第45隻
長らくお待たせしました。
また肺炎を再発し、熱で寝込んでおりました。
体調が落ち着いてきたので、更新を再開します。
それから1か月。
運河の建設は順調に進行し、かなり開削作業が進んだ。
あと半年もすれば、第一段階が終了するだろう。
やはり魔獣を工事に利用していることで、スピードが格段に早い。
更に最小限の人員で作業が進められるため、コストも抑えられる上、工事中の人的事故の危険性も低い。
最初は魔獣による工事は一般化しないだろうと踏んでいたナタリーだったが、運河と最北の城壁工事に魔獣が利用されていることが広まり、予想に反して関心が高まってきている。
上手くすれば、本当に魔獣たちの貸し出しビジネスが成立するかもしれない。
ケヴィン曰く、ハムモットやモルドラたちは魔獣の中でも数が多いらしい。
そこは普通の動物たちと生態系が似ているのだろう。
もっと数多く調教することが出来れば、十分に可能だ。
ナタリーが来る前からケヴィンが進めていた事業でもある。
出来るなら実現させたいと思っていた。
肝心の運河事業は、開削作業が終了した後、運河の中腹に閘門を設置する工事に入る。
閘門とは、運河の中に設置される、その名の通り門のような施設のことだ。
二箇所の閘門で運河を堰き止め、閘門と閘門の間に船を入れたあと、水を抜き差しすることで水位を調整する。
最終的な調査で西海と東海に多少の海抜差が認められたため、その差を解消をする必要が出てきたのだ。
当初より予算も期間もかかることになったが、概ね想定の範囲内だ。
とは言っても、幅員の広い運河故に、閘門の設置は難易度が高い。
今回の工事の最難所と言っていいだろう。
だが逆を言えば、閘門が完成すれば運河の建設は終わりが見えてくると言って過言ではない。
工事が完了し、海と運河を繋げ、水で満ちた運河を早く見たい。
そう、ナタリーは心待ちにしている。
運河事業とファンネル商会の業務で慌ただしく過ごしながらも、ナタリーはこの1か月を酷く長く感じていた。
ただ待つだけという時間は、恐ろしく長く感じるものだ。
そして、ようやく。
皇帝の名で、裁判の開催通知が届けられた。
ボラード伯爵との悪縁は、ここできっちりと断ち切らなければ。
何も身構える必要はない。
全面的にこちらに正義はある。
堂々と、真実を明らかにすればいいだけだ。
ナタリーとケヴィンは、胸を張って皇都へと向かった。
「これより、ボラード伯ダリル・ボラード及びサラ・ボラードの裁判を始める。法務大臣、事件の概要を説明せよ」
皇帝の声が響く。
ここは「判決の間」。貴族の裁判を行う場合にのみ開かれる皇宮の中の部屋だ。
荘厳な謁見室とは異なり、木造で案外質素な趣だ。
それでいて、どういう訳か緊張感を漂わせているのは、その用途故なのだろうか。
中央の一段高い場所に皇帝が座しており、その両側を近衛兵が守護している。
他にも壁際に騎士が何人か立っている。
皇帝と罪人が同じ空間にいることになるのだ。それだけ厳重な警戒がされているのだろう。
皇帝に向かって左手にナタリーとケヴィンが並んで座り、右にボラード伯爵が手錠をかけられた状態で座っている。
この状況が不愉快で仕方がないというように、眉間に皺を寄せて背もたれに背中を預けている。
どうやら罪を悔い改めているという様子はない。
やはり一筋縄ではいかないか、とナタリーは内心嘆息した。
ナタリーから見てボラード伯爵の左奥に、サラが座っているのが見える。
彼女の手首にも手錠が見えた。
ボラード伯爵とは対照的に、沈痛な面持ちで俯いている。
最後に会った時よりも更に痩せた。
心なしか顔色も良くないように見える。
ナタリーはサラを心配に思い、同時に、彼女を心配する日が来ようとはと、妙な感慨を覚えたのだった。
「事の発端は今から3か月前。アンカー辺境伯が治めるシャンクの街に、突如魔獣が出没したのです」
法務大臣であるドルフィン侯爵は、滔々と事件を説明した。
彼の役目は中立に、事実のみを述べることだ。
そして原告であるケヴィンの訴えをこの場で伝えること。
当然、事前に皇帝には事件について説明済みだ。
それをあえてこの場でもするのは、争点を明確にするためと、傍聴人のためである。
貴族の裁判は傍聴が認められている。
と言っても、誰もが出来るわけではない。
事件関係者と新聞社の者のみが傍聴の権利を与えられている。
傍聴席には、この大スキャンダルを聞き漏らすまいと必死な表情でメモを手に取る記者たちに混じり、ミゲルの姿もあった。
誰もがドルフィン侯爵の言葉に真剣に耳を傾けていた。
「それでは、ここで証人に話を聞きます。モーリス・クリート。前へ」
そう呼ばれて中央に歩いてきたのは、シャンクでスラスター騎士団が捕らえた身なりのいい男だった。
皇帝に対峙する形で、中央の証言台に立つ。
「皇帝の御名の前に、真実だけを話すと誓うな」
「はい……誓います」
「そなたはサラ・ボラードの生家であるビット伯爵家の執事に間違いないか」
「はい。その通りです」
サラが自供したことにより、もう隠す必要がなくなったのだろう。
諦観に肩を落とし、淡々と答える。
モーリスと呼ばれた男は、ちらりとサラに視線をやった。
やはりサラのことが心配なのだろう。
「そなたが魔獣をシャンクの街に放った。それも間違いないか」
「はい……。魔獣を調教した調教師たちと共に行いました」
「それはサラ・ボラードからの指示か?」
「お嬢様は私に命令した訳ではありません。懇願されたのです。お嬢様の身を案じ、私は自らの意思で行いました」
「なるほど。では何故サラ・ボラードの身を案じたのか、理由を」
「お嬢様は、義父であるボラード伯爵様に脅されていたからです。言うことを聞かなければ、貴族としての人生はお終いだと」
「それはサラ・ボラードから聞いたことか?」
「そうです。お嬢様は、涙ながらに語っておいででした」
モーリスはまたサラに視線を移す。
が、サラの前に居るボラード伯爵に睨まれ、さっと視線を床に落とした。
一介の使用人が、真実とはいえ有力者に不利な証言をすることは、相当に勇気がいることに違いない。
「魔獣を調教したということだが、どこから魔獣を手に入れたんだ?」
「ボラード伯爵様が、我々に送ってきたのです。最北の要塞で討伐された妊娠中の魔獣の亡骸を、作業員に命じて入手したと聞いています。腹から取り出した赤子の魔獣を我々で育て調教しました」
「その話は誰から聞いた」
「ボラード伯爵様とお嬢様が話しているの聞きました。伯爵様も何度か訪れて、魔獣の状況を確認していました」
「なるほど」
「ダリル・ボラード。何か反論はあるか?」
徐に、皇帝がそう尋ねた。
裁判の進行は法務大臣が仕切るのが通常だ。
一体なぜ皇帝が介入してきたのかと、ナタリーもケヴィンも驚き目を見張る。
まだ話の途中であろうことは、ドルフィン侯爵の様子を見れば分かる。
侯爵も予想外だったのだろう。驚いて皇帝を見上げている。
「発言をお許しいただけますでしょうか、陛下」
「構わぬ」
「誠に恐悦至極に存じます。陛下、私が言いたいのはただ一つ。そこの使用人が言ったことは、全くのでたらめだということです」
有無を言わさぬほどの威厳をもって、ボラード伯爵は、はっきりと言い切った。
明日も更新予定です。




