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傾界の聖女  作者: たま露
【風の領地 編】
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99 幌馬車と小箱

 聖女の護衛騎士、ラシード・バクリーは攻略対象の一人だ。もともと近衛騎士として推薦されていたところに、聖女の護衛役が舞い込んできた。


 リシネロ大聖堂には多くの参詣者がいる。その場所を警護する近衛騎士には、実力だけでなく容姿も求められた。


 けれど教会領で争いごとなど、無いに等しい。魔物討伐、そして戦うことが好きなラシードは、聖女の護衛役を二つ返事で承知した。


 ガットア領出身のラシードには両親、そして弟妹がいた。


 父親は隊商の長をしていた。その頃に出現する魔物は中級ランク以下がほとんどで、魔物よりも盗賊団のほうが厄介な存在だった。


 襲撃から身を護るため隊列を組み、旅程の指揮をとる。何人もの商人をまとめ上げる父親を、ラシードは尊敬していた。ひと処に留まることはなく、あちらこちらに移動していたため親しい友人はいなかった。けれど、明るい母と弟妹がいたから寂しくはなかった。


 その日、雇った用心棒や腕に覚えのある者は、盗賊と交戦していた。


 父親が率いる隊商は荷を奪われたことがない。今回も盗賊はすぐに逃げていくだろうとラシードは思っていた。予想通り、幌の外は静かになった。しかし、一向に声をかけられない。


 許可が出るまで動くなと言われていたけれど、剣の心得なら自分にもある。ラシードは家族が止めるのも聞かず幌馬車から飛び出した。


 それが、生死を分けた。


 振り返った先でトカゲのような巨体が、幌馬車ごと家族を呑み込んでいた。魔物は隊商を喰い散らかし腹が満たされたのか、ラシードを挑発するように大きな口を歪ませ、どこかへと消え去った。


 家族を魔物に殺されたラシードは、取り憑かれたように剣を振った。魔物と聞けばどこへでも駆け刃を向けた。


 弱い者はすぐに消えてしまう。消えるのなら要らない。惜しむ命など、ラシードには無かった。


 独りになって二年が経ったある日、上級ランクの魔物が現れた。そこで第五神殿騎士団に拾われ、従卒となった。その二年後、異例の速さでラシードは騎士に叙任された。


 四年後、二十歳となったラシードは聖女の護衛騎士となる。日々鍛錬し強くあろうとするヒロインから目が離せなくなり、庇護欲を掻き立てられた。自分が護らなければ、消えてしまうのではないか、と。


 ――そんな人から殺気を向けられる私は魔物かな?


 けれどラシードは、執務室前でジルが倒れた時に介抱してくれた。だから、殺したいほどに嫌われている訳ではないだろう。たぶん。


 護衛騎士の横に並んでセレナを待っていたジルは、ちらりと斜め上を窺う。正面に向けられた朱殷色の瞳からは、やはり感情は窺えなかった。


 ◇


 ぐったりとした様子で図書館から出てきたセレナ、そして途中で合流したルーファスと共に居住棟へ移動し、ジルは夕食を摂った。四人で食卓を囲むのは動かざる決定事項らしい。


「明日、僕は伝承碑から離れられません」


 困ったことや緊急の要件があれば司教に伝えて欲しいと、申し訳なさそうにルーファスから指示された。


 明日の十九日は、大神官が月に一度行う祈祷の日だ。


 聖女の力を補強するため、大神官は聖堂にある祈祷の間に籠り、伝承碑の上で魔力を流し続ける。一回二時間、一時間の休憩。それを三回行う。一般的な魔力量なら初めの二時間で倒れてしまうだろう。


「ありがとうございます」

「なにかありましたか?」

「大神官様達が、祈祷してくださるから……僕たちは、今も暮らせています」


 解散となり自室へと戻る背を追って、ジルは風の大神官に一礼した。三年前の東屋で言えなかった言葉を、やっと伝えることができた。謝意するところが分かった瞳は、緑葉を深くして微笑んでいる。


「ここで少し、待っていてください」


 ジルにそう告げて自室に入ったルーファスは、一つの小箱を手にして戻ってきた。なんだろうと窺っていたジルに、その小箱が差し出される。


「好きだと言っていた石鹸です。宜しければお使いください」

「えっ」

「宿屋に納品しているお店がこの街にあるんです」


 手触りのよい厚紙でできた小箱には、お店の印章だろうか、白インクで花の模様が押されていた。上流階級を対象とした宿泊施設に出入りできるお店の品だ。安価なはずがない。自分には払えるお金がないとジルは静かに断った。


「簡単に手に入るものですから、気にしないでください」

「何かを得るには……対価が必要です」


 正直なところ、香りを気に入っていたジルは嬉しかった。けれど、貰ってばかりというのは心苦しい。それに、与えられるのが当たり前だと慣れてしまうのは、嫌だった。


「……少し、お話ししませんか?」


 頑ななジルに呆れているのかもしれない。ふわふわな飴色の髪を揺らして首を傾げたルーファスは、自室の扉を開いた。

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