108 魔素と信仰
「本当に、僕は図書館から出ないので……」
「ええ、構いません。休息日ですから、エディ君の思うままにお過ごしください。紅茶のおかわりはいかがですか?」
「………………いただきます」
なぜ従者の自分が机に向かい、上職たる風の大神官が給仕しているのだろうか。向かいの席ではセレナが教理の書物とにらめっこをしており、護衛騎士は魔法指南書を読んでいる。
これまで居住棟の食堂で摂っていた朝食は、風の聖堂に場所を移した。その際、今日の予定を尋ねられたジルは、図書館で本を読むつもりだと答えた。
それならばとルーファスが同行の意を示し、自分も勉強するとセレナが宣言した。ラシードは非番のため護衛に就く必要はない。のだけれど、職務に忠実なのだろう。無言でついて来た。
「風の大神官様、魔王クノスって……存在してるんでしょうか?」
紅茶をそそぎ終えたルーファスは、ジルの隣に座っていた。魔力は一晩で回復したのだろう。顔色は良く、いつもの穏かな雰囲気をまとっている。
自分はここから動かないので安心して欲しい。外出するなり、休日を良いものにして欲しいと伝えたのに、ルーファスは首を縦に振らなかった。だからジルは、開き直ることにした。
歴史書から顔を上げ、史上最年少で神官となったルーファスを見る。聖堂内にある図書館だけのことはあって、女神や聖女、教会に関することは絵本から研究書まで所蔵されていた。
「エディ君は魔素信仰に興味がおありですか?」
「えっと……女神様が、権現なさっているのなら……魔王もいるのかなって、思っただけです」
風の大神官が眉を顰めたため、ジルはただの疑問だと弁解した。
教会は、生界の魔素を浄化したとされる女神ソルトゥリスを信仰している。それに対し、魔王クノスこそ万物の祖だと崇めているのが、魔素信仰だ。もちろんこの教義は異端視されており、公の場で主張しようものなら立ち所に捕縛される。
「魔素は、魔王クノスが生成しているとされています。女神ソルトゥリス様が封じてもなお、浄化が必要ということは……」
「どこかにいる、かも?」
「そう考えた者たちが、魔素信仰を作り上げたのでしょう」
女神は光となり、生界とひとつになったと様々な書物に記されている。けれど魔王はいつも、封じられたとしか書かれていなかった。
――魔王をみつけて倒したら、セレナ神官様は聖女をしなくてもいい?
魔素の発生源である魔王がいなくなれば、浄化能力は不要。そうなれば、リシネロ大聖堂で聖女が軟禁される謂れは無くなる。それに魔物もいなくなり、今よりもずっと暮らしやすくなるはずだ。
――被害に遭う孤児やエディみたいな子も、いなくなる。
セレナが今代聖女と同じ行動をとるとは限らない。しかし、遠い未来のことは分からない。ゲームのヒロインは、家族と離れるとき泣いていた。
ゲームの一作目は、ヒロインが聖女となるまでの物語だ。二作目はヒロインが変わり、魔王クノスの解放を企てる勢力に立ち向かう物語だった。ジルは魔素信仰者として敵対していたけれど、ゲームはヒロインを中心に展開される。詳細な情報は、無いに等しかった。
――結局、企ては失敗。魔王の封印は解かれなかったんだよね。
一作目と二作目。最終決戦の場はいづれも、聖堂棟三階にある聖女の祭壇だった。聖女を弑逆すれば、魔王は解放されるのかもしれない。でもそんなのは論外だ。
――ほかに方法はないのかな。
風の神殿で儀式を終えるまで、教会領には戻れない。ジルが今できることは、魔素信仰に関する情報を集めることくらいだろう。書物は発見され次第、焚書となるため期待できない。どうにか信仰者と接触できないだろうか。
「人攫いとか、無許可で魔法石を作ってるって……聞いたことがあります」
「領兵や自警団の方々にも、ご協力いただいていますけれど。防げていないのが実態です」
「そういう噂がある場所には近づいちゃダメだって、両親から教わりました」
耽っていた思考に、セレナとルーファスの声が入ってきた。噂の場所をひとつ、ジルは知っていた。
――ガットア領だ。
リングーシー領の次舞台であるガットア領で、ヒロインは魔素信仰者に捕らえられていた。聖魔法目当ての誘拐だったはずだ。聖魔法ならジルも有している。居場所は分かっているから、機会さえ合えばこちらから乗り込むこともできる。
「エディ君も、気を付けてください」
「はい」
ソルトゥリス教会、とりわけ異端審問官に気を付けて接触しよう。気遣わし気な視線を向けてくるルーファスに、ジルは頷いてみせた。




