腕力に興味がない存在は、豚のように殺される。かもしれない・・・
本エッセイは前提となる情報が錯綜しているので、意味不明な点が多々あると思います。申し訳ございません。
私にとっては自明の理なので、疑問にも思わなかったのですが、最近、特に若い人がパワー「腕力」を軽視している、いや軽蔑している様な雰囲気が感じられたので、一筆書いてみます。
( ̄▽ ̄)// オッサンの戯言として、軽く聞き流してちょうだい。
それで始まり始まり。
・最近の若いもん
事の始まりはYouTube。
いや、自分、YouTube中毒なもんでして、ほぼ毎日のように何かしらの動画を見ております。
お気に入りのチャンネルの一つに、岡田斗司夫チャンネルがあります。
このオッサンは、アニメーション会社「ガイナックス」の設立者だった人でして「トップをねらえ」「ふしぎの海のナディア」などの制作に尽力しました。
私ぐらいの年代のオタには神様みたいな人ですなぁ。
その岡田斗司夫の動画で、最近の若い人は競争を嫌い、出世などの社会的地位向上に興味が薄く、小さなコミュニティー内での融和に、モチベーションを発揮するとの趣旨が言われておりました。
この説が正しいかは別にして、取りあえず全肯定して思考しましたが、正直に言いますが、私は全く意味が分かりませんでした。
理由は簡単でして
(。´・ω・)?「そんなことしてなにになるの」
って感じだからです。
平たく言うと、「気の合う仲間だけで集まって仲良く過ごそうぜ。他の世界の事は知らん」だと思うのですが、それにのみモチベーションを発揮するという精神構造が理解できないのです。
小さなサークル内だけに目を向けるって、江戸時代の村落でもあるまいし、現代社会でそんな事が可能なのか大いに疑問です。
ネットというインフラが存在しているので、同好の士を探すことは以前に比べて楽にはなりましたが、これにだけ固執してやっていけるのでしょうか。
私は非常に懐疑的です。
いや、これが、多くの困難があるが、それらを乗り越えて達成すべき理想の未来ってなら理解可能なのですが、別にそれに対して何らかの努力をするわけでもなく、なんとなく自分たちと世間を隔絶させる精神構造に危機感を覚えます。
おそらく、この精神構造の人は、何ら、一切、これっぼっちも危機感を持っていないと思いますが、それがまた恐怖を誘います。
断崖絶壁を、足元も見ないで歩いている人を見た時の気分です。
(;´・ω・)落ちたら死ぬよ。
・友愛民
岡田氏の定義づけによると、明治から昭和初期の世代は「国民国家」
国の強力な指導により共同体が動くシステム。
戦後から平成初期ごろの世代が「市民国家」
主権在民。政府だけではなく国民一人一人が自立して共同体に参画して動かすシステム。
そして、物心がついたころからネット環境が発達していた世代が「友愛民」なる人々だそうです。
(。´・ω・)?「友愛民。なんだそれ。意味不明」
これはあくまでも思考実験の一つですから、定義に関しては大雑把でいいでしょう。ここに異議を唱えると話が前に進みません。
今回は目をつむって話を進めます。
この「友愛民」なる存在は、小さな部族を作って、コップの中の平和を謳歌する人々だそうです。
この人たちは本質的に、競争や争いや個性的であることを厭うらしいです。
何故なら競争や争いや個性というものは「市民国家」の構成素材だからだそうです。
これは、まぁなんとなくわかる。
私の世代は個性が大事と言われておりましたからね。
個性が無くて、悩む人がいたほどです。
私は、自意識が限界突破しているので、自身のパーソナリティーに一切悩んだことが無いので、悩む人の気持ちが全く理解できませんでしたけど、悩んでいる人は結構いた模様。
今の若い人は、ここに悩まないみたいですね。
( ̄▽ ̄)//結構なことだと思います。
個性なんて、あったらあったで、別の苦労が発生しますしね。
一例を出すと、ほぼ間違いなくマイノリティー化します。
若い人はこれを嫌うんじゃないかな。
若い人が、特に学生さんが一番気を使っていることは、自分が所属している部族のグループラインから、はぶられないようにすることらしと聞きました。
そりゃ、はぶられないようにするためには、攻撃的な発言は一切禁止でしょうね。競争も無ければ、争いもない。個性は少しは出るのかな?
仕事以外でラインを活用する気が一切ない私には、別世界の悩みですね。
本人たちにとっては死活問題なのでしょうが、オッサンから見ると、「変なことに悩んでいるのね」って感じです。
(。´・ω・)。ジェネレーション・ギャプですな。
・友愛民たちの指導者
各世代の指導者についても岡田斗司夫は述べています。
国民国家の指導者は「政府」
薩長土肥、公家、旧幕府の政治家や役人、軍人など。
市民国家の指導者は「オピニオンリーダー」
政治家とか文化人とか、一部のインテリ層。
友愛民国家の指導者は「センスのいい人々」
これは、美男美女のことだそうです。
上の二つは理解できますが、センスのいい人々が指導者の意味が分かりません。
私にはセンスのいい人たちの中に、指導力があるよう人物を見つけることができないからですね。
精々、人気者が限界でしょう。
(。´・ω・)?それともどこかに隠れているのかな。
友愛民は闘争を嫌うそうです。闘争を嫌う人たちに、どうやって指導力を発揮したらいいのでしょうか。そもそも、闘争を嫌う階層から、指導者なるものが生まれえるのかも疑問ですね。
矛盾した存在です。
人気者についていく思考回路・・・・
まぁ。これでもやっていけそうなシステムに、一つ心当たりがありますけど、まさかね。
21世紀の日本だよ。流石にないよね。
・友愛民のマインドの一例
岡田斗司夫が面白い話をしてくれました。
複数の「友愛民」に、誰かが日本に攻めてきた時に、君らは武器を取って戦うのかと尋ねたらしいのです。
( ̄▽ ̄)//意地の悪い質問ですねぇ。
そこがこのオッサンの面白い所ですよ。
ここまでの話で分かるように、答えは「NO」
戦わないそうです。
以前の私であれば、頭お花畑の「憲法9条マンセー民」と、分類するんですけど、この人たちは一味違います。
岡田斗司夫が更に意地悪な事に、自分や家族や友達が殺されそうになっても戦わないのかと問うと、彼らは凄く悩んだ末に、答えに窮するらしいのです。
(。´・ω・)?ほんまかいな。ほら話としか思えないんですけど。
そもそも、悩むとこあるか?
しかも、答えが出ないって、フリーズしたPCでもあるまいし、何かしらの答えがあるだろうよ。
逃げるとか、交渉するとか、実行可能かどうかは別にしても、何かあるでしょ。どうして何もないの?
それとも「戦うべきか否か」それが問題なのでしょうか。
こんなもん哲学、足りえないと思うのですけどね。
・友愛民への私の印象
戦いを好まないのは大変結構。競争が嫌いなのも別にいいでしょう。個性なんてわざわざ探すものでもないので問題なし。
でもね。これって日本の中だけのお話なのよ。
分かるかね。若者よ。
海の向こうには、力こそパワーの人たちが沢山住んでいる訳よ。
最近の若者はマスコミが嫌いらしいから、ニュースとか見ないのかもしれないけど、ウクライナの情勢を見て見なよ。
友愛なにそれおいしいの?
そんな世界が広がっているのよ。
ロシア軍を追い出すには、口先だけではどうにもならんのよ。
(゜Д゜)ノ必要なのは腕力。
具体的に言えば生身の歩兵戦力と、突撃用の機甲戦力、それを支援する長距離火力と航空戦力。
これらを構成するのは、その国の国民。つまり君等自身って分けなのよね。
死にたくなかったら、お前さん自身が、小銃片手に匍匐前進して、敵の戦車に向かって対戦車誘導弾を発射なきゃならんのよ。
結果として、殺して殺されるでしょうね。
これらの力を十全に発揮した後に、外交交渉がある訳ですよ。それだって生き馬の目を抜くがごとくの諜報戦が、裏で繰り広げられているんだからね。
相手を騙して脅して混乱させる能力が必須なのよ。
持ってるか? 大丈夫か。
君らが小さな部族でワチャワチャやってられるのは、日本が経済的強者だからなのよね。
貢献してる? 日本の経済に。
貢献しているのであれば結構。何の問題もございません。自由にお暮しください。
しかし、大して貢献していないと感じる人は、少しでも力を手に入れた方がいいでしょう。
現実世界はなろう小説と違って、力は簡単に手に入りません。
争って勝ち取るものです。もしくは争いの中で錬成されるものです。
力のない存在は、養豚場の豚の様にト殺されちゃうのよ。
まぁ、養豚場の豚に憧れているのなら別にいいけど。
繰り返しますが、豚の様に殺されたくなければ、腕力を付けることをお勧めいたします。
競って、争って、勝ち取れって事ですな。
個性はどうでもいい。
小さな部族の中の平和なんて、巨大な力の前には鼻紙ぐらいの価値しかないと思います。
あまり、力を舐めてはいけませんよ。
君らを問答無用で蹂躙するのが力です。腕力です。
その力を止めるには、同じベクトルの力が必要なのよ。数学の時間に習ったでしょ。
サスティナビリティな社会の実現のためには、生存が大前提であることを知れ。
生存って言ってしまうと、相手が持っている資産を奪う事によって、確率が上がるクソゲー的なところがある。
奪うのに最も手っ取り早い方法が、腕力なのです。
腕力を決して軽んじてはいけません。
・まとめ
さて、今回はいつも以上に、とっ散らかったエッセイになりました。
本文の意味が分からなかった方も多いいと思います。
申し訳ございません。
私も良く分かっていないものでして。お許しを。
何故にこのような支離滅裂なエッセイを書いたかと言いますと、あるエッセイの意味がよく分からなかったからであります。
恐らく若い方が書かれたエッセイなのですが、とにかく上の世代への嫌悪感が凄い。
まぁ、これは誰もが一度は通る道ですので、いいんですけど。
何と申しますか、ネットというインフラが、若い人だけの世界であると思いたいような気がしてならない感じでして、そこに、我々のようなオッサン共が参入してくることへの、嫌悪感を読み取ってしまったのでございます。
具体的に言いますと、なろうに代表されるライトノベルの世界に、中高年は必要ないみたいな趣旨の発言をしていまして、価値観が理解不能だったのです。
いや、ラノベの作者は大抵オッサンよ。私がラノベを読んでいた頃からそうだったもん。
田中芳樹とか田中芳樹とか、あと田中芳樹とか。
中高年が存在しないと成り立たない世界よ。
何が気に入らないのかが不明だったのですが、岡田斗司夫の動画を見て、自分たちの部族の所有と思い込んでいた世界が、実は自分たちだけのモノではなかったことに対する憤りではないかと、推察した訳でございます。
ネットが若い人だけの世界って、いつの時代の話しだよ。
んな訳ないじゃん。
少佐も言ってるでしょ「ネットは広大よ」って。
その中には、少年少女も、おじさんもおばさんも、爺さんも婆さんもいるって。
狭い世界でバチャバチャやってんじゃねぇ。
ネットを捨てよ。街へ出よ。
終わり
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
若干過激な内容でしたので、日和って短編では出しませんでした。
前提条件が複雑ですので、岡田斗司夫チャンネルで教育に関する動画をご覧いただけると、本エッセイの趣旨が少しわかっていただけるのではないかと愚行致します。




