124 対価とイヤリング
時間にして三十分くらいだろうか。別室の扉からクレイグが出てきた。
終日行われる毎月の祈祷に比べれば、とても短い時間だ。けれど、それとは異なる神経を使うのだろう。クレイグはどさりとジルの隣に座った。
「お疲れ様です」
「疲れた」
店員も同じように労いを述べ、続けてクレイグに魔法石の細工を尋ねた。
「耳。装飾は最低限でいい。引っかけて落とす」
「完成まで二時間ほど頂戴いたします。こちらでお待ちになりますか?」
「待つ」
魔法石を持った店員と、立ち合いの終わった救護員が退出する。入れ替わるようにして、別の店員が紅茶と軽食を運んできた。テーブルにカップとティースタンドが並ぶ。
――お菓子だ!
スタンドにはパンもある。しかし一番目につく最上段に甘味があるのだ。ジルの目が固定されるのは必然だった。洗練された動きで給仕した店員も退出し、商談室はクレイグとジルの二人だけになった。
「オレはいらない」
「甘いものは、苦手ですか」
あえて確認してみれば、クレイグは鼻を鳴らした。ジルはただの付き添いだ。でも食べ残すなんて勿体ない。ひと口大の生地に、ぽてりと白いクリームがのっている。赤いソースは果物を煮詰めたものだろうか。宝石のように鮮やかだ。
サクリとくずれる舌触り。なめらかな甘さに、果汁の酸味が爽やかに香る。甘い口福にジルの頬が緩む。しかし、食べてしまえば消えるのだ。余韻は長く続かない。
「それで隠し通せると思ってるの?」
「っ、こほっ」
喉が詰まった。張りついた菓子を紅茶で流し込む。ここで何をと問えば墓穴を掘る。ジルは顔を引き締めて、紅茶を飲み続けた。飲み続ければ当然、中身はすぐに無くなる。飲む振りを続けていたら。
「あ」
空になったカップをクレイグに取り上げられた。ソーサーに戻されたカップが、カチャリと音を立てる。
「明後日、領地に帰る。祈祷と自警団のことがあるから、ガットア領には行けない」
「はい」
隣から不貞腐れた声がした。けれどジルは視線を正面から動かさず、無表情を張りつけ続けた。意識をそちらに集中させていたから、とても驚いた。ジルの肩が大きく跳ねたのを、クレイグはくつくつと喉を揺らして笑っている。
「魔法石はオレの代わり」
髪に、手が差し込まれていた。クレイグの指がジルの耳を撫でている。魔法石の完成を待ちわびるように、指先が触れる。
「大神官様の、」
「祈祷と儀式同行中はする」
優先順位を再確認するジルの問いは先回りされてしまった。不満そうな声だったけれど、嘘ではないだろう。あともう一つ、伝えておかなくてはいけない。
ひと呼吸おいて、ジルはクレイグを見た。横を向く動きに合わせて、耳から手が離れる。
「魔法石は、頂けません。お渡しできるものが……何もありません」
いくらの値がつくのか見当もつかない。少なくとも自分の給金では到底払えない金額だろう。それにジルは、ウォーガンから貰った魔法石を持っている。せっかくの厚意を無下にするのは心苦しいけれど。
感情をのせないよう、ジルは声を抑えた。人形のように愛らしい顔が途端に歪んだ。隣にある夕焼け色の瞳が、不機嫌そうにこちらを見ている。
「寝る」
「え」
言うなりクレイグはソファの上で横になった。書庫で仮眠をとっていた時のように、ジルの膝上には陽だまり色の頭がある。長い前髪が横に流れて橙と茶、色の異なる瞳が現れた。
「対価はこれでいい」
ジルが返事をする前に、瞼は閉じられてしまった。鍵を掛けたように長い睫毛が並んでいる。魔法封入の疲労が大きいのだろう。いくらも経たないうちに、膝上から寝息が聞こえてきた。
――魔石代にもなってない気がする。
義父から膝枕はダメだと言われていた。けれど今のジルはエディで、クレイグは姉を欲しがっていた。あの時とは状況が異なるから、きっと問題ないだろう。ジルはケープコートを脱ぎ、クレイグの体にそっと掛けた。
◇
魔法石が完成する三十分程前に、クレイグは目を覚ました。
テーブルに置かれた平らな黒いトレイには、一対のイヤリングが置かれている。
――きれい。
クレイグの魔法を封入した魔石は、橙と茶が交互に揺らめいていた。朝な夕なに照り映える、太陽の色。ジルにぬくもりを与えてくれる薪や家、義父の色。眺める角度によって、華やかだったり落ち着いたりと、印象が大きく変わる。
魔法石の上、耳たぶに当たる部分には、橙色の宝石がついていた。魔法を使用した後でも装身具として使えるようにだろう。店の心遣いと、価格の上乗せにジルがおののいていると、黒いトレイから魔法石がひとつ消えた。
「髪よけて」
「あ、あとで自分で着けます!」
「着けたことあるの」
「…………ないです」
いつもの強気な調子で言ってきたのに。イヤリングを着けるクレイグの手付きは少し、たどたどしかった。




