116 風と土
視点:衛兵
贅沢もせず、品行方正。使用人にまで分け隔てなく接する風の大神官に、衛兵は敬服の念を抱いていた。風の聖堂二階の警護を任されたときは、抜かりなく勤め上げるのだと張り切った。
「お待ちください! まだ朝のお支度が」
「エディどこ」
だというのに、護りはあっけなく突破されてしまった。転移陣の間から出てきたということは、高位職に他ならない。ただの衛兵が強く引き留めることなど、できなかった。
「クレイグ大神官? どうしてこちらに」
「うわ……なにこの部屋」
断りもなく応接室の扉を開けた土の大神官の後ろで、衛兵は頭を下げた。ルーファスとクレイグ、どちらも驚いていたが、後者の声音には若干引いたような調子が交ざっていた。
応接室に寝台を運び入れる際も、衛兵は警備についていた。教会領所属の女性神官も聖堂の居室に移ると知った時は。
――風の大神官様がついに! と思ったら。
女性神官との仲は良好にみえた。つまりそれは、普段通りのルーファスということだ。これまで衛兵は、ルーファスの浮ついた話をひとつも聞いたことがなかった。
頭を上げた衛兵は不測の事態に備え、その場で控えた。直後、土の大神官から睨まれる。
「誰が使ってるの?」
「はっ。風の大神官様、ならびに神殿騎士様と従者です」
「誰の指示?」
「僕です」
衛兵が答える前に、ルーファスの声が入ってきた。いつもの穏かな笑みを湛えた風の大神官と、不機嫌を前面に出した土の大神官が向かい合っている。
「お客様です、か?!」
そこに衣装部屋から出てきた従者の少年が加わった。突如来訪した土の大神官に驚いたのだろう。従者は手で口を塞ぎ、声を止めていた。
「こいつらに髪切られたの?」
「い、いえ……あの、どうしてこちらに」
「様子を見てきて欲しいって頼まれた」
刺々しかったクレイグの空気が、一瞬で変わった。お気に入りのオモチャを独占するように、両肩を掴んでいる。
――この御方もか。
花のような髪色をした女性神官は、愛らしい顔立ちをしている。勉強熱心で、明るく人当たりもいい。皆に分け隔てなく接する姿は風の大神官と同じだ。似合いの夫婦になるだろう。
衛兵はそう思っていた。祈祷の日にあったことを聞くまでは。
月のような髪色をした従者は礼儀正しく、雑用も進んでしている。聖堂内の評判も悪くない。表情があまり動かない分、時折みせる笑顔が堪らないのだと使用人や神官が騒いでいた。
その神官によれば、従者は神殿騎士ともただならぬ関係だという。その騎士は今、我関せずと距離を置いているため、真偽のほどは定かではない。しかし、こうも高位の者ばかり惹きつける様は。
――魔性というのだったか。
教会領所属の女性神官は高嶺の花。庶民や一介の衛兵には、とても手が出せない。同僚は従者が女なら、と惜しんでいた。
風の聖堂で囁かれている話題の中心人物は、控えめながらも動揺の色を浮かべていた。紫水晶の瞳で、土の大神官を見詰めている。
「姉に、会ったのでしょうか……?」
「神官試験に落ちたって聴いた。どういう心算なのか訊いてやろうと思って」
「姉はなんと」
恐る恐るといった様子の従者とは対照的に、土の大神官の口角は上がったままだ。
「弟が心配で、集中できなかったって言われた」
「そうですか」
「オレ、しばらくここにいるから」
「おはようございます! 皆さん、どうしたんですか?」
驚きに零れていたであろう従者の声は、女性神官の登場でかき消された。大神官の寝室で一人寝起きしている女性神官は、毎朝こうして応接室を訪れる。四人揃って食堂で朝食をとるのだ。紅一点なら、この女性神官が中心になりそうなものだが。
「おはようございます。セレナ神官様」
「おはよう。エディ君のお友達?」
女性神官はやや警戒した様子で首を傾げ、花のような髪を揺らした。従者の表情が硬いことから危惧したのだろう。
――セレナ神官様の目も、従者を追っている。
とはいえ、その視線は懸想という色めいたものではない。親愛といった雰囲気だが、他の男性に対するよりも好感度が高いのは確かだ。
「とんでもないです。こちらは、土の大神官様です」
従者が女性神官の言葉を訂正したとき、金色の眉が動いた。その傍で、職名を聴いた女性神官が一礼する。
「初めまして。セレナ・クラメルです。よろしくお願いします」
「ミューアだ。宜しくしてやる」
大神官が任地以外の聖堂に訪れるのは稀だ。だから尊大な土の大神官をみた衛兵は、女神ソルトゥリスに感謝した。
――自分は風の聖堂でよかった。




