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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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129 ヒロインと従者

 水蜜の瞳から零れる涙はもうない。なにか確証を得ているのだろうか。声音は疑問になっているけれど、セレナは真っ直ぐにジルを見ていた。


「はい、僕は男です。許可をいただけるのなら……服を脱いで、証明します」


 賭けだった。心を許した相手ならいざ知らず。引き合わされて二ヶ月しか経っていない男の裸など見たくもないだろう。蛇蝎の如く嫌われてもおかしくない所業だ。


 セレナは女の子だ。ジルが平然と言ってのければ、不快を表すに違いない。そう思っていた。


「分かりました。お願いします」


 セレナは女の子だ。そして、ヒロインでもあった。躊躇いなど一切ない、芯の通った声で言い切った。


 ――だから助けたいって、思ったんだ。


 ジルは弟を死なせないために従者となった。死亡を回避するだけなら、魔王を討伐する必要などない。エディは魔王ではなく、護衛騎士に斬られていたのだから。


 七年前、ジルは夢をみた。弟が殺される夢だ。その夢にはヒロインであるセレナも当然いた。ゲームのヒロインは、どこにでもいるような女の子にみえた。悩んだり、悲しんだり、怒ったりすることもある。しかし最後には必ず立ち上がり、笑顔をみせるのだ。


 ――今代の聖女様はもう、助けられない。でも、セレナ神官様は間に合う。


「豪胆ですね」

「ジルさん程じゃないと思います」


 諦めて微笑んでみせれば、桃色の瞳も綻んだ。セレナはこれまでジルに一度も命令しなかった。従属の契約を結んでいるのだから、今の押し問答だって必要なかったのに。


「いつ、お気づきになったのでしょうか?」

「馬車で体を庇っていただいた時に、女性だって分かりました」


 ――いくらなんでも早すぎる……。


 自分の拙さに、ジルは頭を抱えてうずくまりたくなった。セレナの聖魔法が暴発したのは教会領を出立した日だ。教会領で過ごしていた時に、弟との入れ替わりが露見したことは無かった。それは他者との交流、接触を最低限にしていたのが大きかったのだと、改めて気付かされた。


「従者をしているのは、私のためですか?」

「“いいえ”と“はい”です」


 生界と酷似した、予言ともいえる夢をみたこと。聖女の儀式、攻略対象、弟の死亡、今代聖女の末路。聖女の役目を終わらせる鍵。


 扉前から寝台の上へと場所を移し、セレナの隣に腰掛けたジルは順を追って話した。


「だからあのとき、リンゴの花を観てみたいって」

「セレナ神官様のお心を利用しました。申し訳ございません」

「どうして謝るんですか! 家族は無事だし、お花が観られて私は嬉しいのに」


 頬をふくらませ、ほんのり赤い目元で怒る姿はリンゴのように可愛らしい。ありがとうございますと思わず緩んだ目元で返せば、セレナの顔が近づいてきた。


「斬られないよう、ラシード様に辞めていただくのはどうですか?」


 豪胆なだけではない。セレナは過激派だった。辞めさせるにも建前は必要だろう。そういった時は大抵、不祥事が原因だ。それは少々不憫に思う。


「新しい騎士が、派遣されるだけではないでしょうか」

「じゃあ、祭壇には連れて行かない」

「護衛騎士の役目が、大神官様に移ります。剣のほうが、私は対応し易いです」


 うんうんとセレナが唸っている。なんとかしようと考えてくれているのが、ジルは嬉しかった。ややあって、ぱちんと両手を打ち合わせる音がした。


「ジルさんを、祭壇に連れて行かない!」


 良案に思えた。けれど同時に、嫌な感じがした。


 ゲームのジルは、どこでエディの訃報を聞いたと言っていただろうか。もしも自分の代わりに、弟が祭壇に近づいてしまったなら。視界が、ぐらりと歪んだ。


「祭壇は、魔王の封印と関わりがありそうなのです。私も連れて行ってください」


 なぜ関係があると思ったのか自分でも分からない。とっさに浮かんだ考えをジルは口にした。それでもセレナは迷っているようだった。そこへジルは言葉を重ねる。


「たとえ斬られたとしても、自己回復で治せます。ご心配には及びません」

「でも、痛みはあるんですよね?」

「ほんの一瞬です」


 自信をもってジルは笑んだ。聖魔法を披露するのは、己に対してだけだった。だから周囲には知られていないけれど、魔力量は多いのだ。平均的な聖神官の魔力量が十とするなら、ジルは四十保持している感覚がある。それでも他者回復には二倍の魔力を消費する。それを考慮するのなら平均の倍にすぎないけれど。


 すぐに良案はでないだろう。夜更かしをしては明日に響いてしまう。この話題は終わりにするため、ジルは寝台から腰を上げた。


「念のため、外の見回りをしてきます」

「私も行きます!」


 ジルは首を左右に振って、立ち上がろうとするセレナを押し留めた。自分一人なら、助けを呼びにすぐ戻れるけれど、セレナがいては動けなくなる、と。渋々送り出してくれたセレナに礼を伝え、ジルは部屋を出た。


 農家の朝は早い。陽が沈んだ今、家の中はしんと静まり返っていた。暗闇に目を慣らし、音を立てないよう階段を下りる。灯の消えた食卓を横切って、ジルは玄関の扉をあけた。

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