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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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114 紫と黄緑

 迷子の子供を預けてくる。そう伝えると、心配したセレナも一緒に来てくれた。そうなれば当然、護衛騎士も移動する。ラシードからは何も反応がなかった。


「すぐに、迎えに来てくれるよ」


 案内所に着くまで、男の子はジルの陰に隠れるようにして歩いていた。迷子を案内するのは久々だ。前回の子はツンツンしていたけれど、今回の子はしずしずとおとなしい。


「ほんとう?」

「僕も、探してみる。どんな人?」


 しゃがんでいたジルは、真っ直ぐに指をさされた。男の子は自分を見て喜んだのだ。特徴を尋ねるまでもなかった。銀髪は珍しいから見つけやすいだろう。ジルは濃紺色の髪を撫でて請け負った。


 ――そういえば。


「銀ではないけれど。お祭りだから」


 男の子の腕には、花が咲いていなかった。ジルはこれまで銀色の瞳を見たことがない。花が用意されていなくても不思議はなかった。


 自分の腕飾りを外したジルは、男の子の腕に紫色の花を咲かせた。パチパチと瞬きをして、花を見詰めている。


 ――この子の驚きかたもエディと一緒だ。


 おとなしい様子とジルにくっついている姿は、弟を想起させた。そう感じた途端、男の子から離れがたくなった。だからといって、人攫いをするわけにはいかない。家族と引き離すなんて、もっての外だ。


 ジルが断腸の思いで立ち上がれば、入れ替わりにセレナがしゃがみ込んだ。花冠に彩られた淡紅の金髪が、ふわりとなびく。


「お菓子もどうぞ。待ってる間に食べてね」


 差し出された紙袋に、男の子はビクリと肩を跳ねさせた。清潔な服を着ており孤児にはみえない。ならば毒の心配を、と考えたけれど貴族にもみえない。貰うという行為に慣れていないのかもしれない。


 祭りの屋台で購入したものだとセレナが説明すれば、男の子はそろそろと手を出して受け取った。係員に保護をお願いし、ジルは後ろ髪を引かれる思いで男の子と別れた。


 ◇


 結局、銀髪の人は見かけなかった。クッキーを買い直したとき、意匠を凝らした花のパレードが行われたとき、ひつじの寝床への帰り道。ジルはずっと周囲を窺っていた。


「すぐにご両親が迎えにきて、帰ったのかもしれません」

「はい。そうだといいです」


 浮かない顔のジルに、ルーファスが声をかけてくれた。いつまでも沈んでいては、周囲に気を遣わせてしまう。迷子の男の子についてはここで一区切りだ。そう自分に言い聞かせたジルは、正面にある緑色の瞳に視線を移した。


「あの、お時間は……」

「お邪魔だったでしょうか」


 心配してくれたのだろう。ルーファスは今日も屋根裏の客室を訪ねてきた。就寝の挨拶が済めば、すぐに退出するとジルは思っていた。それがこうして励まされ、悲しそうに眉尻を垂らされてしまえば、帰って欲しいとも言いづらい。


「勝手ながら……もっと落ち込んでいらっしゃるかと」

「え?」

「広場で、あんなことがありましたから」


 昼間、男の子にキスされたことを言っているのだ。ルーファスは、まるで我がごとのように声を落としている。この件についても気を遣わせていたようだ。ジルは抑揚を抑えながらも、明るい声音を意識する。


「小さな子でしたし。それに、嫌な感じはしませ、ん?」


 後ろ手になっていたルーファスが動いたと思ったら、ジルの頭に何かが乗っていた。なんだろうと手を伸ばす。しっとりとやわらかな物に触れ、ふわりと好い香りが降ってきた。

  

「恥ずかしながら……その小さな子に、僕は対抗心を覚えてしまいました」


 迷子の子供相手に大人げないと、ルーファスは困ったように微笑んだ。ジルが触ったから傾いたのだろう。頭に乗っている物の位置を直された。


「花冠、よくお似合いです」

「花冠? 男性は腕飾りでは」

「僕が頂いた花と、取り寄せた花で作りました」


 せっかく整えてくれた花冠だけれど、自分の目で確かめたくてジルは手にとった。淡い黄緑の花に、紫の花が並んでいる。濃淡がはっきりとした花冠に、どこか背筋が伸びた。


「風の大神官様が、お作りになったのでしょうか?」

「毎年お手伝いをしているんです」


 手元にある花冠は綺麗な円形を描いていた。ジルが気落ちしていると思い、励ますために作ってくれたのだろう。それにしてもルーファスは、いつ花を準備したのだろうか。宿の外ではずっと傍にいたのに。


 けれど、疑問の前に伝える言葉は。


「ありがとうございます。嬉しいです」


 花冠を頭に乗せ直して、ジルは目元を緩めた。お辞儀をすると落ちてしまうから、手で花を抑えながら首を傾げた。


 視線の先で瑞々しい緑葉が芽吹いた。と思ったら、抱きすくめられていた。花冠を支えるために両腕を曲げていたから、少し窮屈だ。狭いからか、心音が耳につく。


「とても綺麗です。ここでずっと、咲いていて欲しいくらいに」


 頭上から落ちてくる声には、懇願めいた響きがあった。ルーファスには色々と迷惑をかけている。だから名前呼びは受け入れた。けれどこの願いだけは、絶対に頷けない。


「離してください、風の大神官様」


 こんなに近いのだ。ジルの声が聞こえていないはずがない。なのに背に回された手は、一向にとかれる気配がなかった。体を押しのけようにも、腕を曲げた状態では難しい。


 しかし、いつまでもこの恰好でいるわけにはいかない。体温によってあたためられた顔でじろりと上を見れば、若葉色の瞳が期待に輝いていた。


 ジルは意図を理解した。抵抗はある。とばかり言ってはいられない。息を吸い込み。


「ルーファス、手をどけてください」

「はい」


 思いのほか、硬い声音になってしまった。腕はするりとほどけ、ジルは解放された。願い通りに名を呼ばれて嬉しかったのだろう。風の大神官は、やわらかに微笑んでいる。


 しかし、この空気に呑まれてはいけない。ジルは後ろに下がり、ルーファスを見据えた。


「僕は、姉ではありません。今後は控えてください」

「失礼いたしました」


 眉を上げてジルが諫めれば、ルーファスは素直に頭を下げた。下位である従者から怒られているのに。


 ――どうして嬉しそうなの。

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