118 菓子器と遠慮
ルーファスが手配してくれた女性神官は、嫌な顔ひとつせず寝室にやって来た。いや、そんな表現は失礼だ。女性神官は、慈しみに溢れた眼差しをしている。
「こちら、有志一同からの差し入れでございます」
にこやかに告げた女性神官は、セレナの前に小さな陶器を差し出した。丸いフタの下には、宝石のような菓子が詰まっていた。
「「ありがとうございます!」」
ジルとセレナが一緒に一礼すれば、女性神官は両手を振って恐縮した。一緒に食べましょうとセレナが提案したけれど、丁重に断られてしまった。
「わたくしは壁に徹しております。どうぞお気兼ねなく」
その宣言以降、女性神官は本当に喋らなくなってしまった。簡易寝台に腰掛けたまま、静かに微笑んでいる。
広い寝室には、簡易的な寝台が二台運び込まれていた。備え付けの寝台やテーブル、ソファなどの調度品は上質なものだ。窓にはレース編みのカーテン、床には深緑の絨毯が敷かれている。
けれど大神官の居室はもともと使われていなかったため、衣装部屋と同じくがらんとしていた。
――広いから、余計に寂しく感じるだろうな。
部屋も広ければ、セレナが利用している寝台も広かった。ここに居る三人が同時に寝転んでも、十分な余白が残る大きさだ。
菓子器を持ったセレナが、その大きな寝台の上から手招きをしている。
「お菓子、大神官様たちには内緒で食べちゃおう」
呼ばれるまま簡易寝台の前から移動していたジルは、座るよう促された。寝台の端に腰掛ける程度なら、問題ないだろう。
「私ね、エディ君とゆっくりお話ししたかったんだ」
「僕ですか?」
「昼間は護衛の人がついてるし。エディ君は、ルーファス様が傍にいるでしょう」
器から黄色の欠片を取り出したセレナは、ジルの手に乗せた。同じものをもう一つ摘まみ、目を細める。
「これは干したリンゴ。甘酸っぱくて、おいしいよ」
女性神官に会釈して口に運んだセレナは、にこにこと楽しそうだ。同様に会釈してから食べたジルの、眉は上がった。知っているリンゴの食感とまったく違う。やわらかいのに、シャクリと芯もある。酸味を感じたあと、やさしい甘さが染みわたった。
赤や橙、深紫。この果物はなんだろう、と二人で予想しながら食べた物もあった。宝石のような菓子を一通り食べ終わったとき、不思議そうにセレナが首を傾げた。
「エディ君はミューア様のことが苦手なの?」
「な、なぜでしょうか」
「話してるとき、あんまり楽しそうじゃなかったから」
今朝、ジルは無表情を意識していた。にもかかわらず、セレナに気づかれるほど分かり易かったらしい。
確かに楽しくはなかった。姉に会ったというクレイグの言葉が本当なら、エディと話したということだ。入れ替わりが露見したのではないかと、冷や汗が止まらなかった。
それでも今日一日、クレイグから弟のことを仄めかされたりはしなかった。ジルと一緒に手伝いをしたり、女神に愛された子だと拝まれたり、飽きたと言って聖堂内を一人で散策したりしていた。
「大神官様なので、緊張してしまって」
「ルーファス様も大神官だよ?」
「そう、ですね」
「緊張する?」
風の大神官は緊張というより、気まずい。土の大神官も気まずいという点では同じだ。ジルは教会領でクレイグを怒らせ、嫌われている。
「私に遠慮しなくていいからね」
ジルが答えに迷っていると、セレナの眉が少し上がっていた。遠慮が指すものは何か。ジルの思考がたどり着く前に、桃色の瞳がぐいと迫ってきた。
「私は、自分で頑張れるから。それにね、――」
ささめきが耳朶に触れる。嘘を言っているようには聞こえない。セレナこそ不要な気を回しているのでは、と過ったけれど。ジルから顔を離したセレナは、にこにこと楽しそうだ。
――残る攻略対象は、水と火の大神官様。
相宿の女性神官がいるから、聞こえないように配慮したのだろう。セレナはジルの耳元で、風の大神官と護衛騎士に特別な感情は無い、土の大神官に対しても同じだと言った。
つまり、攻略対象全員と親密になる道には進まないということだ。
「私がいま気になってるのは、エディ君。戻ったら、お姉さんに逢わせてくれると嬉しいな」
「かしこまりました」
両手を合わせて、水蜜の瞳をキラキラとされては拒否できるはずもない。エディにかかる負担を増やしてしまった。ジルが内心で謝っていると、セレナが時計を見て声を上げた。
「大変! もう寝ないと。遅い時間までごめんね」
「お気遣いは不要です。お話、ありがとうございました」
寝台から立ち上がったジルは一礼した。部屋の灯りは自分が消すからと、セレナをその場に留める。セレナと女性神官に就寝の挨拶をして、ジルも簡易寝台に入った。




