第807話 15歳(秋)…ドリーム★キャッチャーズ(16/17)
部屋を飛び出したサリスは台所へ急ぐ。
御主人様が『あの子』になっているならば、そしてあの子に『続き』があるならば、お世話したのはシアだけではない。
彼がこんなことになった原因の一端は自分にある、だからどうにかして力になりたい。例えこれからの行動が思いつきであり、儚い希望であっても、何かのきっかけになる可能性があるならば実行に移すべき、そうサリスは考えた。
台所に到着したサリスは、さっそく材料を確認してパンケーキを作りを始める。
「サリス、パンケーキ、どうして? それどころじゃない」
「何がどうしてパンケーキなのだ?」
「いったい上で何があったのです?」
詳しい説明もせず「これからパンケーキを作ります!」と宣言して調理を始めたサリスに、ジェミナ、ヴィルジオ、シャフリーンの三名は困惑し、上で何か問題が起き、またウサギ王国の女王になっていたようにおかしくなっているのではないかと心配した。
見張っていた液晶テレビの画面は蜘蛛の巣のようにビキビキとひび割れ、もう次の瞬間には向こう側からガチムチ大パレードが雪崩れ込んできてもおかしくない。そんな緊張状態のところへ急いだ様子でサリスが飛び込んで来て、パンケーキを作り始めたのだからそう考えるのも無理はなかった。
「詳しい説明はあとです! 今は集中したいのでお静かにお願いします!」
所詮はパンケーキ、普段であれば説明しながら事情を話したのだろうが、今のサリスは渾身のパンケーキを作り上げようと集中するためにそれすら惜しんだ。
『……』
剣幕――、そう言っても過言ではないサリスの鬼気迫る様子に三名は黙り込む。だが同時に、どうやらサリスがおかしくなっているわけではなく、何か意味があってパンケーキを作ろうとしているのだと理解した。
こうして三名は大人しくサリスの調理を見守ることになったが、その間にも液晶テレビの荒ぶり様はさらに激しさを増し、液晶画面の一部がボロボロと崩れ落ちるまでになっている。
「これはまずいですね……、この家から出られない以上、戦うより道はないのですが……」
「戦力うんぬんよりも、あの集団がこの家に押し込まれるとなるとどうすればいいのか。まあ戦うしかないが……」
「ジェミ、頑張る」
状況は絶望的、もう逃げ込む先もない。
こうなると、あとほかに出来ることは徹底抗戦、ひたすら戦うしかないと三人は覚悟を決めつつある。
そして――
「できました!」
サリスが小振りのパンケーキ二枚を焼き上げた。
が――、ドゴンッと。
液晶テレビが大きな音を響かせ、崩壊しかけていた画面がいっぺんに吹き飛んだ。
吐き出されるガチムチ、ガチムチ、ガチムチ、リビングがみるみる筋肉野郎どもに埋められていく様子は、まるで窓から土砂が雪崩れ込んでくるようであった。
「サリス! ここはもう駄目だ! 上へ行くぞ!」
「ま、待ってください! まだお皿にも乗せて――」
「もうそのまま持って行ってください! 留まるのは無理です!」
「ジェミ、もうつらい……!」
台所へガチムチが侵入してこないようジェミナは念力を使い頑張っているようだったが、さすがに雪崩や土石流を押し留めるのは無理なのだ。
シャフリーンがフライパンを手にしたサリスを引っぱり、ヴィルジオは濁流のごときガチムチから皆を守るジェミナを抱えて台所から廊下へ逃れると、そのまま二階――子供部屋へと駆け込んだ。
「決壊した! もうここは――、ってなんだその怪物は!?」
部屋に飛びこんだヴィルジオは状況を説明しようとしたが、筋肉のバケモノを見てそれどころではなくなる。
「ヴィルジオさん、落ち着いてください。もう説明している時間はありませんが、御主人様です」
「なんだとぉ!?」
これにはヴィルジオだけでなく、ジェミナとシャフリーンも目を丸くする。
「主、どうした?」
「御主人様……、なのですか?」
「理由は不明ですがそのようです。――シアさん、パンケーキはできましたが……、もう下は駄目です」
「この部屋が最後の砦になりましたか……」
下の階層からは騒がしい物音と振動が伝わってくるが、もうあと少しでそれはこの部屋にも到達することだろう。
「サリスさん、パンケーキは……、間に合ったようですね。ではそれをご主人さまに。――ヴィルジオさん、わたしと一緒にドアを押さえてください!」
「うむ、わかった!」
時間稼ぎにしかならないとわかっていても、シアはヴィルジオと二人でドアを押さえてガチムチの侵入を阻もうとする。
もう時間は残されていない。
サリスはフライパンを持ったまま、筋肉のバケモノ――彼の前に片膝をついてしゃがみ込んだ。
「とっておきのパンケーキです。焼きたてですよ」
サリスは優しく、いつもそうだったように語りかける。
だが……、やはりか、彼は黙々と反復運動を――
「……?」
ふと、彼が動きを止める。
そして今度はこれまでとは異なった動き――、もぞりと身を乗り出すようにして、ぴくぴくと震える。
どこか小動物が匂いを嗅ごうとするようなその動き。
香りは記憶に強く結びつくもの。夢の世界で香りが正確に伝わっているかどうかは怪しいところだが、パンケーキというものに対する記憶が呼び起こされることで、彼の注意はようやく外に向けられた。
さらにもぞりと彼が動く。
肉の塊の下から、やはり肉の塊のような腕が伸ばされ、サリスが差し出すフライパンを受け取った。
腕はそのまま肉の塊の下へと引っ込み、そして――
「――ッ!」
ビクリッ、と彼が震えた。
すぐにその震えは大きくなり、同時にこれまでとは違ったうめき声を上げ始める。
「おおぉ……、おおおぅ……!」
驚きか、歓喜か、それを判断することは難しい。
と、その時だ。
彼が淡く光り始め、その光は次第に大きくなる。
「眩しっ!」
「な、何だー!?」
「今度は何だニャ!?」
あたふたするのはミーネやティアウル、リビラばかりではない。
誰もが戸惑うなか、光はさらに強さを増し、やがて部屋を真っ白く塗りつぶしてしまう。すべてを白く、白く、光はさらにさらに広がり、何もかもを呑み込んで消し去ってしまう。
やがて――。
光が収まったとき、サリスたちは真っ白な世界にいた。
そしてその世界には、サリスたちだけでなく、もう一人、ウサギのお面を被った幼い少年がいた。
「ありがとう」
少年は呆気にとられているサリスたちにお礼を言う。
すると、また異変。
今度は真っ白な世界が霞み始めた。
何もかもがぼやけ、曖昧になり、それは眠りに落ちる直前に意識が溶けていく感覚に似ていた。
朦朧とするなかで少年の声が聞こえる。
「もう大丈夫だから、目を覚ますのを待っていて」
そして、サリスたちは目を覚ました。
△◆▽
ハッ――、とサリスは目を覚まし、咄嗟に体を起こした。
周囲を見回し、そして自分が夢から醒めて現実に戻ってきたことを理解する。
「おお、戻ったようじゃな」
すぐに話しかけてきたのは、夢操作一号の中央でまだ眠り続けている彼に寄り添っていたシャロだ。
そのすぐ側にはロアがおり、この装置の周囲には精霊獣たちが集まってぐるっと取り囲んでいる。
「どうなりました? しばらく前にリアナから向こうに干渉できなくなったと聞きまして、心配していたのですが」
「あ、えっと……、何とかなった、と思います」
「そうですか、それなら、よかった……」
ほっとしたようにロアは胸をなでおろす。
「ふむ、皆も目覚めたようじゃし、ひとまず婿殿の悪夢は終わったということでいいのかのう?」
「どうでしょう……。ただ、もう大丈夫とは言われました。目を覚ますのを待っていて、と」
「ほう、そうか。ならば皆を呼んでくるとするかのう。もうしばらくで朝になる、ちょうど良かろう」
「……え? 朝? あれ?」
「現実では丸一晩、半日たっておるぞ」
「えぇ……」
時間経過のズレにサリスは少し驚くが、それでもせいぜい倍程度の話だ。事前にシアから何日も眠り続けることになるかもしれないと聞いていたこともあり、その程度ですみ、イールの世話にならずにすんだことに安堵する。
やがて、意識がはっきりしてきた皆も混じって話をするようになり、夢の中であった出来事を振り返り始めた。
もう大丈夫、そんな確信が皆にもあるのだろう、最初こそ穏やかであったお喋りは、次第に騒がしく、そして喧しくなっていく。
そんな中で、ふとティアウルが尋ねた。
「なあなあサリス、どうしてあのあんちゃんにパンケーキあげたらなんとかなるってわかったんだ?」
「どうしてと言われましても……」
それはほとんど勘のようなもの。
彼の意識とは別のところで、あの少年が居るのではないかという思いつき。
あの少年を正気に戻すためにはどうしたらと考え、とっさに思いついたのがパンケーキだったというだけのこと。
しかしこれを説明するとなると、まずあの少年に会った時のことから話をしなければならない。
そしてそれはサリスにとっては宝物のような想い出であるため、語ってしまうことにはちょっと抵抗があったが、自分の行動が今回の騒動の一端を担い、皆に心配をさせた負い目があるため話さないというわけにはいかなかった。
「えっとですね、まずは三年ほど前のことになるのですが――」
あまり根掘り葉掘り尋ねられませんように、と祈りつつサリスは説明を始めた。




