151 処置と宝石
だまし討ちだ、何も言わなかった、そんな服を着ているほうが悪い。赤茶髪の男はそれからも食い下がったけれど、ファジュルは一切取り合わなかった。
「アタシのものに手を出した。この事実は変わらない」
商会長が虫を払うように片手を上げれば、男の顔から一斉に血の気が引いた。先ほどまで吊り上がっていた眉が、今は悲愴なくらいに下がっている。
「魔が差しただけなんです! 会頭のだって知ってたら」
「海に降ろしときな」
「今ですか?!」
ジルは思わず尋ねていた。男を後ろ手に捕まえ彫像のように控えていた偉丈夫が、主の宣告に従い扉をくぐろうとしている。
陸地なら何とかなるかもしれない。しかし帆船のまわりには、真っ暗な海が広がっているだけだ。海に慣れた水夫といえど、無事ではいられないのではないか。憂慮を滲ませてファジュルを見詰めれば、ジルの頬に手が触れた。
「それなら今夜はアタシと寝るかい?」
「は、えっ?」
「あいつが船にいたんじゃ、安心して眠れないだろ」
男とジルの間に何があったのか。ファジュルから尋ねられてはいないし、ジルも口にしていない。それでもこれまでのやり取りから察しているのだと分かった。
自分のことを案じてくれている。ファジュルの気遣いが嬉しかった。不快感はまだ消えていないけれど、十分な癒しをもらった。これ以上はなにも要らない。
「海に残されて、命を落とした。そんなことになったら……僕はずっと、忘れられなくなります」
眼前にある紅玉の瞳から、ジルは足首を飾る紅いカメオへと視線を移す。行儀が悪いけれど、靴を脱ぎソファの上に片足を乗せた。これで男にもよく見えるだろう。
「これがあれば、大丈夫なのですよね?」
「アタシの商圏だけだがね」
紅メノウのカメオはきっと、ファジュルの恋人やお気に入りの印なのだろう。セレナは聖女だから間違いがあってはいけない。だから初めからネックレスが用意されていたのだ。従者のエディには無くて当たり前だ。
ジルの足を見ていたファジュルからひとつ、ため息が零れた。流れ落ちていた豊かな髪をかきあげ扉を振り返る。かすれ気味の声は新たな処置を告げた。
「ソラトンが揚がってるだろ。同じ部屋にぶち込んどきな」
「そんなっ」
白い海洋生物との相部屋は、船から降りるのと同じくらい過酷なのだろうか。偉丈夫に引きずられていく男の顔色は青いままだった。
扉が閉まり、船長室のなかはジルとファジュルの二人だけとなった。ジルはソファから足を下ろす前に、金鎖を外した。手のひらにのせてファジュルに差し出す。
「ご迷惑を、お掛けいたしました。こちらはお返しいたします」
「アタシの不行き届きだ。そのまま持ってな」
詫びだとファジュルは言った。ジルの油断が招いたことだけれど、これ以上は掘り返したくない。連行された男はジルの正体を高らかに叫んでいた。それは当然、ファジュルの耳にも届いており。
――指摘される前に部屋を出よう。
紅玉の連なるブレスレットを受け取ったジルは、ソファから立ち上がり一礼する。退出しようと身を翻したとき。
「へ」
神殿騎士団の制服を脱がされた。ジルの体格に合っておらず、ぶかぶかだった上着は簡単に床へと落ちた。突然のことで呆気にとられていると後ろからぎゅっと腰を締められた。続けて首にかけた布の結びも直される。
――そういえば緩んでた気がする。
ロープの掴み損ね、ソラトンの乗船、事情聴取と続きすっかり忘れていた。それからファジュルは黒い騎士服を拾い上げ、ジルに渡してきた。
「明日の朝、別の服を用意させる」
「ありがとう、ございます」
「一人で戻れるかい?」
「ファジュル大神官様に、御守りをいただきましたから」
手に持っていたカメオをジルは掲げてみせた。魔石ランプに照らされた紅玉が、波の揺れに合わせて煌めく。大丈夫だと微笑んでみせれば、黒子を飾った艶やかな口元も弧を描いた。
「寂しかったらいつでもおいで」
「覚えて、おきます」
退室する時にかけられた声は揶揄うような調子だったけれど、やさしい声音だった。
◇
甲板の階段を下りたジルは真っ先にセレナの部屋を訪ねた。寝ずに待ってくれていたのだろう。扉を叩けばすぐに反応があった。
水夫とちょっとしたケンカになり、ファジュルが仲裁してくれたのだとジルは説明した。それと大切なこと。セレナが着けている紅いカメオのネックレスは御守りだから、外さないようにと伝えた。
「エディ君のは?」
「ブレスレットを、いただきました」
ほっとしたのだろう。ようやくセレナの表情がやわらいだ。夜も更けている。寝不足で体調不良、船酔いになどなっては大変だ。ジルは手短に報告を終わらせた。
「いつでも、お部屋に来ていいからね」
「ありがとうございます」
とても心配させてしまったようだ。セレナを安心させるため、ジルは明るい声を意識して辞去した。




