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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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115 平静と声量

視点:ジル◇エディ

 花の祭りは続いていたけれど、観光は急遽組み込まれた予定だ。次の魔物調査があるため、聖女一行はメルセンの町を発ち、風の聖堂に戻っていた。


 風の聖堂で二人きりになるのは稀だ。ほぼ無いと言っていい。ルーファスはこれまで通りエディとして接してくれている。しかし以前にも増して、甲斐甲斐しくなっている気がする。


 ――バクリー騎士様、ありがとうございます。


 寝室代わりの応接室が三人部屋で良かったと、ジルは初めて思った。もしこれが二人部屋なら、心労は計り知れないものになっていただろう。いつからかラシードの殺気も飛んでこないため、ジルの平静は保たれていた。


 ――はっきりとは言われてないけれど。


 ルーファスのことは嫌いではない。しかしこれまで、ヒロインと結ばれる対象の一人としか見ていなかった。だから正直、驚きや戸惑いといった感情のほうが大きい。


「おやすみなさい、風の大神官様」

「おやすみなさい、よい夢を」


 隣の寝台へ習慣となった挨拶をする。ジルに向けられた眼差しは、萌えた葉のようにやわらかい。ルーファスが抱く想いと同じだけ、ジルも返せるのかと問われれば。


 ――今は考えられない。


 弟のこと、聖女と魔王のことで、ジルは精一杯だった。


 それに、セレナの気持ちを確認していない。想い人が風の大神官だった場合、ジルは結ばれるはずだった二人の邪魔をしていることになる。それは本意ではない。


 ルーファスに淡く笑んだあと、ジルは後ろを振り返った。ちょうど大剣の手入れが終わったのだろう。寝台に近づいて来るラシードと目が合った。


 朝の鍛錬は一緒におこなっているけれど、最近は手合わせの催促がない。きっと諦めてくれたのだろう。護衛騎士は異端審問の権限を有している。魔素信仰者に接触したいジルとしては、監視にも似たラシードの気配は少々不都合だった。


「おやすみなさい、バクリー騎士様」


 感情の窺えない瞳にも就寝の挨拶を告げて、ジルは寝台に入った。


 ◇


 姉が教会領を出て、一ヶ月半近くが過ぎた。昔から入れ替わっていたのが役に立った。周囲に気付かれることなく、エディは日々を消化していた。


「なんで弟が見習いの法衣着てんの」


 そんなエディは今、土の大神官に絡まれていた。


 人形のような顔つきをしているのに、言動は可愛らしくない。エディは姉の行動に倣って書庫で勉強していた。そこで唐突に手を掴まれた。手のひらを隠すために手袋をしていたけれど。


「ジルどこ」


 すぐに気付かれてしまった。姉だと思われて迫られるのと、どちらがマシだろうか。否、気付かれない方がいいに決まっていた。エディよりも少し高い位置から橙色の瞳が睨みをきかせている。片側は壁、背後は書棚で逃げ場がない。


「もういい。他のヤツに訊く」

「っ、お待ちください」


 だんまりに痺れを切らしたクレイグが身を翻した。エディは手を伸ばし服を掴む。姉の所在を尋ね回られては拙いどころではない。姉弟はもとより、ウォーガンにまで累が及んでしまう。


 ――教会には、隠し通さないといけない。


 入れ替わりを聴かされたとき、エディは感情のままに拳を叩きつけていた。神殿騎士団の団長が避けられないはずがない。ウォーガンはただ黙って、エディの怒りを受け入れていた。


 怒りや悔しさ、情けなさを鎮めるには、まったく足りなかった。なによりも、姉に信じて貰えなかった自分自身が一番許せなかった。


 それでもエディが真実を申し立てた瞬間、姉は罪人になると言われてしまえば、呑み込むしかなかった。


 周囲に人影はない。クレイグが訪れるまで、書庫にはエディ一人しかいなかった。話が漏れる心配はないだろう。それでも念を入れてエディは声を落とす。


「……姉は今、聖女様の従者を、しています」

「は?」


 短い声には懐疑、苛立ち、不快感が凝縮されていた。振り返ったクレイグの眉間には、深い皺が刻まれている。


「自分から志願したの? 侍女になりたいですって」

「従者です。……僕に成りすまして、リングーシー領にっ」


 重心が少し浮いた。エディはクレイグに胸倉を掴まれていた。長い前髪に隠れて片方しか見えないけれど、瞳は夕焼けのように赤い。


「お前がジルに頼んだの?」

「するわけない!!」 


 自分でも驚くほどの声量が出た。クレイグの手を無理やり払い除けたから首が痛い。けれどそれ以上に。吞み込んだはずの感情を抑えるため、エディは拳を握り締めた。


「でも、もう……行ってしまったんです。明るみになれば姉は、極刑を免れません」


 最悪の事態を想定すれば、声が震えた。ジルとしてここに居るのが、一番の助けになる。それを十分に理解しているからこそ、エディは悔しかった。


「このことを教会には」

「言うわけないだろ」


 そう言い捨てたクレイグは、足早に書庫から出て行った。


 土の大神官も姉に好意を抱いている。だからこそ、入れ替わりを簡単に打ち明けたのだ。日頃から情報共有していて良かったと、エディは心から思った。

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