106 殺気と同居
ジルの手を握っているルーファスは、風の大神官の正装をまとっていた。胡粉色の生地をふんだんに使用した法衣は優美で、所作に合わせて揺れるさまは眩いばかりだ。
「あ」
「すみません。こちらの花を片付けていただけますか?」
ジルが集めていた枯れ花は、ルーファスの手によって攫われた。遠巻きに見ていた使用人の一人が花を受け取り下がっていく。心配一色だったルーファスの顔には、生気が戻っていた。けれどなにやら、空気がふわふわとしている。
――祈祷で魔力を使い過ぎて、精神が不安定なのかな……。
ジルは疲れてぐったりしてしまうのだけれど、風の大神官は違うのかもしれない。機嫌を損ねては追って来た人達の胃に負担が掛かるため、ジルは黙ってルーファスについて行った。
◇
「エディ君のお部屋は、今日からこちらに変更します」
「はい?」
「僕も移りますから、心配はいりません」
浅縹色の見慣れた法衣に身を包んだルーファスは、やわらかに笑んでいる。
着替えは風の聖堂二階にある、大神官の居室で行われた。応接室のソファで待っていたジルは立ち上がり、部屋の主であるルーファス迎える。そして、固まった。
そんなジルに構わず風の大神官は話を続けた。
「日中もご一緒します」
「……お邪魔なのでは」
意識を引き戻したジルは、とりあえず浮かんだ疑問を口にした。神官としての仕事中も、セレナと逢う場合でも、ジルがいては迷惑だろう。そう思って訊いたのだけれど。
ジルの髪に、ルーファスの手が伸びてきた。昨夜のような触れ方とは異なり、その手は側頭から下へと撫ですべり、毛先を掬ったまま動かない。
「あなたの姿が見えないほうが、妨げになります」
飴色の眉は、困ったように下がっていた。
――見張ってないと、また事件を起こすと思われてる?
部屋と言えば、ラシードも替えると言っていたことをジルは思い出した。
体も洗えず殺気と同居する部屋に移るくらいなら、分不相応ではあるけれど、この居室の方がマシなのではないだろうか。ジルの髪から手を離したルーファスは、新たな判断材料を穏やかに落としてきた。
「ここには浴室も併設されているので、夜間に出歩く必要はありません」
ジルのなかで、大きな音を立てて天秤が倒れた。
「夕餉が済んだら一度お部屋に寄って、荷物を運びましょう」
「はい!」
◇
「夜分に皆さん、ありがとうございました」
「ありがとう、ございました」
大神官の居室から、使用人達が出て行った。ルーファスと一緒に廊下で見送ったジルは、応接室の扉を閉める。
「明日は休息日ですので、ご自由にお過ごしください。でも、セレナ神官は必ず護衛を付けてくださいね」
「分かりました!」
ジルの前で、風の大神官とセレナが微笑み合っている。少し離れたところでは、護衛騎士が黙々と荷物の整理をしていた。
――これっていいの?
思わず眉が寄ってしまう。風の聖堂二階には、祈祷の間、転移陣の間、大神官の居室がある。居室には、寝室、応接室、書斎、衣装部屋、浴室があるのだけれど。
寝室の次に広い空間である応接室に、寝台が三つ並んでいた。
「寝室には内鍵があります。忘れずにお掛けください」
「はい。エディ君も、こっちで寝る?」
「セレナ神官様に、醜聞が立つといけないので……お気遣いいただき、ありがとうございます」
ジルが渋面を作っていたから、応接室で眠るのが嫌だと思われたのだろう。セレナの気遣いに癒されつつ、ジルは頭を下げる。そのままセレナを寝室に送り届け、就寝の挨拶を交わした。
部屋を移る話は夕食時に行われた。その際、ルーファスと口裏を合わせていなかった為、セレナにも同僚の件が伝わってしまった。
とても心配したセレナは、部屋替えに賛成した。そして、ラシードから横槍が入った。護衛対象が別々の棟にいるのは拙い、と。
ではどうするかとなり、ジルとの同室をルーファスが譲らなかったため、今の状況と相成った。しかし、来客を迎えるはずの応接室に、寝台があるのはどうなのだろうか。
「バクリー様は扉側の寝台を。エディ君に希望はありますか?」
「ぃ……真ん中で、お願いします」
一番奥で、と答えようとしたところ、ジルは護衛騎士から無言の圧力を掛けられた、気がした。
結局、殺気との同居は免れられなかった。
ここは前向きに、殺気や侵入者から風の大神官を守るのだと考えよう。ジルは自分にそう言い聞かせた。




