135 懺悔と褒美
セレナに就寝の挨拶を告げたジルはその足で、一階にある小さな祭壇へと向かった。
月明りに照らされたステンドグラスが、薄闇におぼろげな色を灯している。足のしたで、板張りの床が小さくきしんだ。いつから居たのだろう。一つしかない長椅子に座った人影が、こちらを振り向いた。
「礼拝ですか?」
「どうでしょうか」
隣に座ってジルが問えば、曖昧な言葉通りの表情でルーファスは答えた。
好感度が基準値に達していれば、ここで風の大神官からヒロインへの告白が行われる。その告白を終え、かつ親密になっていれば、風の聖堂であの想いを伝えるのだ。
『僕はずっと、貴女の傍にいます』
これは、魔物に故郷を滅ぼされたヒロインに向けた言葉だ。本来はジルが受けるものではない。けれどジルは、それを絡めとった。
教会領に戻り次の領地へ渡れば、ルーファスとはしばらく顔を合わせないだろう。
「懺悔していたのでしたら、どうぞ告発ください」
「誓いに偽りはありません」
「ではなぜ、ルーファスはそんな顔をしているのでしょうか?」
眉は八の字に垂れ、何かを堪えるように口元は引き結ばれていた。教えてくださいと首を傾げてみれば、ルーファスの手が頬に触れた。
「危ない事はしないでください。そう言っても、貴女は頷いてくれないのを知っていますから」
消えた頬の傷をなぞった指先は、さらに奥へと差し込まれた。手の動きに合わせて、ジルの横髪が流れる。
「僕も作っておけば良かったです」
視線は、橙と茶が揺蕩うイヤリングに落ちていた。魔法石を掬ったルーファスの手に、ジルは頬を寄せた。予想外だったのだろう。表情が固まった。その手にジルは、自身の手を重ねる。
「この魔法石の対価は、膝枕でした。安過ぎますよね」
笑いを漏らせば、ルーファスの瞳はますます萎れた。その姿に構わずジルは続けて言葉を紡ぐ。
「儀式には随行して欲しくないそうです。ですから、我慢してくださったらご褒美をあげる、とお約束しました」
「えっ」
ジルは重ねていた手を離し、ルーファスの頭を撫でた。ふわふわとやわらかな髪が指先に絡まり、解けていく。
「ご褒美。ルーファスは何が欲しいですか?」
傍に在りたいという想いを対価に、ジルは魔王の封印に関する情報を要求した。しかし儀式で他領にいる間は傍にいられない。だからルーファスには、我慢してもらう必要がある。
瞬きを繰り返していた緑色の瞳が、そろりと揺れた。
「クレイグ大神官は、なんと……」
「それは内緒です」
「そう、ですよね。失礼いたしました」
ルーファスの声は尻すぼみになっていった。それから何も喋らない。欲しいものを探しているのだろう。渡せるものは多くないけれど、できる限り応えたい。落ち着いて考えられるよう、ジルはルーファスの頭から手を離した。
神殿はもう暴風によって閉ざされたのだろうか。月影を透したステンドグラスは黙したまま、ただそこに浮かんでいる。ここに時計はないから今の時刻は分からないけれど。
――夜が明けたら、エディに逢える。
ゲームの通りなら教会領には一泊しかできない。また三ヶ月頑張れるように、しっかりと心の補充しなければ。そういえばセレナは弟に会いたがっていた。聖女を寄宿舎に連れて行っても問題はないのだろうか。しかし今は神官に扮しているから、と思考が至ったところで、ジルの隣に座った神官が顔を上げた。
「なにも、いりません」
いつもの穏かな声。下がった眉尻。言葉にした今も迷っているのかもしれない。困ったように笑んだルーファスを、ジルは初めて愛しいと感じた。
この想いが、弟や義父に抱くものと同じなのか違うのか、よく分からない。
「では先に、少しお渡ししておきます」
「っ」
長椅子から立ち上がったジルはルーファスを抱きしめた。
自分の傍にいることが対価になるのなら、この行為にもきっと価値があるはずだ。座ったルーファスの肩上から、背中に腕を回す。短くなった後髪が前に流れて、首に当たる空気が少しくすぐったい。
「離れる分、蓄えておきましょう」
「これは、あの……ちょっと、」
知らずのうちに力が籠っていたのだろうか。耳元で戸惑いに満ちた声が上がった。ジルは慌てて両腕を解く。
「すみません。苦しかったでしょうか。それとも不快に」
「はい。いいえ! 違います!」
――どっちだろう。
「心構えが、できていなかったものですから……。不快など、ありえません」
無価値ではない。迷惑ではなかったことに、ジルはほっと息をついた。
つい家族のように接してしまった。確かに急に抱きついたのは良くなかった。ひつじの寝床でルーファスに抱きしめられたとき、ジルも同じように驚いた。長椅子に座り直し、俯き加減の顔を覗き込む。
「落ち着いたら教えてください。まだ、足りませんよね?」
ジルなら足りない。ぎゅっと抱きしめて、ひとしきり頭を撫でて。エディにため息をつかれるまでが一揃いだ。控えめながらもルーファスから返事があったことで、ジルの基準は肯定された。
――座ったままでもいいかな。
先ほどの姿勢は高低差があり、少し窮屈だった。次はちゃんと確認しよう。ジルがその問い掛けをしたのは、睡魔が顔を覗かせたころだった。




