125 殺意と耳朶
魔宝飾店からの帰路も馬車に乗った。ジルとしては徒歩で構わない距離だったけれど、クレイグの色彩を慮れば仕方のないことだろう。窓の外は、瞳と同じ色に変わりはじめた。
「魔石に入っている魔法は、なんでしょうか?」
常ならジルの耳は髪で隠れている。一見しただけでは魔法石を着けていると分からないだろう。今はクレイグの要望に応えて、片側の髪は耳に掛けているけれど。
「攻撃魔法。使用者の全周に岩の杭が生える」
絶句した。ウォーガンの物とは、違う意味で割れない。クレイグは向かい側の席で涼しい顔をしている。イヤリングは二つで一組だ。安全のため、ジルは確認しておく。
「二つとも、ですか?」
「運よく逃れたやつも、二回目は避けられない」
殺意が高すぎる。そんな危ない魔法、怖くて使えない。これは安易に割ってはいけない。白い顔でジルが決意していると、クレイグが隣に移動してきた。
「居住棟の方で寝たら、ご褒美くれる?」
すぐ傍で、金糸の髪が煌めいた。ジルの顔を覗き込むようにクレイグは首を傾げている。上目遣いで微笑むその姿は、大変可愛らしい。
ジルは一度、自分が居住棟に戻ると宣言している。だからご褒美をあげるというのは理屈に合わない。けれどクレイグに対しては弟に頼まれて来たことや、魔法石のことがある。
「例えば、どんなものを……」
「朝、起こしにきて」
「それでいいんですか?」
とんでもないことを言われるのでは、とジルは身構えていた。簡単な希望だったから思わず聞き返してしまった。朝は日課の素振りをしているため、負担はまったくない。
「明日と明後日、二回」
「分かりました」
ジルが二つ返事で引き受ければ、クレイグの瞳は空と同じ、鮮やかな夕陽に染まった。
◇
「本日はお休みをいただき、ありがとうございました」
五人での夕食が終わり、クレイグとセレナを見送ったジルはルーファスに一礼した。
「良い休日になりましたか?」
良い、と聞かれジルは思わず考え込んでしまった。疲労感のほうが大きいかもしれない。一息ついた今、着け慣れないイヤリングが主張をはじめた。
――寝る時は外しておこう。
菓子が美味しかった。ジルはそれだけを答えた。微笑んだルーファスの眉尻は下がっていたけれど、それ以上は尋ねられなかった。
◇
毎朝の素振りを終えた足で、ジルは居住棟を訪れていた。クレイグは来客用の部屋を使っている。
「エディです。お目覚めでしょうか」
扉を叩いても、何も返ってこない。一日目はすぐに応えがあった。今日はまだ眠っているのだろうか。朝陽が昇ったばかりの今、何度も扉を叩くのは周囲に対して迷惑極まりない。
――不用心だ。
試しに取っ手を回してみれば、扉がひらいた。カーテンに光を食まれた部屋は仄明るい。奥にある寝台へと目を移せば、ふくらんだ上掛けの向こうに陽が差していた。
昨夜は夜更かしでもしたのだろうか。朝食にはまだ早い。一日目と同じように入室したジルは、静かに扉を閉めた。のだけれど。
「……ん」
クレイグを起こしてしまったようだ。侵入者の身元を明らかにしておくため、ジルは寝台に近づいた。
「おはようございます、土の大神官様。でも、まだ起きなくても大丈夫です」
ジルはいつもこうして、エディと朝を迎えていた。おはようの挨拶は、体の弱かった弟が目を覚ましたお祝いだ。今は微睡んだ橙と茶の瞳がジルを見上げている。
眼下でクレイグの口が動いた。けれど声はかすれ気味で、何を言っているのか分からない。もしや具合が悪いのだろうか。ジルは手袋を外し、弟へするように額、首筋と順に手のひらを添えた。
「良かった。熱は、ありませんね」
「着けてない」
離した手と行き違うようにクレイグの手が伸びてきた。顔を顰めてジルの耳を触っている。イヤリングを着ける習慣がないため、ジルはすっかり忘れていた。それでも貰ったばかりだからと、昨日はちゃんと覚えていたのに。
「申し訳ございません。応接室に……忘れてきました」
簡単に魔法石を割るつもりはない。けれど攻撃魔法はジルにとって大きな戦力だ。戻ったらすぐに装備しよう。そんなことを考えていたら。
「忘れないで」
寝台が近づいてきた。倒れ込みそうになった体を手で支える。ジルの首に、クレイグの腕が巻きついている。耳元で拗ねた声がしたあと、まるでイヤリングを着けたような圧がかかった。
寝起きでお腹が空いているのだろうか。パチパチと瞬きを繰り返すばかりで、ジルは反応が遅れてしまった。食まれている耳朶に、あたたかなものが這った時ようやく。
「っ、私はご飯じゃありません!」
ジルは思い切りクレイグを押し退けた。




