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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
136/318

135 懺悔と褒美

 セレナに就寝の挨拶を告げたジルはその足で、一階にある小さな祭壇へと向かった。


 月明りに照らされたステンドグラスが、薄闇におぼろげな色を灯している。足のしたで、板張りの床が小さくきしんだ。いつから居たのだろう。一つしかない長椅子に座った人影が、こちらを振り向いた。


「礼拝ですか?」

「どうでしょうか」


 隣に座ってジルが問えば、曖昧な言葉通りの表情でルーファスは答えた。


 好感度が基準値に達していれば、ここで風の大神官からヒロインへの告白が行われる。その告白を終え、かつ親密になっていれば、風の聖堂であの想いを伝えるのだ。


『僕はずっと、貴女の傍にいます』


 これは、魔物に故郷を滅ぼされたヒロインに向けた言葉だ。本来はジルが受けるものではない。けれどジルは、それを絡めとった。


 教会領に戻り次の領地へ渡れば、ルーファスとはしばらく顔を合わせないだろう。


「懺悔していたのでしたら、どうぞ告発ください」

「誓いに偽りはありません」

「ではなぜ、ルーファスはそんな顔をしているのでしょうか?」


 眉は八の字に垂れ、何かを堪えるように口元は引き結ばれていた。教えてくださいと首を傾げてみれば、ルーファスの手が頬に触れた。


「危ない事はしないでください。そう言っても、貴女は頷いてくれないのを知っていますから」


 消えた頬の傷をなぞった指先は、さらに奥へと差し込まれた。手の動きに合わせて、ジルの横髪が流れる。


「僕も作っておけば良かったです」


 視線は、橙と茶が揺蕩うイヤリングに落ちていた。魔法石を掬ったルーファスの手に、ジルは頬を寄せた。予想外だったのだろう。表情が固まった。その手にジルは、自身の手を重ねる。


「この魔法石の対価は、膝枕でした。安過ぎますよね」


 笑いを漏らせば、ルーファスの瞳はますます萎れた。その姿に構わずジルは続けて言葉を紡ぐ。


「儀式には随行して欲しくないそうです。ですから、我慢してくださったらご褒美をあげる、とお約束しました」

「えっ」


 ジルは重ねていた手を離し、ルーファスの頭を撫でた。ふわふわとやわらかな髪が指先に絡まり、解けていく。


「ご褒美。ルーファスは何が欲しいですか?」


 傍に在りたいという想いを対価に、ジルは魔王の封印に関する情報を要求した。しかし儀式で他領にいる間は傍にいられない。だからルーファスには、我慢してもらう必要がある。


 瞬きを繰り返していた緑色の瞳が、そろりと揺れた。


「クレイグ大神官は、なんと……」

「それは内緒です」

「そう、ですよね。失礼いたしました」


 ルーファスの声は尻すぼみになっていった。それから何も喋らない。欲しいものを探しているのだろう。渡せるものは多くないけれど、できる限り応えたい。落ち着いて考えられるよう、ジルはルーファスの頭から手を離した。


 神殿はもう暴風によって閉ざされたのだろうか。月影を透したステンドグラスは黙したまま、ただそこに浮かんでいる。ここに時計はないから今の時刻は分からないけれど。


 ――夜が明けたら、エディに逢える。


 ゲームの通りなら教会領には一泊しかできない。また三ヶ月頑張れるように、しっかりと心の補充しなければ。そういえばセレナは弟に会いたがっていた。聖女を寄宿舎に連れて行っても問題はないのだろうか。しかし今は神官に扮しているから、と思考が至ったところで、ジルの隣に座った神官が顔を上げた。


「なにも、いりません」


 いつもの穏かな声。下がった眉尻。言葉にした今も迷っているのかもしれない。困ったように笑んだルーファスを、ジルは初めて愛しいと感じた。


 この想いが、弟や義父に抱くものと同じなのか違うのか、よく分からない。


「では先に、少しお渡ししておきます」

「っ」


 長椅子から立ち上がったジルはルーファスを抱きしめた。


 自分の傍にいることが対価になるのなら、この行為にもきっと価値があるはずだ。座ったルーファスの肩上から、背中に腕を回す。短くなった後髪が前に流れて、首に当たる空気が少しくすぐったい。


「離れる分、蓄えておきましょう」

「これは、あの……ちょっと、」


 知らずのうちに力が籠っていたのだろうか。耳元で戸惑いに満ちた声が上がった。ジルは慌てて両腕を解く。


「すみません。苦しかったでしょうか。それとも不快に」

「はい。いいえ! 違います!」


 ――どっちだろう。


「心構えが、できていなかったものですから……。不快など、ありえません」


 無価値ではない。迷惑ではなかったことに、ジルはほっと息をついた。


 つい家族のように接してしまった。確かに急に抱きついたのは良くなかった。ひつじの寝床でルーファスに抱きしめられたとき、ジルも同じように驚いた。長椅子に座り直し、俯き加減の顔を覗き込む。


「落ち着いたら教えてください。まだ、足りませんよね?」


 ジルなら足りない。ぎゅっと抱きしめて、ひとしきり頭を撫でて。エディにため息をつかれるまでが一揃いだ。控えめながらもルーファスから返事があったことで、ジルの基準は肯定された。


 ――座ったままでもいいかな。


 先ほどの姿勢は高低差があり、少し窮屈だった。次はちゃんと確認しよう。ジルがその問い掛けをしたのは、睡魔が顔を覗かせたころだった。

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