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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
101/318

100 対価と石鹸

 ルーファスの部屋は整然としていた。


 棚の書物は同系ごとに並び、机上にはペンや魔石ランプなど最低限の物しか置かれていない。訊けば、使い終わったらすべて引き出しや、所定の棚に収めるのだと答えてくれた。さすがにクローゼットは開けていないけれど、ここも整頓されているに違いない。


 併設された洗面台に視線を移すと、先ほど渡された小箱と同じ物が置いてあった。


 ――自分用に買ってたのかな。


「面白くない部屋でしょう」

「とても整頓されていて、気持ちがいいです」


 漆喰の壁、焦茶色の柱や床板。殺風景ともいえる室内なのに、家具の配置や手入れ具合から為人がみえ、あたたかみを感じる。ジルも同じ造りの部屋を宛がわれているのに、居室する人でこうも印象が変わるのかと驚いた。


 ジルは物書き机の椅子に座り、ルーファスは寝台に腰掛けている。来客をもてなす部屋ではないため、椅子は一脚しかなかった。


 流石はルーファスの寝所と言うべきか、ふわふわだ。空気をたっぷりと含んだ上掛けは、とてもやわらかそうだった。他人の部屋で寝そべるなど、迷惑この上ないことは分かっている。だからジルは我慢した。


「聖堂には大神官用の居室があるんです。ですけれど広すぎて」

「分かります。僕も広いところは、落ち着きません」


 傍になにも無いと、一人きりになってしまったような寂しさを覚える。恥じたように笑む風の大神官へ、ジルは全力で同意した。


 それからルーファスは色々な質問をジルにしてきた。従者になる前、エディは何をしていたのか。ジルは普段どんな様子なのか。なにか困っていることはないか。


 ――教会領で話してた時みたい。


 穏かに、時どき困ったように笑む姿は、ジルが知っているルーファスだ。答える合間にジルからも質問を挟んでいると、すっかり夜は更けてしまっていた。


「すみません。明日は、祈祷があるのに……」

「でしたら石鹸、使ってくださいね」


 ――丸め込まれた気がする。


 魔石ランプの灯りを受けて、緑葉の瞳がやわらかに映えている。対価は時間だろうか。それにも違和感を覚えたけれど、ジルは謹んで石鹸を頂いた。


「今日から、使わせていただきます。ありがとうございます、リンデン様」


 受け入れてしまえば、ジルにと分けてくれたルーファスの心遣いに目元が緩んだ。


 その直後、ルーファスの顔面が蒼白になった。具合が悪くなったのだろうか。救護員を呼んでこようとジルが立ち上がったとき、座ったままのルーファスに腕を掴まれた。


「大丈夫です。少し眠気に、誘われてしまったようです」


 申告通り顔色は戻っていた。けれど手は熱を出したように温かい。眠たくて体温が上がっているのだろうか。本当に大丈夫かと心配の眼差しを向けると、緑の瞳は深く色付いていた。


「エディ君も疲れたでしょう。部屋までお送りします」

「いえ、ここまでで結構です。主人に送られる従者なんて……変です」


 教会領を出立する時から丁寧過ぎる気がしたけれど、それに拍車が掛かっている。


 風の大神官は、明日に備えて体を休めなくてはいけない。役目を優先して欲しいとジルは断った。渋々といった様子でルーファスは引き下がってくれたけれど、その姿は叱られた子犬のようだった。


 廊下に出たジルは、挨拶をしようと部屋を振り返る。口を開こうとしたとき、ルーファスの手が首元に伸びてきた。


 何をされるのかとジルは身構えた。けれどその手は毛先に触れただけで、それ以上動かない。何かを確かめるように手元を見詰めたあと、ルーファスの腕は下ろされた。


「おやすみなさい」

「おやすみなさい、よい夢を」


 緊張を解いたジルは、眉尻を垂らして笑んでいるルーファスにお辞儀して、部屋を後にした。


 ――髪にホコリでも付いてたのかな。


 途中ですれ違った神官からも、ジロジロと見られていた。他にも付いているのかもしれない。清掃中にホコリが、と推測すれば、いつから付けていたのかと恥ずかしくなった。


 ◇


 居住棟の個室に浴室はない。多人数で利用する浴場を使えないジルは、洗面台を使って体を清めていた。


 ルーファスから貰った石鹸を泡立てる。香りがひらき、部屋の中に花が咲いた。手を滑らせて肌に撫でつけたら濡れたタオルで泡を拭い、もう一度濡れタオルで体を拭く。


 ――いい匂い。


 上半身が済んだら下も同じように洗い、支給された寝衣に着替えてジルは寝台に入った。


 体温で暖まった布団から甘い香りが立ち昇り、頬が緩んでしまう。ジルはルーファスに感謝しながら眠りについた。

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