107 信用と挨拶
黄と白百合の二色で彩られた壁は、リシネロ大聖堂の百合の間を彷彿とさせた。部屋のすみに追いやられた応接ソファも同じ深碧色だ。
百合の間はリングーシー領の高位者が使用する部屋であることから、建具や調度を揃えているのかもしれない。賓客をもてなす室の中央で等間隔に並んだ寝台は、とても浮いた存在だった。
――ゲームだと、どこで寝てたっけ。
思い出せなかった。否、従者の寝室情報などはじめから無かった。
ジルは諦めて真ん中の寝台に長剣と短剣を置く。手伝いの最中は投擲用のナイフしか身に着けていないけれど、就寝時はいつも剣をそばに置いていた。
ジルは少ない荷物を解き、着替えを掛けるため衣装部屋に移動した。入口に置かれていた魔石ランプの光量を広げる。
大神官の居室は普段使用していないと、ルーファスは言っていた。その言葉通り、収納品は無いに等しい。
――これ、今日着てた正装だ。
がらんとした空間に、胡粉色の法衣が掛けられていた。汚れは付かなかっただろうか。傷めないようそっと生地に触れる。ジルが状態を確かめていると、衣装部屋にラシードが入って来た。ジルの手元を見て、鈍色の眉が寄る。
「お、お疲れ様……です」
貴重品に手を掛けていたのだ、やましいと疑われても仕方がない。ジルは正装から手を離し、本来の目的に移行した。ケープコートや支給された替えの服を掛ける。
「風の大神官様に頼み込んだのか?」
衣装部屋から出るためラシードの背後を通ったとき、声をかけられた。ジルは足を止め、何のことだろうかと首を捻る。
「同室にこだわっていただろう」
「そんな失礼なこと、できません。……多分、信用されていないんだと、思います」
風の大神官は、ジルの姿が見えないほうが迷惑だと言っていた。目を離すと何を仕出かすか分からないため、見張っておきたいのだろう。夕刻の慌て振りをみるに、信用回復の道のりは遠そうだ。
説明に納得したのか、ラシードはジルを一瞥しただけで何も言わなかった。ジルは扉前で一礼し、収納部屋から退出した。
応接室に戻ると、一番奥の寝台にルーファスが腰掛けていた。いつも背筋を伸ばして座っているのに、なんだか今は丸い。それに、ふらりと揺れて。
「っと……大丈夫ですか?」
ジルは頭から崩れ落ちそうになったルーファスを支えた。
伸ばした腕、潜り込ませた肩でルーファスを受け止め、上体を起こす。正面から顔を覗き込めば、パチパチと飴色のまつ毛が揺れていた。
状態を把握したのか、見る見るうちに肌は赤みを帯びていく。
「ご無理を、していらっしゃったのですね」
風の大神官は今日一日、祈祷で魔力を消費し続けていたのだ。
本来ならば早々に体を休め、魔力回復に専念していたに違いない。けれど、ジルが事件を起こした。そのせいでルーファスは対処に当たらざるを得なかった。そうして蓄積した疲労がきっと今、表に出てきたのだ。
「エディ君にご挨拶してから、休もうと思っていたのですけれど……つい」
「僕のことなんて、」
迷惑をかけた自分が気にしないでいいと言うのは、違う気がした。
ルーファスはうたた寝を恥じ、眉尻を下げて笑んでいる。その心安い空気にあてられて、ジルの表情も緩んだ。ルーファスの前に立っていたジルは、務めへの感謝やお詫びも込めて一礼する。
「おやすみなさい、風の大神官様」
「おやすみなさい、よい夢を」
就寝を告げるルーファスの声はやわく、微睡みの淵にいる緑の瞳はとろめいていた。
重たい鉛を運ぶようにゆっくりと体を横たえた風の大神官は、いくらも立たないうちに眠りへと落ちていった。
体の弱かった弟と寝起きをともにしていたジルにとって、挨拶は欠かせないもので、大切な時間だった。今頃はエディも眠っているだろうか。規則正しい寝息に目を細める。
――今日は控えて貰おう。
ジルはちくりと刺さる気配に振り返った。立てた人差し指を唇にあて、静かに、と合図する。いつから居たのかは分からないけれど、状況から察するにルーファスが眠るまでは待っていたようだ。
「とても、疲れていらっしゃるみたいなので」
壁に背を預けている護衛騎士の近くに移動し、ジルはそっと囁いた。直後、尖っていた気が霧散した。これで殺気の流れ弾がルーファスに当たることはない。ついでに、自分の安眠も保障される。ジルは心の中で喜んだ。




