第48隻
2時間後。
再び判決の間に人々が集まった。
各人の位置関係は変わらないが、明らかに表情が異なる。
最初眉間に皺を寄せ憮然としていたボラード伯爵は、今や悠々と余裕な表情で席に座っている。
対して、奥に座るサラは落ち着きなく不安な表情を浮かべている。
ドルフィン侯爵というと、さすが表情に変化はない。
それでも、先ほどとはやはり様子が違う。
まさかただ進行役をしていたに過ぎない自分が、槍玉に挙げられるとは思いもしなかっただろう。
この2時間という時間は、軍事局と財務局から資料を捜索し、持ってくるのにぎりぎり違和感のない時間設定だ。
休憩時間が長ければ長いほど、ケヴィンたちに対策を練る猶予を持たせてしまう。
つまり皇帝も、ケヴィンたちに反論をさせるつもりがないということだ。
「それでは裁判を始めよう」
皇帝の声が判決の間に響く。
ナタリーはつい皇帝を睨みつけそうになるのを必死に堪えながら、拳を握りしめた。
「さて。ここからは私が進行した方が良さそうだな」
わざとらしく書類を手に持ちながら、皇帝がドルフィン侯爵をちらりと見る。
今やドルフィン侯爵は中立な立場とは言えない。
皇帝の言葉に反論できるはずもなかった。
「陛下のお手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
努めて冷静に、ドルフィン侯爵は皇帝に頭を下げた。
やはり実質この国を動かしている男だ。貫禄が違う。
そんなドルフィン侯爵が鼻持ちならないのか、眉間に皺を寄せた皇帝が傍聴席には届かないほど小さく鼻を鳴らして、手元の資料を掲げた。
「ここに、財務局と軍事局から取り寄せた書類がある。休廷中私も確認したが、ボラード伯の言う通りだ。軍事局を捜索した騎士が、大臣執務室に隠すようにしてあった設計外範囲の工事発注書と支払書を発見した。同じように、旧式の武器の納品書もそこにあった。支払書には、当初の発注通りの金額が記載されているのに、だ」
聞いているものを威圧するような低い声で、皇帝が宣う。
皇帝は愚かで強欲だが、見てくれは賢君そのものである。
その言葉には、嘘が含まれているようには思えない。
「何か申開きがあるか。アンカー辺境伯」
「閣下。誓って私は何もやましいことはしておりません。最北の要塞の宿舎は、発注外にも関わらず工事作業員たちが好意で補修してくれたものです。武器についても、軍事局から正式に一部旧式になると事前に話を聞いておりました」
「あくまで認めないつもりだな。ここにこうして確かな証拠があるというのに!」
資料をケヴィンに見せつけるように前に突き出し、皇帝は怒りのままに叫ぶ。
もちろん、内心は笑いが止まらないことだろう。
思い通りに事が運んでいると、愉快で仕方ないに違いない。
ナタリーはじっと皇帝が突きつけている資料を睨みつけた。
ちらりとボラード伯爵を見る。
傍聴席からは見えない角度でにやりとしているのが見える。
休廷の前、完全に自分のペースに持ち込んだことで勝利を確信しているのだろう。
だが、彼らは知らない。
これから追い詰められるのは、自分たちだ。
「陛下。そちらの書類、少々おかしいですね」
ドルフィン侯爵が顎に手を当てて奇妙なものを見たかのように、首を傾げる。
実に自然な動作だ。
《《まるで演技に見えない》》。
「おかしい……? 一体何がおかしいと言うんだ」
「正確に言うと、紙です。大変恐れ入りますが、一枚だけ書類を掲げていただけますでしょうか」
一体なんだと眉間に皺を寄せ訝しげな表情をした皇帝が、渋々紙を手に持って掲げる。
先ほどやった行動と変わりないために、拒むことは出来ないだろう。
「陛下。今お手元にある書類は、見るに最北の城壁の発注書、でお間違いないでしょうか。設計書範囲外の工事も含めた」
「ああ。そうだ」
「そうなると、今から1年以上は前の書類になりますね。城壁工事が始まったのは昨年の晩夏ですから。ですが、そちらの書類に使われている紙。それは今から3か月ほど前から皇宮の行政省全体で試験的に使用されるようになった紙ですよ。ここにちょうど半年前に作成された資料があります。紙を比べてください。こうして透かして見ると、陛下のお手元の書類の紙は光が透けて見えます。製紙技術が最近進歩したことで、紙がより薄くなったのです」
ドルフィン侯爵も皇帝と同じように紙を掲げる。
二つを見比べれば、一目瞭然だ。
侯爵が掲げる紙はほとんど裏が透けないのに対し、皇帝が掲げる紙は光が透けて薄ら皇帝の指の影が見える。
色や質感は一見ほとんど違いが分からないが、透かしてみれば明らかに紙の厚みが違う。
(上手くいったのね……!)
ナタリーは思わず、ドルフィン侯爵の隣にいるロレインを見つめた。
それまでただ静かに無表情で座っていたロレインが、ナタリーに一瞬だけウインクをして返す。
事前に仕掛けていた罠に、ボラード伯爵はばっちりかかっていたのだ。
今から約3か月前。
魔獣がシャンクの街に現れた翌日。ナタリーの執務室。
ナタリーはキールからボラード伯爵の不審な動きについて、改めて報告を受けていた。
『どうやらボラード伯爵は、時々皇宮に連絡を取っているようですよ』
ナミルとユージーンの前に現れた紳士の姿で、優雅に紅茶の香りを楽しみながらキールは言った。
『皇宮に? 一体誰と?』
『官僚の中の誰か。おそらく、元の軍事局に居た職員の残党でしょう』
元の軍事局はドルフィン侯爵により解体されたが、全ての職員が入れ替わった訳ではない。
全ての官僚を排除してしまっては、そもそもの業務が成り立たないというのが現実だ。
調査の結果不正に関わったと判明した者は処分され、軍事局から姿を消した。
これで多く官僚が退くことになったが、はっきりとした関与が認められなかった者は、その立場に応じて降格や異動を行い、まだ行政省に残っているのだ。
『そう……。怪しいわね』
『ええ。今のところ官僚たちに怪しい動きはありませんが、何かを指示された可能性はありますね』
今でもボラード伯爵に忠義を持っているか、ボラード伯爵が官僚たちの弱みを握っているか。
何にせよ、官僚がボラード伯爵の指示に従うという可能性は捨てきれない。
『官僚たちに働きかけるということは、何らかの行政手続きに手を加えるつもりかしら。必要な手続きを免除させる……いえ、公式な書類を書き換える、とか……? ……そうよ!!』
何かを思いついたナタリーは、自分のデスクの上に積み上がっている書類をかき分け、一枚の紙を取り出した。
『これよ!! この紙!!』
それは、ファンネル商会で最近扱うことにした、最新の書類用紙だった。
『今すぐロレインのところに行きましょう! ボラード伯爵への罠を張ってもらうのよ!』
こうしてナタリーは、ロレインを通じて財務局に働きかけ、ボラード伯爵への罠を張ることにした。
期間限定の試験運用として、最新式の薄い紙に書類用紙を差し替えたのだ。
建前上は、日々肥大化していく行政文書を軽量化し、保管場所の確保のための検証である。
行政省で使用する事務用品は、財務局で一括発注することになっている。
新しい軍事大臣の協力も得て、人知れず軍事局内の在庫も全て新しい紙に差し替えた。
万一何か書類の改竄が行われたとしても、これで見分けられる。
だが、これは一つの賭けでもあった。
紙の差し替えが行われる前に既に書き換えが行われているかもしれないし、官僚が紙の違いに気付く可能性もある。
けれど、今。
ナタリーの張った罠がきっちり役目を果たしたと証明されたのだ。
「陛下。つまり陛下が今お持ちの書類は、直近3か月以内に作成されたもの。本物の書類ではないということになります」
ドルフィン侯爵の言葉に、傍聴席が大騒ぎになる。
この裁判はどこまで予想外のことが起こるのかと、記者たちは大慌てだ。
ナタリーは思わず隣に座るケヴィンの手を握った。
ケヴィンも握り返してくる。
今すぐ歓声を上げたい気分だ。
「今お手元にある書類、全てをご覧ください。もしや全て同じ紙ではありませんか?」
「…………確かに、そのようだ」
ここで違うと否定して、ドルフィン侯爵がこの書類を傍聴席に掲げれば、皇帝の嘘が露見する。
皇帝としては、自分が不利なることは決してしないだろう。
「どういうことだこれは!! 一体誰がこんなことを!?」
どう行動するのが自分にとって利になるか、皇帝は瞬時に判断したようだ。
キッとボラード伯爵を睨みつけ、その後書類の捜索にあたった騎士たちに叫んだ。
既に裁判は大混乱。収拾がつかないほどの騒ぎになっている。
「恐れながら陛下。誰がそのような不正を行なったのか、それを示す証拠を提出したいと思います」
ケヴィンの低い声に、場がしんと静まり返る。
全員の注目を一身に浴びて、ケヴィンは一枚の便箋を取り出した。
「とある官僚から預かりました。ボラード伯爵から、書類の改竄を指示する手紙です」
ここからは、全てこちらのターンだ。
ナタリーは小さく口角を上げた。




