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第43隻


「ケヴィン様。あなたのせいではありません。絶対」


 沈黙を破り、ナタリーはしっかりとした声で言った。

 過去に何があったのか、確かにナタリーには知り得ない。

 けれどケヴィンにとって、前妻の死が大きな傷になっていることは、随分前から気付いていた。

 だから言っておきたかったのだ。

 この優しい男が、傷付かないでほしいと、それしか考えられなかった。


「……ありがとう、ナタリー」


 そう呟いたケヴィンの顔を、ナタリーは何故か見ることが出来なかった。



 一足先に、ナタリーとケヴィンはゲートで皇都に戻った。

 ベティのことを法務大臣に報告するためだ。

 ボラード伯爵を裁く裁判の重要な参考人である。

 また、子爵家出身だったケヴィンの前妻を死に追いやった可能性もある。

 大臣の耳に入れない訳にはいかないだろう。

 とは言っても、さすがのドルフィン侯爵も手が回らなくなってきたようだ。

 大臣の時間を取る事はできず、ロレインにのみ報告を行った。

 ロレイン自身もあまりに忙しすぎて目が回っているようだったが、ナタリーたちの話は丁寧に聞いた上で、確実にドルフィン侯爵に伝えてくれると約束した。

 そしてロレインは、ボラード伯爵の状況を教えてくれた。

 彼女の話では、ちょうど今日、ボラード伯爵家の家宅捜索が行われたという。

 国に属する皇宮騎士団は、帝国の中に三つの支部を持っている。

 皇都を囲むように設置された東西南の支部のうち、ボラード伯爵領に近い東支部の騎士たちが邸宅に踏み込んだのだ。

 その結果はまだ届いていないが、ボラード伯爵の身柄は押さえたとのことだった。

 どうやら、ケヴィンとナタリーがベティのアパートに足を踏み入れたとほぼ同時の出来事だったようだ。


 ベティと同じように、ボラード伯爵も移送用の馬車で皇都に連れて来られるだろう。

 これから彼らは皇宮騎士団の尋問を受けることなる。

 本人たちからの証言を取った後で、皇帝を前にした裁判が開かれる予定だ。

 今でこそその権力を失っているボラード伯爵だが、かつては皇帝の腹心だった男だ。

 皇帝が判決権を持つ以上、皇帝の心象はとても重大だ。

 あの皇帝のことだ。万一ボラード伯爵側に利益を感じれば、何だかんだと理由を付けてボラード伯爵の罪を問わない可能性もある。

 そのことは伯爵も重々理解しているはず。

 今の伯爵に何かができるとは思わないが、警戒するに越したことはない。

 そして、ナタリーたちにできることは。

 やはり何よりも皇帝に運河建設が順調であることを見せることが重要だろう。

 ボラード伯爵の企みを最小限の被害で抑えた故に建設計画に支障はないが、もしも魔獣が運河建設現場に放たれれば、大きな損失となるところだった。

 そう皇帝に思わせることが出来れば、損をすることを嫌う皇帝はきちんとボラード伯爵を裁くに違いない。


 今やれることはやった。

 後は自分たちの仕事をしっかりとこなすことだけだ。

 ケヴィンとナタリーは、裁判が開かれるまで、一度アンカー辺境伯領へと引き返すことにした。


 二人は肩を並べ、皇宮の門を出る。

 そしてゲートが設置されているブルワーク大聖堂へと向かおうとしていた、その時。


「お待ちください!」


 後ろから、二人を引き止める声がした。

 ケヴィンとナタリーが振り返る。

 するとそこには、意外な人物が立っていた。


「まぁ……ボラード小伯爵?」

「ええ。ご無沙汰しています」


 余程走ってきたのか、はぁはぁと息が上がっている。

 フィリップは皇宮に出仕している。

 もしかすると、皇宮でナタリーたちを見かけて追ってきたのかもしれない。

 心なしか痩せただろうか。

 元々賑やかな方ではないが、常に自信に満ち余裕のある印象のフィリップが、今はその精彩さを欠いている。

 この1年のボラード伯爵家の激動を考えれば当然だが、逆に言えばその割にそこまで憔悴している風はない。


「急に呼び止めて申し訳ありません。今、お時間頂戴してもよろしいでしょうか」


 浮ついた噂とは裏腹に、フィリップはとても紳士的で物腰が柔らかいことで有名だ。

 そこが女性に人気がある所以ゆえんでもあるのだろう。

 だとしても、彼は既にミゲルから話を聞いているに違いない。

 それでもなお、ボラード伯爵家をある意味破滅させるだろうケヴィンとナタリーにまで、この態度とは。


「ええ、構いませんが……どのようなことで?」

「そうですね……。なんと言えばいいか……これまでのこと、全てについて、でしょうか」


 フィリップは珍しく言葉を詰まらせ、困ったように眉を下げた。


 一旦、フィリップとは別れそれぞれ馬車に乗り、ナタリーの自宅で話をすることにした。

 ただでさえ話題性のある組み合わせだというのに、これからの裁判のことを思えば、あまり人に見られていいことはない。

 ナタリーの自宅は皇都の中心街にある。皇宮からもそう遠くない。

 ナタリーとケヴィンは正面から入ると、少し時間をあけてフィリップを裏口から招き入れた。


 かつてサラとナタリーが対峙した時と同じように、彼女が座っていた客間のソファーにフィリップが座る。

 ナタリーは内心は緊張していた。

 今回の騒動が起きて、初めてフィリップとこうして顔を合わせるのだ。

 だが、緊張はしていても、不安ではなかった。


「まずは、お時間をいただきありがとうございます」


 フィリップが意を決したように、口を開いた。

 大丈夫。

 仮に怒鳴られようと、詰られようと、ナタリーには動じない自信がある。

 サラとここで対峙した時とは違う。

 ナタリーの隣には、ケヴィンが居るのだから。


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