138 ヒロインと姉弟
視点:セレナ
リシネロ大聖堂に転移したセレナを待っていたのは、教皇の近侍だった。故郷であるリッサの町から教会領に来たとき世話をしてくれた人だ。
風の神殿に入れる日は決まっているから、帰還日を予測して待っていたのだろう。儀式の報告をと思い近づいたら、もう済んだと言われてしまった。この場にいる、転移陣を使えたのが報告だ、と。
詳細は風の大神官に訊くから、明日の出発に備えて体を休めるようにとセレナは言われた。教皇の近侍に外出許可を求めれば行き先を尋ねられた。従者の姉がいる寄宿舎へ行きたい。セレナのその希望は、護衛騎士を同行させる条件付きで認められた。
「初めまして。セレナ・クラメルです」
「ジル、ハワードと申します。弟が、お世話になっています」
セレナが自己紹介をすれば、神官見習いに扮した少年は挨拶を返してくれた。二人きりで話したいと希望したからだろう。セレナに向けられた紫の瞳は硬く、とても警戒されているのが分かった。
自室だと通された部屋は閑散としていた。室内を彩るような飾りや小物はなく、二つある寝台のうち一つは床板がみえていた。
窓の外では陽が暮れはじめている。ジルは父親がいるという神殿騎士団に行きたいと話していたから、手早く済ませなくてはいけない。
「私、教皇様と同じくらい偉いらしいんです」
「……」
「だから安心してください!」
胸を張ったセレナの言葉に、少年の瞳が揺れた。でもそれ以上の変化は無かった。絹のような銀糸の髪に、澄んだ声。姿形はそっくりなのに雰囲気はまるで違う。この調子で、どうして周囲に気付かれないのか不思議だ。
「なんの、お話でしょうか」
「お姉さんが従者をしているお話です」
入れ替わりを知っている、教会に告げ口するつもりはないとセレナは断言した。すると、少年の警戒はますます強くなってしまった。観察するような目を、じっとセレナに向けている。その姿はまるで人に馴れていない猫のようで。
――かわいい。
思わず口元が緩んだ。その表情が何か悪だくみを考えているように映ったのかもしれない。少年の片足が退いた。強張った全身に逆立つ銀色の毛が見えるようだ。
――仲良くなるには時間がかかりそう。
セレナは当初、少年に会ってみたいだけだった。性別を偽り、危険な儀式に同行してまでジルが護ろうとする弟とは、どんな子なのだろう、と。でもジルと接するうちに、護られる度に、自分も力になりたいという想いが強くなっていった。
「エディ君を護るためであり、私を助けるためでもあるって。だから、教会のことは私がなんとかします!」
「でしたら、従者の任を解いてください」
「そ、れは……ごめんなさい。契約は、私では解けません」
任せて欲しいと豪語した舌の根の乾かぬうちに、自分の無力さを思い知らされてしまった。少年は答えを知っていたかのように、何の反応も示さない。目の前にいるのはジルではないと判っている。それでも冷めた目を向けられるのは、つらいものがあった。
「今すぐに私を信じて欲しいなんて、いいません。でもひとつだけ、聞いて欲しいです」
唇は固く結ばれ、眉はぴくりとも動かない。それでもセレナは塑像のような少年から視線を逸らさずに言葉を続ける。
「笑顔で、迎えてあげてください。ジルさんに戻れる場所は……ここしかないんです」
「っ」
部屋に入って初めて、少年の顔に大きな変化があった。石膏の額に朱を差し、唇を噛んでいる。セレナに刺さっていた視線が下に落ち、紫の瞳が陰った。
姉弟の間になにがあったのかセレナは知らない。でも声がしたあと、ジルと同じ顔をした神官見習いが飛び出してきたのだ。諍いの類があったのだと察せられた。
「ジルさんを呼んできますね」
少年から否やはなかった。セレナと妹は歳が離れているからか、ケンカをした記憶がない。だから仲直りの方法はこれが正しいのか分からない。それでも。
◇
表向きは笑顔を保ちながら、セレナの心はふるふると打ち震えていた。お節介を焼いて良かった。
――猫ちゃん達が寄り添ってるみたい。
信用ならない人間がいては話しづらいだろう。そう思ったセレナは、ラシードと一緒に廊下で待機していたジルを部屋に引き入れ、自分は退出していた。
「姉をご紹介するはずが、仲裁していただくなんて」
「先ほどは、失礼いたしました」
お待たせしましたと開かれた扉の先には、同じ表情の従者と神官見習いが立っていた。申し訳ないと二つの頭が下がり、ありがとうございましたと同時に目元がやわらいだ。
「仲良しが一番ですよね。ご一緒の姿が見られて、私も嬉しいです!」
こうして観ると姉弟は似ていた。ジルが少年に合わせている部分もあるけど、大きなところは。
――お姉さんのために、頑張って猫被ってるんだ。
ジルが必死になって護ろうとしている理由の一端に、セレナは触れた気がした。




