147 青年と青空
「夜も登ってよろしいのですか?」
「オレは今夜、見張番なんだ」
今は青空が広がっているけれど、夜になると満天の星に囲まれるのだと青年は話した。天高い物見台にいると、浮かんでいる心地を味わえるらしい。
「君は会頭の恋人じゃないよね。あそこにいる騎士も違う?」
「そういった人は……いません」
突然話題が変わった。尋ねられたときルーファスの顔が過ったけれど、恋人という関係ではない気がする。だからジルはいないと答えた。青年は物見台からの眺めなど見慣れているから、きっと厭きてしまったのだろう。今も視線は空や海ではなく、ジルに向けられていた。
「よかった。あの大きな剣で斬られたくないからね」
「それは心配な、わっ」
「おっと」
「すみません。揺れにまだ、慣れていなくて」
波にぶつかったのだろうか。船体が大きく揺れ、ジルは足元をふらつかせてしまった。青年が支えてくれなければ、転げ落ちていたかもしれない。こんなに高いところから、心構えもなく落下したら気絶するのは間違いない。そうなると自己回復の制御ができないため、火の大神官や護衛騎士に入れ替わりが露見してしまう。
「このまま支えてようか?」
「ありがとうございます。ご迷惑になるので……降ります」
「オレは大歓迎なんだけど」
社交辞令といった余所余所しさは感じられない。ジルとは初対面にも関わらず、青年はとても親切だった。いつ船が揺れるか分からないため今もジルの背を支えてくれている。明るい声に楽しそうな笑顔。造形は異なるけれど、青年がまとう雰囲気はやはりデリックに似ていた。
「それじゃ、また夜にね」
「はい。よろしくお願いします」
◇
夕食も船長室で摂った。船内ではこの部屋が一番広く、航路の相談などでも使用するそうだ。ジルの座席は変わらずソファの上、ファジュルの隣だ。そして饗された料理も変わらず辛かった。
――でも白い飲み物はおいしかった。
とろりとした液体は漂わせていた甘い香り通りの味をしていた。ジルはそれで辛みを誤魔化しながら完食した。
「二人とも船酔いはないみたいだね」
「船酔い、ですか?」
「陸と違ってずっと揺れてるだろう。感覚をやられちまって寝込むヤツがいるんだよ」
ファジュルは船旅に慣れているのだろう。自信に溢れた笑みを唇に刷いている。セレナも顔色は悪くない。ファジュルに向ける視線が少し硬い気がするけれど。ラシードは遠征で乗船する機会があるのか、いつもの無表情だった。
「気分が悪くなったらいつでもおいで。アタシ手づから介抱してあげるよ」
「魔法があるから大丈夫です。エディ君、まずは私に教えてね」
「ありがとう、ございます」
またしても二人の間で火花が弾けた。ような気がした。そういえばゲームでも、ヒロインと火の大神官の相性は良くなかった。けれどそれは好感度が低い時だけで、親密になれば姉妹、はたまたその先を窺わせるような関係に変化する。
『家族からはそう呼ばれてた』
――ファムって愛称だ。
昼食の時にファジュルが許可した言葉を、ジルはいま思い出した。欠けていた心をヒロインに満たされ、家族に似た愛情を抱いたファジュルは愛称で呼んで欲しいと伝えるのだ。ジルには従者として侍るならと言っていたから、あの時は揶揄われていたのだろう。セレナとファジュルが仲良くなる方法は。
――このままでいいかも。
火の大神官との仲を深めるには、やさしいだけ、肯定するだけではいけない。悪い事はダメだと叱り、嫌なことはちゃんと言う。建前ではなく、本音を伝えるのが大切なのだ。今のセレナはそれができている。ジルが誘導しなくても、二人はいづれ仲良くなるだろう。
気が付けば窓から差し込んでいた夕陽は、月明りに変わっていた。室内には魔石ランプが皓々と灯り、波に合わせてゆらりゆらりと影が振れている。
夕食を終え船長室を辞去したジル達は、船底に用意された部屋へと帰っていた。海上での真水は貴重品で、火は最大限の注意を払う必要がある。だから湯浴みはできない。その代わりにファジュルは体を拭けるよう道具を整えてくれていた。
心遣いが嬉しい。道具のなかにはリングーシー領で使ったものと同じ、小箱に白い花の模様が印された石鹸が含まれていた。
――流行品なのかな?
初めは気が付かなかったけれど、どうにも海の風は長時間あたるとベタベタとしてくるのだ。ジルはこれから柱に登るため、また風にあたる。だから終わってから使おうと手にした石鹸を元の場所に戻した。
別室のセレナには出掛けると伝えておいたから、部屋を留守にしても問題ない。ラシードがジルを尋ねてくることはないだろう。邪魔になる長剣は寝台に置き、ジルは再び甲板へと戻った。




