121 我慢と褒美
クレイグは金色の眉根を寄せるだけで、口を開かない。どうあっても認められない、ということだろうか。
「髪を、もっと短く切ればいいでしょうか? 土の大神官様に、手合わせで勝てば、」
「だからそうじゃない!」
荒げられた声にジルの両肩が跳ねた。また、土の大神官を怒らせてしまったらしい。眦を吊り上げジルに詰め寄ってくる。思わぬ気迫に後ずされば、背中に樹幹があたった。
目の前にあった陽だまりが、ジルの肩に落ちてくる。
「オレが、無理なの」
同じ口から出たとは思えないくらい小さな声だった。苦しそうな、拗ねたような。ジルの視界にはまばゆい緑葉と、金糸の髪が映り込むばかりで。耳元にある、クレイグの顔は見えない。
「申し訳ございません。三ヶ月間だけ、我慢いただきたく」
「……それ、わざと言ってんの?」
怒りだけでなく、悲しむほど嫌がられているのだ。そう考えてジルは謝った。けれど的外れだったようだ。俯いた顔はきっと、眉根を寄せている。想像に難くない声が返ってきた。
予想したとおり。ジルの肩から頭を上げたクレイグは不機嫌な顔をしていた。口をへの字に曲げて、眇めるような眼差しを向けてきた。
「姉に会った、そう言ったよね」
「はい」
予想はしていた。それでもまだ明言はされていない。口を噤み、泳ぎそうになる目を無理やり止める。ジルがその場から動かずにいると、持っていた薬草を取り上げられた。葉はそのままクレイグの懐に消える。
「この細腕で、なに考えてんの」
薬草の代わりに、クレイグの手が収められた。ジルの力を確かめるように、指が絡んでくる。
義父は弟にどこまで話したのだろうか。そして弟は、土の大神官に何を言ったのだろう。それが分からないから、うかつな事は言えない。判明しているのは、ジルは今も従者をしている。だから土の大神官はまだ告発していない。この事実だけだ。
「魔物を討伐してまわるの?」
問い詰める声には、苛立ちが滲んでいた。広い意味では討伐に違いない。否定して探られ続けるよりも、ここで肯定するのが適当だろう。
はい。そう答えようとしたとき、掴まれた手を前に引かれた。
「勝手に動かないで。護れない」
樹幹から離れたジルの背中には、クレイグの片腕があたっていた。耳のすぐ傍で紡がれた声は、不満と希求がない交ぜになっている。
――よかった。
嫌われてもいい、そう思っていた。けれどそれは、小さな棘になって残っていたようだ。思いのほか安堵している自分に、笑みが浮かんだ。
絡めとられた手をゆっくりと離す。首元に埋まった髪を撫でれば、陽だまりがさらさらと解けた。
「こんな腕でも、剣を振れるんですよ」
「見た」
「聖女様の儀式が終わるまで……我慢できませんか?」
弟をなだめるように言い聞かせる。ジルをエディとして扱い、儀式が終わったあとに入れ替わりを知った。それならクレイグも、咎人にならない。
「できないって言ったら」
クレイグはきっと今、口を尖らせている。駄々をこねるような雰囲気につられて、ジルの口調も軽くなる。
「我慢できたら、ご褒美をあげます。何がいいですか?」
「ジル」
髪を撫でていた手が止まった。そういった名前の食べ物、または物品があるのだろうか。しかしいくら探してもジルの記憶には、自分の名前しかなかった。
「それは……姉が欲しい、ということでしょうか?」
認識を合わせようとジルが尋ねれば、首元が軽くなった。そのかわりに今は、両肩が重い。ジルの肩に手を置いたクレイグは、驚きに目を開いていた。瞳は陽光に輝き、口角は予感に上向いている。
クレイグの言うジルとは、自分のことで間違いないようだ。これがご褒美になるのか疑問はあるけれど、悪い気はしない。むしろすでにジルはそう思っている。
「分かりました。姉には、土の大神官様を弟と思い親しむように、と伝えておきます」
ジルは責任をもって請け負った。姉弟のように感じていたのは、自分だけではなかったのだ。思わず目元が緩む。けれど対照的に。
「戻る」
「あ、はい」
クレイグは不機嫌になってしまった。上がっていた口角は真っ逆さまに落ち、眉根は寄っている。踵を返した土の大神官は、足早に草地から林道へと移動した。ジルは慌ててその後ろ姿を追う。
――馴れ馴れしすぎたかな。
そのまま来た道を辿り、二人は無言で患者のいる民家まで戻った。
◇
「遅く、なりました」
「一人二枚。すり潰して葉汁を飲ませて」
民家に入るなり、クレイグは懐から薬草を取り出して村長に押し付けた。一日一回、採集した葉の枚数分続けて服用すれば治りが早くなるらしい。
報告書に記載する情報は集め終わっていた。残りは戦闘に関することで、町教会に戻ったら見解を聞きたいとルーファスからお願いされた。
調査を終えた聖女一行は村を発った。姿がみえなくなる、正しくはクレイグの姿がみえなくなるまで、村長や村人たちは祈りを捧げていた。




