136 手合わせとケンカ
顔にかかる光が眩しい。気が付けばジルは寝台の上にいた。
ルーファスの許可を得て擁き、途中で瞼が重たくなって、耐えて。そこから先の記憶が無かった。部屋に戻っているということは、ルーファスが運んでくれたのだろう。
――お礼を言わなくちゃ。
今は何時だろうとジルは時計を確認し。
――外が明るい!?
窓を見て跳ね起きた。レザーベストを着て枕の下から短剣を取り出す。靴と手袋をはめたら長剣を掴みジルは部屋から飛び出した。
急いで教会の外に出れば、日課を済ませたラシードとかち合った。いつもなら空が白んだころに素振りは終わっている。
「申し訳ございません! 寝過ごしました!」
「取り決めた覚えはない」
下げた頭に重低音が降ってきた。ラシードが指摘したように約束を交わしたわけではない。けれど空はすっかり青くなっている。ジルを待ってくれていたに違いない。手合わせから逃げているなか、素振りまで避けていると思われたくなかった。
「僕は、ご一緒に鍛練したいです。バクリー騎士様の、ご迷惑でなければ……ですけれど」
「剣を抜け」
顔を上げたジルの眼前に、大きな剣先が突き付けられていた。丹念に砥がれた刃はなめらかで、とても美しい。朝露のような光が、刃先の上から流れ落ちてきた。
幅広の剣身、長い腕の先には、鋭く尖った気配があった。褐色の肌から覗く熾火の瞳に、口先だけだろう、そう言われている気がした。
セレナの聖魔法なら弾かない。それが判明した今、ジルが躊躇う理由はなにもなかった。見下ろしてくるラシードに視線を合わせたまま、剣の柄に手を掛ける。
「ご指南、お願いいたします」
護衛騎士の大剣に長剣を並べた。剣も体も、ジルのほうが圧倒的に小さい。当然こちらの剣先はラシードに届かない。それでも癇に障るところがあったのだろう。鈍色の眉は中央に寄った。
示し合わせたように二つの剣が同時に離れた。互いに視線を刺したまま後退り、間合いをとる。風が肌を撫でたとき。
「ケンカをする人は朝ご飯抜きです!」
芯の通った可愛らしい声に一剣両断された。声の方、扉口へそろりと視線を移せば、眉を吊り上げたセレナと目があった。ケンカではなく、手合わせなのだけれど。
――朝ご飯は食べたい。
弁明は得策ではないと勘が言っている。それに護衛騎士とは次の領地でも一緒なのだ。手合わせの機会はいくらでもあるだろう。
ジルはするりと長剣を収めた。その姿をみてラシードも諦めたのか、大剣を背に戻していた。
◇
厚切りのハム。ジャガイモとニンジンを煮てつぶしたもの。ミルクにチーズ、パン。葉野菜の添えものもあり、テーブルは彩り鮮やかだ。
調理場からは甘くて辛いというのだろうか。不思議な芳ばしい香りが漂ってくる。
「保存のきかない食材は荷物になりますから」
「シナモンビスケットは、帰り道のおやつです」
備蓄されていた保存食と、持ち込んだ食材。それらを合わせた朝食が並んでいた。調理の合間、セレナは菓子まで作っていたらしい。
――手合わせをしなくて良かった。
あのまま戦っていたら、ジルは朝食どころか焼き菓子まで失うところだった。四人の食事はいつも通り和やかに進んだ。セレナから心配の声が上がるまでは。
「どうしてケンカをしてたんですか?」
「ケンカ?」
「あれは、お手合わせを」
制止するセレナの声をルーファスは聞いていなかったようで、怪訝な顔をしている。問われた以上、黙っているのも変なので説明しようとジルが口を開けば。
「お二人とも、訓練剣は携帯していませんよね?」
穏やかだけれど、やわらかくない声音だった。悪い事はしていないのに、どうしてかジルの目は泳いだ。ラシードの顔は正面に向いたまま無表情だ。
「騎士の本分は魔物討伐、民を護ることだ。そう仰ったのは、エディ君のお姉さんだったでしょうか」
「…………はい」
「神殿騎士団では、戦場で模擬戦を行うのでしょうか」
「分別を欠いておりました」
風の聖堂には衛兵や救護員がおり、緊急事態に備えている。しかしここには四人しかいない。回復魔法を持つセレナがいるとはいえ、二人がケガをした時に魔物の襲撃があったらどうするのか。そうルーファスから叱れてしまった。
「今後、聖魔法の実地訓練は必要ですか? セレナ神官」
「えっ、んー……昨日ちゃんと治せたので、なくても大丈夫です!」
不意に水を向けられたセレナは肩を跳ねさせたあと、自信いっぱいに宣言した。ルーファスはその返答に頷き微笑んでいる。
「お聞きの通り、実地訓練それに付随した手合わせは、今後一切不要です」
「え」
ラシードは声を漏らさなかったけれど、ジルと同じようにルーファスを見ていた。初めこそ逃げていたけれど、手合わせは実力を測るいい機会なのだ。懸念が解消された今、ジルは護衛騎士と剣を交えてみたかったのだけれど。
――昨日、途中で寝ちゃったから……怒ってるのかな。
反論は一切受け付けない。そんな気配をまとったルーファスは、穏やかな声でジルとラシードに承諾を求めてきた。




