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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
141/318

140 形成と慣習

視点:デリック

「魔物調査はどうだった。上級ランクには遭わなかったか?」

「風の大神官様、それにバクリー騎士様もご一緒だったので……滞りなく終えました」


 頭の後ろから抑揚の少ない声が返ってきた。担いだ時は手足をバタつかせていたが少女、姉が許可を出したことで諦めたらしい。遠征に出てもエディの最優先は変わらないようだ。


 ――まあ、三ヶ月しか経ってないしな。


 一度形成された性格はそう変わらない。変わらないはずなのだが。北方騎士棟を目指し演習場を突っ切っていると、干し物のように垂れ下がっていたエディが小さく息を詰めた。

 

「悪い。苦しかったか」

「大丈夫です」


 肩から落とさないよう、デリックはしっかりとエディの腰を押さえていた。それが体を圧迫してしまったのだ。デリックは足を止め、空いたほうの腕をエディの両足に添える。


「ちょっとずらすぞ」

「え、わっ」


 自身の上体を傾ければ、小柄な体は簡単に落ちてきた。片腕に座らせたら抱えやすいよう重心を整える。少し高い位置に落ち着いた頭を見上げれば。


 ――くっそ可愛いんだよなあ。


 疲労が残っているせいもあるのだろう。エディにしては珍しく紫の瞳を泳がせ、動揺を露わにしていた。肩へ担ぐ前にみせた表情もそうだった。気まずそうに頬を染めた姿に堪らず手を伸ばしてしまった。


「これなら楽だろ」


 控えめに頷く動きに合わせて、銀色の髪が流れる。遠征で邪魔になるから短くしたのだろうが、毛先によって細い首が強調されており。


「次の出発はいつだ?」


 デリックは視線を前に戻し移動を再開した。これ以上は危険だ。自分が好きなのはジルで、エディは可愛い弟分だ。形成された己の好みは変わらない。変わっていないはずだ。


「明日、日の出に発ちます」

「明日!? お前、オレより忙しくないか。上の管理どうなってんだ。こんなんじゃジルも心配だろ」

「はい、とても」


 やや後ろにいる少女へと視線を移せば、弟を真っ直ぐに見上げていた。久方振りと一言で片付けるには長い期間だったが、三ヶ月前まで双子のようなエディと顔を合わせていたからだろうか。逢えた喜びは大きい。しかしそれ以上の高揚感は湧かなかった。一年逢わないだけで、少女への情は薄れてしまったのか。


 ――弟が心配で、それどころじゃないよな。


 デリックは自分が単純だと分かっている。少女が心から笑んでくれたなら。それだけでいとも容易く先の推論は吹き飛んでしまうのに。


 憂いを浮かべた少女の口数は少ない。夜気を含んだ神官見習いの法衣を揺らし、粛々とデリックの後についていた。暗いのは、陽が沈んだせいばかりではないだろう。なにか気分を晴らす話題はないだろうか。


 記憶を引っ掻きまわしたデリックの頭に、先ごろ赴いた魔物討伐が浮かんだ。


 遠征先には綺麗な花畑があった。むさ苦しい男所帯に嫌気がさしたのか、いや、魔がさしたのだ。騎士仲間の一人が誘われるようにふらふらと花畑に踏み込んだ。すると擬態していた魔物に。


 ――やめとこう。男共には笑い話でも二人に聞かせるもんじゃない。


 酒場で話すようなネタはあれど、女子供が喜びそうな話題は思い当たらなかった。対象が少女となれば尚更分からない。と思ったが、一つだけあった。


 目の前にある北方騎士棟の扉をくぐる前に、デリックは振り返る。どうしたのかと見上げてくる少女の心は少しでも晴れるだろうか。


「オレの専属従卒の枠は空けとくから。そこは安心して」

「あ、……はい。ありがとうございます。弟も喜びます」


 明るさを意識した声に笑顔を乗せれば、釣られたように少女の顔も綻んだ。細められた紫の双眸、月夜に映えた銀髪は綺麗だ。綺麗なのだが、何かが足りない。何が足りないのかと不思議に思いつつ、片腕に座らせたエディにもデリックは声を掛ける。


「戻ってきた時のことは心配しなくていいからな。しっかり務めてこいよ」

「はい。ありがとうございます、ヘイヴン副隊長様」


 少し見上げた先で、少女と同じようにエディの顔も綻んでいた。細められた紫の双眸、月夜に映えた銀髪は綺麗だ。綺麗なのだが、今度は湧きすぎた。


 遭遇時はよく似た人間や夢じゃないかと疑い、思わず触ってしまった。軽くはたく程度だったが確かに違ったのだ。エディを肩に担いだ時だって、腰の位置に違和感があった。


 ――慣習ってのは恐ろしいな。


 女性だから髪は長い。神官見習いだから灰色の法衣を着ている。聖神官は剣なんて持たない。魔物と戦えるわけがない。デリックは違和感の正体を突き止めるでもなく、気のせいだと流していた。


「なあ、結婚しよ?」

「「はい?」」


 気が付けば口から出ていた。良く似た不可解そうな声、二つの姿がデリックを見ている。


「オレ、二人を養えるくらいの甲斐性はあるつもりだし」

「急になにを」

「騎士やめて、教会領から出てもいい」


 明らかに好意を抱いている大神官達。一度は専属従卒の試験を行ったラシード。上級ランクの魔物が出現する地域。先ほどは激励したが、そんなところへ送りだせるわけがない。


 デリックは瞬きを繰り返す少女、己の片腕に座ったジルを真っ直ぐに見詰めた。

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