朝倉の火種
先日より、本作のリメイク版をこちら(→ https://book1.adouzi.eu.org/n3972hm/)にて連載しております。
本作では読者様から多くの矛盾点をご指摘いただきました。そこで設定とともに変えることで大きく解消し、また展開についてもより重厚に、登場人物の個々に焦点を置いたものなっております。本作を修正するとなると内容的にも齟齬が生じてしまうため、別作品としてリメイク版を執筆することと致しました。大筋は変わりませんが、ご留意くださると幸いです。そしてお読みいただき、評価等頂ければ励みになります。よろしくお願い致します。
「冨樫め、六角に与し浅井を滅ぼすとは、何たる暴挙だ。ゆえに我はかねてから奴を病死に扮して暗殺せよと申しておったのだ」
越前国大野郡司・朝倉景高は憤っていた。理由は口から出している通り冨樫、六角が浅井を攻め滅ぼしたことだが、その根源は積み重なった過去の不満が暴発した結果である。口から出た非難は、これから自分が行うことについての正当性を付与するための飾り物にすぎなかった。決して朝倉の未来を慨嘆し、周囲に威圧的な接し方をしているわけではない。景高はそのような真摯な姿勢を持ち合わせていないのだから。六角や冨樫に対して、むしろ感謝の気持ちすら持っていた。
景高は領土拡大への固執や、家中における権力闘争に対する異様なまでの前傾姿勢、謀略を好み周囲に高圧的に振る舞う性格などから、兄・孝景と不和になりつつあった。表立って対立しているわけではない。景高自身は大野郡司として基本的には大野郡に身を置いており、どちらかといえば清廉な性格である孝景との接触を、波長の違いから好んでいなかったのだ。
「浅井を滅ぼした六角、冨樫に鉄槌を加えねばならん。兄上は冨樫と友好的な関係を続けていきたいと考えているようだが、上手くいくなどと思うでないぞ」
黒い微笑を携え、景高は恐ろしくも愚かで、巧緻で諸刃な計画を組み立ていった。
時は遡り、天文四年(1535年)。
朝倉次郎左衛門景高が兄に明確な敵対心を抱いたのは、自分になんの相談もなく、冨樫靖十郎の一向一揆を討ち滅ぼす計画に独断で加担した時だった。それまでも兄に対する不平は抱えていたものの、努めて腹の内に隠していたのだ。表向きは穏便な関係にも見えた両者の関係は、ちょっとした出来事で崩壊するようなものだった。
その上、一向一揆という越前でも猛威を振るっていた存在が挙って逃げ出しながら、孝景は他国への侵攻に弱腰な姿勢を貫いていた。
現状の周囲との関係性を精査した上での判断ではあったが、景高はそれが不満でならなかった。
結果的に景高は冨樫との共闘における独断を糾弾するかのように、勝手に兵を挙げた。
景高は大野郡から油坂峠を越えて美濃国郡上郡に出兵し、白山衆徒の助力を受けて長瀧寺に陣を取って篠脇城を攻める。しかし、郡上を領する東常慶は頑強に抵抗し、正攻法での攻略は予想以上に手間取った。
そこで景高は、東一族の遠藤六郎左衛門盛数を調略し、寝返らせる。その結果、東方に動揺が見られるかと思いきや……。
東は城攻めを敢行する朝倉方に余裕を示すかのように、戦闘が休止した夜間に和歌を振る舞ったのだ。東の歴代当主は多くが勅撰歌人として名を連ね、72首の歌が勅撰和歌集に入選するほどの名人であり、これには城を守る将兵に対して動揺の鎮静や鼓舞の意味以上のものはなかった。
だが景高はそれを曲解し、余裕があるかのように錯覚する。そして怒りで視野が狭くなったところで、遠藤の軍団がやってきたのだ。
朝倉の将兵の殆どは事前に通告されていたこともあり、これを援軍だと信じ込んだ。それは景高も同様で、何の疑いもなく背後を預けてしまったのである。
油断した朝倉軍はその遠藤軍から急襲を受ける。虚を突かれたことで朝倉軍は一気に瓦解していく。自身の失策に保身の精神が覚醒した結果、即時に撤退の命を下したことで朝倉軍の被害はある程度食い止められたものの、景高にとっては取るに足らない弱小勢力であったはずの東方に一本取られたことには変わらず、屈辱に震えることとなった。
遠藤は裏で東常慶と敵対していると見せかけて緊密に連携していたのである。景高は年内での郡上制圧を諦めざるをえなくなったが、敗戦から兵を退くのは恥だと感じ、長瀧寺に陣を敷いたまま冬を越そうとした。
いくら越前の豪雪に耐えてきた朝倉兵とはいえ、敵地での越冬は過酷を極めた。将兵は徐々に憔悴し、冬を越えたとしても戦闘を継続するのは難しかった。
それを見かねてか、兄の孝景は宗滴を派遣し、指揮官を代わるよう迫る。これも景高にとっては屈辱を突きつけられるものだった。
孝景政権を根本から支えている朝倉宗滴という存在は景高がある意味孝景より敵視する存在である。なぜなら孝景政権は宗滴が居なくなれば立ち行かなくなり、崩壊すると信じていたからだ。その解釈は完全に間違っているとは言えないのだろう。宗滴の力は絶大だった。
『夜に援軍が到着するなど、おかしいとは思わなんだのか? お主はそれに違和感を抱かぬほど、視野が狭まっていたのだ。そもそも背中を見せても良いのは、信用に足る者であることが明白である時だけだ』
『遠藤は東の一族であり調略で確実に寝返る保証はなかった。しかし一大勢力が寝返って視野が狭くなったのか、それを信じ込んで監視すら怠った。一軍の将として愚か極まりない』
あまつさえ宗滴は景高を愚かだと非難し、軽蔑の視線を送った。
兄から大野郡司の解任を言い渡された事が耳に入らないほど、景高は怒りに震えた。
しかし、宗滴は大言通りものの数ヶ月で郡上を制圧して見せた。敵が消耗していたこともあったが、宗滴の力量がいかに突出しているかを示すには十分な結果である。
この戦いにより、孝景と景高の溝は表面化する。景高は兄と宗滴に対する敵意が色褪せることはなく、内紛の火種となって家中に燻り続けることとなったのだ。




