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傾界の聖女  作者: たま露
【火の領地 編】
138/318

137 転移陣と留守番

 部屋の中心に描かれた複雑な文様。転移陣と呼ばれるそれは、リシネロ大聖堂から各領地の聖堂へと一瞬で運んでくれる遺失魔法だ。


「魔法陣からはみ出さないように気を付けてください。片足だけ迷子、なんてことになりますから」

「「はぃっ」」


 さらりと恐ろしいことを告げたルーファスに、ジルとセレナは素早く応じた。石床に刻まれた魔法陣の中心へと足を進める。一度に入れるのは四、五人といった大きさだ。全員の立ち位置を確認したルーファスはセレナへと視線を移した。


「セレナ神官、転移陣に魔力を注いでください」


 初めての転移で緊張しているのか、先ほどの注意が心象に残っているのか。セレナは顔を強張らせている。何度か深呼吸を繰り返したあと掌から光が生まれ。


 ――お、落ちる!?


 魔法陣が発光したと思ったら底が抜けたような浮遊感に襲われた。しかしそれは一瞬で、今はしっかりと床に立っていた。周囲の景色は風の聖堂と似ているけれど、部屋の広さが異なる。この場所には四つの転移陣が刻まれていた。


「皆さん、お疲れ様でした」


 風の聖堂からリシネロ大聖堂へ。リングーシー領で儀式を終えた聖女一行は、教会領へと帰ってきた。


 ◇


「ただいまー!!」

「え、わっ」


 自室の扉を勢いよく開けたジルは、そのままエディに抱きついた。三ヶ月振りの再会だ。こんなにも長い期間、二人は離れたことがなかった。ジルは両腕のなかに収めた弟の様子を確認する。熱は出ていない。呼吸は。


「どうしたの?! どこか痛いの?!」


 エディの息が止まっていた。見えない所に傷があり、押さえ付けてしまったのではないかとジルは焦った。腕を解き、弟の顔を覗き込む。パチパチと瞬きを繰り返していた目は見る間に角度が上がっていき。


「それはこっちの……! ケガは? ちゃんと、眠れてたの? ご飯は? 魔物とか、危ないこととか。なんで言って、本当にっ、心配で」


 吊り上がっていたエディの眦は、言葉が吐き出されるたびに下がっていった。責める声も段々と小さくなり、最後はジルの肩上にぽつりと落ちてきた。


 強く握り込まれたケープコートには、くしゃりと大きな皺ができている。背中まで伸びた銀髪は小さく揺れており。


 ジルはもう一度、エディを抱きしめた。安心させるように、ゆっくりと背中をさする。


「大丈夫。心配してることは何も無かったよ。お留守番、ありがとう」

「……次は」

「次? ガットア領で、明日の朝出発」


 だからジルは今、めいっぱい心の補充をしていた。寄宿舎の次は北方騎士棟に行き、夜は宿泊棟に一泊する。エディと逢える時間は限られているのだ。


「僕が行く」

「それはダメ」

「何も、なかったんだよね? それなら僕が行っても、大丈夫でしょ」


 ジルの肩から離れたエディの目元はほんのりと赤い。ジトりと据えられた紫の瞳には、強い意志が感じられた。何も無かった、色々あった、どう答えてもエディは同じ宣言をしただろう。


「エディが行くなら、私は教会に告白する」


 避けられないのは分かっていた。だから卑怯な手を選んだ。ジルの弱点が弟であるように、エディの弱点は。


「っ、姉さんなんて大嫌いだ……!!」


 張り上げられた声には怒りが滲み、睨みをきかせた眼差しには悔しさが覗いていた。起伏の少ない表情に声。そのどちらもが今のエディにはなかった。発露した感情はまだまだ鎮まらないようで、ジルが口をひらく間もなくエディは部屋から飛び出していった。


 弟に嫌いと言われたのは初めてだった。自分を質にすれば、姉想いのエディは要求を飲まざるを得ない。怒られるのは覚悟していたから衝撃は少ないけれど。


 ――“大”がついてた。


 ただの嫌いではない、大嫌いだ。これは想定外だった。頭の上から足の裏にまで長い杭を打ち込まれたようで、ジルはすぐに動けなかった。


 しかし時間は有限だ。それに寄宿舎の外に。


 ――セレナ神官様を待たせてた!


 エディに続きジルも部屋から飛び出した。姉弟で積もる話もあるだろうからと、セレナは気を遣ってくれたのだ。話が落ち着いたところで弟を紹介する予定だった。


「この方がエディ君のお姉さん、ですね?」

「は、はい」

「そっくりで、すぐに判りました」


 規則も忘れて全速力で駆けていたジルは、飛び込んできた光景に急停止した。先に自室から出て行ったエディが、セレナと一緒にいたのだ。厳密にいえば護衛騎士に捕まっていた。拘束はされていないけれど、進路には威圧感が立ちふさがっている。


「下がっても、宜しいでしょうか」

「エディ君。お部屋で少し、お姉さんとお話をしてもいいかな?」


 声の抑揚はいつもの静かな調子に戻っていたけれど、かえってその様子がとても不本意だと告げていた。そんな弟とは対称的にセレナの声はやわらかだ。ジルが頷き承諾の意を示せば、淡紅の金髪は花びらが舞うように揺れた。

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