132 風の神殿
「ここ……本当に渡るんですか?」
「今は風が止んでいますから、落ちる心配はありません」
胸の前で両手を握り、ふるふるとセレナが怯えている。その隣でルーファスは、にこりと微笑んでいた。
風の神殿は、切り立った崖の上に建っていた。
塔のように伸びた崖。その周囲には空洞が広がっている。その空洞は鈍色の岩、断崖絶壁に囲まれていた。暴風が岩肌を削ったのか、元より壁として築かれていたのか。途切れた地面を覗き込めば、遥か下のほうで陽光が水面に反射した。
暴風時を知らないから比較はできないけれど、確かに今はそよ風しか吹いていない。しかし。
「セレナ神官様。手を繋いで、一緒に渡りませんか……?」
「お願いします!」
風の神殿は眼下にあり、ジル達が立っている場所の方が高い。つまり落下する方向を見ながら、石橋を渡らなければならないのだ。ゲームでは簡単に駆け抜けていたけれど。
――実際に立つと、ちょっとこわい。
なにやらルーファスがそわそわとこちらを見ていたけれど、三人並んで進めるほど幅は広くない。ジルとセレナはお互いの手をしっかりと握りながら、欄干の低い石橋をそろそろと通り抜けた。
◇
各領地の神殿はいづれも白壁で、半球型の屋根をもつ。構造や基本的な仕掛けは同じであるため、攻略に頭を悩ませる必要はない。
祭場である広間。その左右には宝物の間と呼ばれる部屋がある。宝物の間には、祭場へと続く扉の鍵が保管されているため、まずはそちらの部屋を訪れる必要があった。
「弱点は風魔法です。防御が崩れた時を、狙ってください」
中央通路の奥。五角形の低い台座の上に魔物はいた。熊の頭に、蛇の尻尾。山羊を思わせる体には、鎧が装着されていた。
白い空間を皓々と照らす魔石ランプ。その中で、護衛騎士と風の大神官は戦っていた。ジルは後方に控えセレナの護りに就いている。
鍵を守護する魔物、クレイラの情報はリシネロ大聖堂の書庫にはなかった。ジルが見落としていた可能性はある。けれど種の交ざった魔物は、ゲームでも神殿内にしかいなかった。
尻尾や鎧で大剣を防いでいたクレイラの動きがにぶった。ラシードの斬撃は重い。目立つ傷はなくとも、負荷は確実に蓄積している。
クレイラの脚がもつれたとき、魔法で強化された長躯から鋭い突きが繰り出された。魔物はそのまま態勢を崩し咆哮とともに前脚を大きく掲げる。
それまでゆらゆらと揺れているだけだったジルの髪が前方へとはためいた。空気の塊に背中を押されている。じりじりと前進する足を踏ん張り、ジルはセレナの壁に徹した。
どん、と骨に響くような重い衝撃音。視界の先では、クレイラが旋風の槍に貫かれていた。
魔物は前脚を上げまま、壁に磔られている。円錐状の風がほどけ、魔物は白い床へとすべり落ちた。鎧のない腹部から黒い靄が吐き出される。クレイラが消えた後には、鎧と一つの金属片が残っていた。
「宝物の間はすべて制圧する必要がありそうです」
護衛騎士は拾い上げた鍵をセレナに渡した。手のひらには真鍮製の板がのっている。円を半分に切った形をしているけれど、辺は直線ではなく凸凹としていた。板の表面には魔法陣が刻まれている。
「二つで、一つの鍵になるみたいです、ね」
◇
もう一つの鍵を入手するのに時間は掛からなかった。同じ敵が待ち構えていたのだから当然だ。かすり傷ひとつ負わなかった。
祭場へと続く両開きの大きな扉。その中心にある丸いくぼみへ、セレナは二つの鍵をはめ込んだ。
「っ!」
カチリ。と音が鳴った直後、鍵の円周に緑色の光が奔った。鍵に刻まれた魔法陣が宙に浮かぶ。片手程の大きさから瞬く間にひろがった魔法陣は視界を覆いつくし、扉へと吸い込まれていった。
「目がチカチカします」
「少し休憩しましょうか」
「いえ、進みます」
間近で光を浴びたセレナは、ぎゅっと目を瞑っていた。ルーファスの気遣いに瞼を上げ、片扉へと手を伸ばす。しかしその手は、ラシードによって阻まれた。
「この先に魔物や罠がないとも限りません。後ろへ御下がりください」
セレナが解錠する前に一度、実はラシードが試していた。しかし先のような反応は起こらず、扉は固く閉ざされたままだったのだ。
祭場に魔物はいない。もちろん罠もない。しかしエディがそんなことを知っているはずがないので、ジルは黙していた。護衛騎士が重たい扉を押しひらき、広間へと踏み込む。その後にジルも続いた。
「なんだか、淋しい場所ですね」
がらんとした白い広間に、セレナの声が響いた。生物の一切を拒絶するような静謐が、のたりと揺蕩っている。足に空気が絡みつき、硬い床が鈍い音を立てた。
この息苦しさをジルは知っている。十三歳の時に歩いた、聖女の祭壇へとつながる廊下。あの時は窓から陽が差し込んでいたけれど、ここでは折り目正しく魔石ランプが灯っている。
「目的地は上、ですね」
ひとつ、ふたつ。段々と魔石ランプの数が減ってゆく、壁沿いの螺旋階段。その灯りに導かれ、聖女一行は歩みを進めた。




