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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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101 同僚と異端審問

 空が白んだ頃、ジルははたと気が付いた。


 ――そういえば、昨日は飛んで来なかった。


 殺気はジルが部屋に入る時にも向けられていた。けれど昨夜は、その気配が無かったのだ。ルーファスと話していて戻るのが遅くなったから、ラシードは眠っていたのかもしれない。


  このまま諦めてくれないかと横目で窺えば、強い風が吹いてきた。ジルは長剣を眼前に構えてやり過ごす。


 ――ダメだ。諦めてない。


 けれど振るわれた剣筋は読み易く、今日のラシードは精彩を欠いていた。


 戦いたいのだろうなと思いはしたものの、応えるわけにはいかない。そのまま刃は交えず素振りを続けて、二人は日課を終えた。


 ◇


 今日、風の大神官は祈祷で不在だ。


 朝食後、ヒロインは護衛騎士から魔力制御を習っている。魔法の使えないエディがいても邪魔になるだけなので、ジルはいつものように雑務を手伝うことにした。


 祈祷が終わり一日休息を挟んだら、建前である魔物調査に出発する。移動には馬を使うため、ジルは激励を兼ねて厩舎にきていた。


「また、よろしくね」


 二頭目の馬を拭き終えたジルは、バケツにタオルを入れた。近くの井戸で水を入れ替えて、タオルを洗う。馬を厩舎に戻してタオルを干したら、ちょうどお昼時になっていた。


 調理場の様子を確認してみよう。そう思い厩舎から出ると、一人の神官と目が合った。


 ――この人、昨日廊下で。


 ホコリのついたジルとすれ違った神官だった。


 今日も観察するような視線をジルに向けている。馬を洗っていたから藁や砂汚れが付いているのかもしれない。一度厩舎に戻って払い落そうと思い、ジルは神官に会釈して踵を返す。


「お前、リンデンの従者だな」

「……はい」


 その場で足を止めた。風の大神官を呼び捨てにするこの神官は、何者だろうか。堪え切れないといった様子で、ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。


「あいつも、やることはやってたんだな」

「?」

「昔は女みたいだったのに。なぁ、お前からも早く神官辞めろって言ってくんない?」


 ゲームの知識からピンときた。ジルを見下ろしている神官は、ルーファスに嫌がらせをしていた同僚だ。


 今は応援されていると言っていたけれど、心根は変わっていないようだ。同僚は口の端を吊り上げて、ジルに顔を近づけてくる。


「匂いがつくまで一緒にいたんだろ。あの堅物を落とした手管で頼むよ」

「申し訳ございません。何を仰っているのか……」


 ジルは本当に分からなかった。


 堅物、は敬虔なルーファスを揶揄しているのだと思う。しかし匂いや落としたとは何のことだろうか。首を捻っていたジルは、唐突に顔を掴まれた。同僚の手によって上向かせられる。


「そうやって躾られてんの? はっ、高尚な嗜癖だな」


 ――悪口を言ってるのは分かった。


「あいつが辞めないから司教様が期待してんだよ。これじゃいつまで経っても俺は上にいけない」

「それは、あなたの資質の問題では?」


 ――あ。


 と思った時には遅かった。口をついて出た言葉だけれど、後悔はしていない。


 ジルは飛んできた膝蹴りに合わせて自身の膝を曲げた。まさか防がれるとは思っていなかったのだろう。同僚は驚愕の色をみせ、満面朱を注いだ。


 怒りに任せた攻撃は読み易い。従者は神官よりも立場が低いため、一方的に処罰される可能性がある。だからジルは、回避や防御に徹して様子を見ていた。


 ――でも、一発くらいなら。


 体術ではジルに有効打を与えられないと判断したのか、同僚は距離をあけた。掌に緑の文様が浮かぶ。気儘にそよいでいた風が、一本に縒り合わされていく。


 その風が自由になる前に。ジルは一息に同僚との間合いを詰めた。逃げられる前に膝裏を蹴りつける。


「なっ」

「攻撃魔法は、禁止のはずです」


 ここは教会の敷地だ。流血を避けたいジルはナイフを投げなかった。強制的に膝を曲げられた同僚は体勢を崩し、空に向かって風の槍を放っていた。


「何をしている」


 低く重みのある声に、ジルは息をついた。戦いが長引いて目立つ傷ができたら、ヒロインの実地訓練が始まってしまうところだった。そんな事を考えていると、ジルは横から指をさされていた。


「きゅ、急に足を蹴られて……助かりました」


 切り替えが早い。座り込んでいた同僚が、割って入った護衛騎士に悲痛な面持ちで訴えている。ジルが蹴ったのは事実であるため、否定はできない。


「この事は総本山に報告しておく」

「えぇ、ありがとうございます。しかしこの者はまだ若い。どうぞ寛大な」

「そう若いようには見えないが」


 ラシードの視線は、地に膝をつけた同僚へ向けられていた。状況を理解したのだろう。慈悲深い神官の仮面が落ちた。


「は?」

「そこの若いのに言われただろう。教会内での攻撃魔法の使用は、教理に抵触する」

「証拠がねぇだろ」

「私は異端審問を委任されている」


 ゲームでもそんな設定があったような、無かったような。正直なところ、ジルは覚えていなかった。


 異端審問は、教会の教えに反する者を裁くために設けられた職務だ。しかしラシードは戦闘が一番で、教理など範疇外にみえる。


 ――魔素信仰、妖魔狩りとか、そっち方面の担当なのかな。


 朱色の瞳を更に暗くして淡々と言い渡す護衛騎士に、酌量など存在していない。異端の言葉を聴いた同僚は、青ざめた顔でその場から動かなかった。


「行くぞ」


 ジルを見たラシードは、同僚を一瞥することなく歩き出した。追って駆けたジルの背後で、やけに愉しそうな笑い声が上がった。

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