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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
146/318

145 薄紫と淡黄

「大丈夫です! 自分一人で着替えられます!」


 先ほどのセレナは、この状況に声を上げていたのだ。部屋には色とりどりの衣装が並んでいた。その華やかさに目を奪われている隙に、ジルはケープコートをはぎ取られていた。ボタンの外れたレザーベストを慌てて掻き合わせ、使用人から身を引く。


「それに僕は男です」

「お気遣いは不要にございます。わたくし共は慣れております」

「なれて」

「すべてお任せくださいませ」


 ジルを案内してきた者、部屋で待機していた者。ジルは二人の女性に囲まれていた。エディからみればここにいる使用人たちは異性だ。それへ慣れていると答えた背景は、たぶん追及してはいけない。主にジルの精神保健的に。


「僕が、恥ずかしいので……!」


 使用人の一人が手にした薄紫色の服に着替えればいいのだろう。ジルはするりと服を抜き取り二人の背中を押した。使用人たちを扉の前まで運び姿勢を正す。


「火の大神官様に、お勤めを疎かにしたなんて言いません。ですから、着替え終わるまで外にいてください」

「かしこまりました。着衣方法に迷われた際はお声掛けください」


 ファジュルに告げ口はしないと宣言すれば、使用人たちはやや目を丸くしていた。それから微笑みを浮かべた顔に戻り、服について軽く説明したあと一礼して部屋から出て行った。


 一先ずは切り抜けられたようだ。ほっと息をついて、手にした薄紫色の布を広げる。すでに結ばれている部分を首にかけ、下の両端は体の後ろ、腰で結ぶのだと使用人は話していた。


「これ、これ……」


 着用していた服を脱ぎ、言われた通りに着替えたジルは絶句した。ゆるりと掛かった布は軽く、風をよく通しそうだ。コートに比べれば生地は随分と薄いけれど、透けるといった心配はないだろう。履いたパンツの裾は足首まであるけれどゆったりと広がっており、張り付かない形状は楽だ。しかし、しかしだ。


 ――あき過ぎでは!?


 体の前面はしっかりと覆われているのに、背面には布が無かった。首と腰の結び目以外は、背中も腕も肌が露出している。ささやかな胸でも一応保護する下着はつけているし、自己回復ができるとはいえ、魔物との戦闘を考えると防御面に不安があった。


 なにか羽織るものはないだろうか。吊り下げられた衣装群を掻き分ければ、ちょうど良さそうな上着がみつかった。これなら背中も隠れるし、長袖だから腕も保護できる。手袋をはめ、短剣と長剣を装備し直したジルは部屋の扉をあけた。


 ――どうしたんだろう。


 待たせていた使用人へ声を掛ければ、なぜか二人とも肩を落としていた。それでもおかしな着方だと指摘されなかったので問題はないのだろう。これまで着用していた服は部屋へ運んでおくと言われた直後、隣から扉の開く音がした。


 淡黄色の布がふわりと揺れ、歩みに合わせて桃色の刺繍がキラキラと瞬く。足元を覆い隠すスカートは胸元で切り替えが入っており、それより上は体に沿って首までを覆っていた。袖のない腕には長手袋、肩からは薄いストールが垂れている。


「とても綺麗です。まるで聖女、さま……みたいです」

「ふふ。エディ君も、とっても可愛い」


 まるで、ではなくセレナは本物の聖女だった。言葉の後半は、いつも以上に抑揚が無くなってしまった。そんなジルをみて、セレナは水蜜色の目を細めている。結い上げられた淡紅の金髪は涼やかで、首にはネックレスが飾られていた。紅いメノウに、精巧な浮き彫りの鳥が一羽とまっている。


 ――聖女様じゃなくて、女神様かも。


 ゲームにこの衣装をきたセレナは出てこなかった。役得と表現するのは違う気がするけれど、得をした気分だ。ため息を落とさんばかりに見惚れていると、案内役の使用人から移動を促された。


「昼食の準備が整っております。どうぞこちらへ」


 そうして案内された先は船底の上、甲板に設けられた船長室だった。海上の景色を楽しめるのは、まだ先のようだ。


「二人とも似合ってるじゃないか」


 席で待っていたファジュルは満足そうに笑み、使用人に料理を運んでくるよう指示を出した。布張りの大きなソファに、一人掛けの椅子が三脚。その中心にはテーブルが置かれている。


「ジル、じゃないエディだったね。あんたはこっちに座りな。セレナはアタシの向かい側だ」

「失礼します」


 ここで断り変に勘繰られてはいけない。ジルは大人しくファジュルの隣、ソファに腰掛けた。セレナも指定された椅子に座っている。なにも言われていないラシードは立ったままだ。


「火の大神官様、バクリー騎士様はどちらの席に……」

「ファジュル」

「?」

「ジルにはそう呼ばせてる。あんたも同じように呼びな。あるいは」

「わっ」


 急に腰を引き寄せられた。体勢を崩したジルは、ファジュルに寄りかかってしまった。頬にやわらかなものが当たっている。圧倒的な質量のそれはジルの胸元にはないものだ。そのまま視線を上に移動させれば、紅玉の瞳が近づいてきた。


「このまま侍るならファムでもいいよ。特別に許そう」


 ――この言葉、どこかで聞いたことあるような。


「ダメです。エディ君は私の従者です!」

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