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第46隻


 傍聴席がざわつく。

 新聞記者たちが、必死にメモを取っている。

 ナタリーはあんぐりと口を開けてしまった。

 ボラード伯爵ならば、そう反論するだろうことは予想できていた。

 驚いたのは、皇帝の表情だ。


「ほお、どういうことだ」


 髭を撫でる仕草で隠しているつもりかもしれないが、口角を上げて嫌なにやけ方をしている。

 皇帝の表情は、この後の展開を理解している。


(やられた……!!)


 ナタリーは思った。

 一体どのタイミングで接触したのか分からない。

 だが、ボラード伯爵は皇帝を味方に付けている。

 皇帝の利になる話を事前に持ち込んでいたのだろう。

 裁判であるからには、法に基づく裁きが前提なことには間違いない。

 しかし皇帝が判決権を持つ以上、皇帝を味方に付けることは、絶対的に優位になる。

 当然裁判前に皇帝に接触することは違法だが、皇帝自らが否定し誤魔化してしまえば、もはや罪に問うことは不可能だ。

 ナタリーとて、考えなかった訳ではない。

 だがここは正当性を訴えるためにも、真っ当な姿勢で臨むべきだと判断した。

 もちろん、タイミングを見計らって運河の建設状況の報告書を送付したりはしたが……。

 権力を失い領地に引きこもっているボラード伯爵が、そう簡単に皇帝と接触することは出来ないだろうと思っていたが、甘かった。

 自分の甘さに、ナタリーは臍を噛んだ。


「陛下。私は誓ってそんな恐ろしい事件に関わってはおりません。全て、当家の嫁であるサラが引き起こしたことなのです。彼女は痴情のもつれから、ファンネル嬢を酷く恨んでおりました。覚えていらっしゃいますか? 当家の嫁とファンネル嬢の婚約者であるバース小子爵が不倫関係にあるという話がありました。以前レセップス運河建設計画の事業説明の際に、そんな事実はなかったと当事者両名からの手紙を提出いたしましたが、結局それは嘘だったのです。まさか皇帝陛下に浅ましい嘘を聴かせるなど、断じてあってはならないこと。サラは陛下を欺き、バース小子爵に執着していました。それはそれは、悍ましいほどの執着だったのですよ」


 ボラード伯爵が芝居掛かった口調で滔々と述べる。

 サラとミゲルの不倫が事実だなどということは、今となっては誰もが知っていることだ。

 皇帝の前でその話が曖昧に終わったのは確かだが、あえてこの場でその事実を皇帝への虚偽と共に引き合いに出して、サラの人間性を貶めているつもりなのだろう。

 まるで「それは遺憾だ」とでもいうように、皇帝が腕を組んでいる。

 完全に話の流れを理解している。

 なまじ、事実であるが故にたちが悪い。


「私はサラを問い詰めました。陛下に嘘をつくなど、絶対にあってはならない。そもそも当家の嫁でありながら、他の男と通じるなど、断じて許されません。当時、私はかなり厳しく叱責しました。そのせいでしょう。彼女は当家に、そして私に恨みを持ったのです。私を陥れようと、全て彼女が仕組んだことなのです! 私も彼女を追い詰めすぎたのだと、反省しなければなりません。けれど許されないものは許されない。そうでしょう?」


 舞台役者顔負けの熱演だ。

 元々ボラード伯爵は演説が上手い。

 長年大臣職に就いていただけはある。

 相手を納得させるような話し方に長けているのだ。


「それでは、先ほどの証人の話は嘘だということか?」


 ドルフィン侯爵が尋ねる。

 鋭い視線だ。

 ボラード伯爵はその視線を真っ向から見返して、続けた。


「その通り。そもそもあの男はビット伯爵家の使用人だろう。サラの肩を持つのは当然ではないか。些か証言の信憑性がないのではないか?」

「話はわかった。サラ・ボラード。何か言いたいことはあるか」


 侯爵は頷いてみせてから、サラに尋ねた。

 それまで静かに押し黙っていたサラが、騎士の誘導で証言台にのぼる。

 入れ違いになった執事のモーリスは心配そうに振り返ったが、そのまま退廷させられてしまった。


「先ほどのモーリスが話した通りです。私はお義父様の指示で魔獣の飼育と調教を行いました。私に罪があることは認めます。いくら指示されたからと言って、決してやってはいけないことだった。けれど、私が考えたことではありません。そもそもバース小子爵との関係を否定する手紙も、お義父様に書けと言われて致し方なく書いたものです。私は何も嘘は申しておりません」


 毅然と、迷いのない口調だ。

 覚悟を決めているのだろう。

 サラのその立ち姿は、いっそ美しくすらあった。


「だと言うなら、ダリル・ボラードからの指示だと証明するものはありますか」

「はい。お義父様は最北の要塞で魔獣の死体を処理する作業員を買収し、直接指示を出していました。その作業員に話を聞いていただければ分かります。それに、その作業員に宛てたお義父様の指示書があります。作業員から私がもらったものです。お義父様はインクにこだわりがあって、特注のインクを使用してます。指示書もそのインクで書かれていました」

「よろしい。ここに、その指示書があります。『魔獣の死体の腹を調べろ。妊娠している個体を見つけ次第すぐに回収し、腹から生き子供を取り上げろ』と書かれています。調べたところ、以前ダリル・ボラードが全ての正式な書簡に使用していたインクと一致しました。また念の為筆跡鑑定も行いましたが、95%ダリル・ボラードの筆跡に間違いないとのことです」


 ドルフィン侯爵は件の指示書を掲げ傍聴席に見せた後、皇帝に恭しく渡した。

 またも傍聴席がざわつく。

 先ほどまでボラード伯爵側に流れていた空気が、一気にひっくり返る。

 やはり証拠の威力はすごい。


「本来ならここに作業員を呼んで話を聞くべきでしょう。しかし、それは叶いませんでした」

「えっ何故ですか!?」


 侯爵の言葉にサラは驚き、思わず尋ね返す。

 その様子を見ると、元は証人として呼ぶ手筈だったのだろう。


「つい3日前、亡くなったのです。何者かに銃で撃たれ、道に倒れているところを発見されました」

「なんてこと……!!」


 サラが目を見開きボラード伯爵を振り返る。

 ナタリーもつい伯爵を睨みつけてしまった。

 自分が不利になる証言をするからだろう。

 彼が処理したに違いないと思ったのだ。


「なんと哀れな……。我が民が命を落とすのは心が痛い」


 皇帝が大袈裟に肩を落とし、眉間に右手を置く。

 まるで慈悲深い皇帝のような仕草に、ナタリーはぞわりと鳥肌が立つのを感じた。


「お聞きになりましたか陛下。この話の流れで、証人が消えて得するのはあたかも私かと思われるでしょう。けれどそんなあからさまなことをすれば、私に疑いがかかると分かってそんなことをするはずがない! そもそも、私は1か月前から皇宮に拘留されていたのです。そんな私に、3日前の作業員の死にどう関われるというのでしょうか! 逆なのです。真実を語るものがいなくなり、サラは好きに虚言を吐ける。誰も彼女の嘘を否定できる者が居なくなってしまったのですから。私との関係など語りようもない作業員を殺め、その上で私を陥れようとしている! このような悍ましい女が、我が家に嫁として入り込んでいたなど、全く恐ろしいことです!」


 ボラード伯爵の言い分は、確かに筋が通っている。

 彼が3日前に作業員殺害の指示が出せないだろうことも確かだ。

 もちろん、皇帝が何も関係していないのであれば、だ。


「それに私のインクで書かれた指示書、ですか。それこそサラが黒幕だと言っているようなものです。そのインクは、半年も前に失くしているのですから」


 会場が再びざわついた。

 ぬけぬけと嘘をつく面の厚さに、ナタリーは心底辟易とする。

 そんなハッタリが許されるとでも思っているのだろうか。


「その証拠に、半年前から私は別のインクを使っています。疑われるのであれば、この半年の間に財務局に提出した領地の経営報告書をご確認ください。間違いなく別のインクですから。我が家を全て探していただいても構いません。そのインクはどこを探してもない。一体どこに行ったのかと思っていましたが、今考えればサラがその指示書とやらのために盗んだのでしょう。彼女は仮にも嫁ですから。いくらでも盗む機会はあったはずです。法務大臣閣下。筆跡鑑定なんて、なんの証拠にもなりはしないものを取り上げてまで、私を犯人にしたいのですか?」


 まるで小馬鹿にしたように、ボラード伯爵はドルフィン侯爵に諭した。

 確かに筆跡鑑定はまだ成熟しているとは言えず、証拠とするには力不足なところがある。

 ドルフィン侯爵とて、ただ補助的に取り入れたにすぎない。

 そんなことは重々理解した上で、あえて侯爵の進行に偏向があるかのように誘導しているのだ。


「なんと本当か? 今すぐ財務大臣に書類の確認をさせるように」


 皇帝が騎士の一人に声をかける。

 その騎士は「はっ」と短い返事の後に、判決の間から出ていった。


 皇帝自らそう言うということは、事実その領地経営報告書は別のインクで書かれたものなのだろう。

 もちろん、最近の書類が別のインクで書かれていたからと言って当のインクを失くした証拠にはならない。

 家宅捜索をしても、既に処分していれば見つかるはずもない。

 だが、インクを失くしていない、という証明も出来ない。

 つまりは、サラが機転を利かせて入手した証拠も、効力を失うということだ。


 あえてそんな仕込みをするということは、こちらに指示書という証拠があると知っていたということだ。

 一体どの時点で気付いたのか。

 あまりの念入りさに、ナタリーはボラード伯爵は想像以上に厄介な人物だと、背中に汗が流れるのを感じた。


「そもそも、実行犯である使用人も調教師も、皆ビット伯爵家の関係者ではありませんか。魔獣の調教を行なったのもビット伯爵領。普通に考えれば、私の指示であるということの方が言いがかりです」


 まずい。

 ナタリーは思った。

 場の空気がボラード伯爵に支配されている。


「何故私がここに罪人として連れて来られることになったのか。これは私を陥れるために仕組まれたことです。サラだけではありません。彼女だけでは私をここに連れ出すのは不可能だったでしょう。私を陥れたのは、他でもない。アンカー辺境伯と法務大臣閣下です」


 そう言い放つと、ボラード伯爵はちらりとドルフィン侯爵を見た。

 にやりと。

 嫌な笑みを浮かべて。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 前回からイヤな感じでしたが、皇帝のクソ野郎ぶりに(#^ω^)ピキピキ 不思議と悪の本体なボラード伯爵よりも腹が立つ。 大事業を抱えてる状態で、国のトップがあてにならないどころか明確に害…
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