との入れ替わりを追及されていたのに。ラシードは至って真面目な様子で、わずかながら眉間には皺ができている。
――誘導尋問ってやつかな。
護衛騎士はここから、何の情報を引き出すつもりなのだろうか。先ほどのように驚いた拍子に口を滑らせてはいけない。ジルは唇を結び直す。
「あいつはお前の姉に求婚している」
「は、え、それ……は」
結んだはずの唇はすぐにほどけた。話がみえない。これが掴まんとする情報への導入なら、随分と遠回りをしているのではないだろうか。ラシードの口から求婚なんて言葉が出てくるのも意外で、ジルは動揺してしまった。
――ゲームでも言ってなかった気がする。
呼吸を整えつつ、ジルは頭のなかでラシードの言葉を整理する。
従卒になった理由を問われ、姉弟はそっくりであることを指摘された。デリックは聖魔法が使える姉に求婚しており、弟を専属従卒に選んだ。エディはジルの代わり。
ここから導き出される答えは。
――バレてない!!
ジルは咄嗟に顔を俯け、綻びそうになる表情筋と跳ねださんとする手足をぐっと抑え込んだ。
ラシードがどうしてそんな思考に至ったのかは分からない。けれど入れ替わりが露見していない喜びに、ジルは小さく震えた。
じっと据えられていた朱殷色の瞳がそれを見逃すはずがない。ジルが苦悲を堪えていると考えたのだろうか。掴まれていた手首は解放され、頭に手を置かれた。
「デリックの専属が嫌なら」
「ご遠慮します」
周囲の空気と一緒にラシードも固まった。元が無表情のためあまり変化はないけれど、見上げた先にある瞳は揺らいでいた。まさか言葉の途中で断られるとは思っていなかったのだろう。言ったジル自身も口にして驚いたくらいだ。
「そうか」
頭に置かれた手は離れ、床に落ちていた神殿騎士団の制服へと移動した。ラシードの声はいつもの調子だったけれど、小さなテーブルに上着を置く姿は妙に寂しそうで。
「あの、バクリー騎士様が嫌とか、そういうのではなくて」
ジルは慌てて言葉を紡いだ。それでもラシードはこちらを見ない。
「教会領に戻ったとき、デリック様は約束してくださったんです。専属の枠は、空けておくって」
あの時のエディはとても嬉しそうだった。だから弟は、デリックの専属従卒が嫌ではないとジルは判断した。デリックはジルの代わりをエディに求めている、というもの違うと思う。違うと思うのだけれど、弟に求婚中である現状が断定を躊躇わせた。
だから従卒になった理由だけを告げておく。もっともらしい動機で、ジルの本心だ。
「僕が従卒になったのは、家族を護るためです」




