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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
142/318

141 返事と仮定

 ジルは耳を疑った。目線の少し下にある深緑の瞳は、真っ直ぐにこちらを見ている。今更デリックが姉弟を混同するとは思えない。ソルトゥリス教会は同性での婚姻を認めていないため、弟に求婚したということは。


 ―― 一緒に住もうってことかな。


 ジルとエディは仲が良い。そのことを知っているデリックは寛容にも、姉の面倒もみると申し出てくれたのだろう。なぜ今ここで告げたのかは分からない。けれどこの赤茶髪の騎士は、ジルに求婚したときも突然だった。きっとこういう性格なのだろう。


 入れ替わりの件がなければあの日、ジルはデリックの申し込みを受けていた。それだけ、十五歳の時に寄宿舎でかけられた言葉が嬉しかったのだ。


 先程などはデリックがあまりにも喜んでおり、ジルは恥ずかしくなってしまった。神官見習い、それに向き合った神殿騎士。自分へと向けられる眼差しを、第三者の視点からみる機会など普通は無い。深緑の瞳は、分かり易いほどの好意で輝いていた。


 けれどデリックは今、エディを選んだ。


 専属従卒に就いていたのは一週間にも満たない。しかしエディと過ごした時間は、数回会っただけのジルよりもよほど長いのだ。弟はやさしくて思いやりに溢れている。デリックが惹かれるのもよく理解できた。


 ――これは私が返事しちゃダメだ。


 申し込まれている本当の相手、ジルに扮したエディへと目を向ければ。


 ――ダメ……かな?


 無だった。喜怒哀楽なにも見えない。エディは表情の起伏が少ないけれど、無いわけではない。一緒に暮らしていたジルは、弟の感情は読み取れるつもりだった。これは恐らくたぶん、断るのが正解だろう。意思を代弁するため視線をデリックに戻せば、エディの声が耳に入ってきた。


「弟は、教皇様の直属です。勝手に任務から外れることは……できません」

「ダーフィ猊下に直談判か」


 デリックは真剣な面持ちで黙り込み、いつもの明るい調子は鳴りを潜めてしまった。まさか道筋を探しているのだろうか。


 演習場の高い塀を越えて、さわさわと葉擦れが流れてくる。リングーシー領とは違う教会領のひんやりとした風が、ジルの髪を浚う。


 姉弟一緒ならデリックと暮らすのも嫌ではない。けれどそれは虫のよすぎる話だ。ジルは、ルーファスの責任をとらなくてはいけないのだから。


 それになによりも当初の目的である弟の死亡回避は道半ばで、セレナを聖女から解放するという新しい目的も加わった。たとえエディがデリックの言葉を受け入れたとしても、ジルは共に行けない。


「よし。駆け落ちしよう!」

「騎士が非行を唆すな」


 すべてを投げうった楽観的な声に、棘のような声が突き刺さった。


 岩の如き恰幅の騎士が、デリックの背後に立っている。抱えられたジルと近い位置にある焦茶色の目は、据わっていた。


 ◇


 団長の子供を捉まえて、デリックが北方騎士棟の出入口を塞いでいる。部下からそんな話を聞いて迎えに来たのだとウォーガンは話した。ここでは注目を集めるからと、執務室に場所を移したのだけれど。


「オレは真剣です」


 叱り終えた神殿騎士団の団長は、副隊長の退出を許可した。にもかかわらず、デリックはその場から頑として動かない。座ったウォーガンから目を離さず、執務机の前で直立していた。反抗されるとは思っていなかったのだろう。一瞬、室内の空気が薄くなった気がした。


「望んでいない者を連れ出す行為は誘拐、犯罪だ」

「まだ本人の口から聞いていません」


 ウォーガンから深いため息が吐き出された。疲れた様子でこめかみを抑えている。そんな二人の様子を、ジルとエディは応接ソファから見守っていた。今は焦茶と深緑、四つの瞳がこちらを見ている。


 先ほどのエディは否定的だった。だから弟に扮したジルの答えは。


「申し訳ございません。ヘイヴン副隊長様のお誘いには、お応えできません」


 ソファから立ち上がり、赤茶髪の騎士に向けて頭を下げた。姿を偽っているけれど、結果的にジルは三回デリックの想いを断った。ようやく就けた副隊長、神殿騎士の地位を捨ててもいいとまで言ってくれたのに。


「任務の途中放棄は、したくありません」

「任務がなかったら受けてくれた?」


 どうなのだろうか。ジルは隣に座ったエディへ首を傾げた。今度の感情は読み取ることができた。


「仮定の話で、弟を困らせないでください」


 エディの声と表情には、憐憫と呆れが覗いていた。今にもため息をつきそうな様子だけれど、ジルの恰好をしているからそこは我慢したのだろう。


「オレも協力する。だから全部済んだら、もう一度訊かせて」


 ジルの傍でデリックが膝をついたと同時に、二つのため息が落ちてきた。どうやら我慢できなかったようだ。


 エディが申し込まれているとはいえ、家族の前でこうも迫られるのはなんとも居心地が悪かった。

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