嘆き
「ここは……」
今日何度目かになる転移。
現れた場所は、私にとってはお馴染みの場所。メサイア林の湧水の畔だった。
さっきまでの禍々しかった空気が反転、神々しいほど清廉なものに変わる。
安心感に体の力が抜けて、どさりと地べたにへたり込んだ。
ずっと張りつめていた緊張の糸が、ぷつりと切れてしまった。
腰を下ろすだけのつもりだったのに、体を支え切れず、そのまま倒れ込む。
自分で考えていた以上に心身とも消耗してたみたいだ。
どうせ人は誰もいないし、もうこのままでもいいか。固く冷たい地面に、体を仰向けに預けた。
せっかく助けに来てくれたみんなから――アンセルたちの目から離れて、逆にほっとしている自分がいる。
本心では、もう少し心の整理がつくまで、向き合うのを待ってほしかった。
もうしばらくは、立ち上がれる気がしない。
ああ――でも、先に片付けないといけない話があるか……。
残り少ない気力を振り絞って、私をここへ連れ出したものに呼びかけた。
「カッサンドラ?」
誰であるのかなんて、疑問の余地もない。
『君が無事でよかった。助けられなくて、すまなかった』
音にならない声が、直接頭の中に響いてくる。
まだ一年たってないのに、随分懐かしい気がする。
『ユーカに力を貸して、ガラテアの守護石を送り込むので精一杯だった』
謝るカッサンドラに、かすかに首を振る。
「気にしないで。別次元からあの樹林への干渉なんて無理だろうし、私の護衛まではあんたの仕事じゃないでしょ」
嫌味ではなく答える。
前に聞いた話では、確かカッサンドラはずっと聖域に引き籠って、300年に一度の災厄に備えて、色々と準備や継続的な支援を裏からしているってことだった。
詳細までは知らないけど、主に人間が戦うための環境を整える方面で。
情報の伝達や操作・遮断、本来預言者が持っている魔力の集積・管理とか、私の魂を癒すための異世界転生の差配まで、その内容は人知の及ばない部分で多岐に渡ってるらしい。
私の安全管理なんて、人間側でやることまで頼るつもりもない。
ユーカが駆け付けて来た時、魔術が使えるようになったと言ってた。
トロイの死で妨害が消えて、カッサンドラもやっと直接手が出せるようになったんだろう。その前に、ガラテアの守護石を送りこんでもらえただけでも、命拾いしたと感謝するとこだ。
それよりも、こんなに急に転移で呼び出されたりしたから、置いてきたみんなが気になる。また心配させちゃってるんじゃないだろうか。
『大丈夫だよ。トリスタンが皆を抑えて、事後処理に当たらせているところだ。彼は隠れ預言者だから、君の現在の安全を本能的に理解している』
頭の中での懸念に、すぐに答えが返った。
『本来この300年間の全預言者の魔力は、すべて君の守護石に蓄積させてもらっている。彼だけ例外にしたのは、高すぎる戦闘の素質を見込んでのこと』
前々から予想はしてたけど、改めて説明されて、ああやっぱりねと妙に納得する。
まあ私の無事さえ確信してるなら、トリスタンはそうこだわらないだろう。基本的に超放任だから。
「で、どうしてここに連れてきたの?」
気がかりが解消したところで、本題に入る。
『禊をするためだよ。内も外も、君は瘴気に曝され過ぎた。今すぐ湧水に浸かるといい。私も穢れを払う手伝いをしよう』
「――禊……」
その言葉に反射的に、抑えがたい忌避感が湧きあがった。
『次の戦いへの準備は、すでに始まっている。本来大預言者の君と、魔物の瘴気は相容れない。君の状態を最善に保つためには、必要なことだ』
私の内心の拒絶感をよそに、カッサンドラは淡々と告げた。
次の戦い――思わず気が遠くなる。
そうだった。まだグレイスが残っているし、異世界のゲート問題も何も解決してない。むしろこれからが本番。
最終決戦に備えるのは重要なことだろう――理解はするけど、でも、今は無理だ。
やっと長い一日が……それもきつい結末で終わったばかりなのに……。
それでもカッサンドラの説明は続く。
『今回の度重なる召喚で、ゲートが開き切る時期が確定した』
聞き捨てならない報告にも、心が動かない。なんとなく、分かっていたから。
『おそらくは、次の春。王都で、300年ぶりの魔物の一斉侵攻が始まる。阻止は、大預言者の君にかかっている』
「禊はしない」
簡潔に拒絶した。どう説得されても、揺らがない。論理的じゃないのは痛感していても。
『君の精神、肉体の両面に、不具合が生じるかもしれないが?』
「かまわない」
ただ『穢れ』の一言で、今日の全てが――トロイの想いまで、大事なものがあまりにあっさり洗い流されてしまいそうで、どうしても受け入れられなかった。
きっと、苦しいくらいがちょうどいい。
私の中に少しでもトロイの存在が残っているなら、せめて大預言者としての使命が完結するまでは消さない。
トロイが残したものを、ちゃんと抱えたままで戦いたいから。
「今度こそ全部背負っていく。少なくとも、その一斉侵攻の阻止が終わるまでは」
『――分かった。では、禊はその時には必ず。長期的に見て、その状態が君の心身に負担であることは事実なのだから』
簡単に認められ、逆に拍子抜けする。
「こんな、感情だけのバカげた自己満足を、止めないの……?」
『君の決断は、全ての因果を凌駕する。それが大預言者というもの。馬鹿げているかどうか、その選択の意味も、いずれ分かるのだろう』
短い平穏の一時を、大切に過ごすといい。
そのいずれが来た時、願わくば後悔することのないように――そんな祈りにも似た言葉を残し、カッサンドラは別れを告げた。
次に会うのは、きっと次の春――最終決戦の時。
そして今度こそ本当の一人きりになる。
途端に広がる、圧倒的な静寂。
「――やっと、終わった……」
疲れた。――本当に疲れた。
こんなの何十年ぶりだろう。もしかしたら、長い人生で初めてかも知れない。
心が今にも折れそうだ。
苦しさが、尽きない波のように繰り返し押し寄せる。何も考えたくないのに、考えずにはいられない。
耳に残るトロイの最期の言葉が、心に突き刺さったまま抜けない。
あんたと出会わなければよかったと。
トロイの言葉が全てだ。
たった六歳の追い詰められた子供に、ほんの一瞬の救いを見せた後、絶望へと突き落とした。
いっそ出会わなければよかった。――同感だ。
私がそうだったように、同郷の転生者なんていないものと、割り切ったままで成長していれば。
ザカライアとの出会いなんてなければ、やがては一人で立ち直って、この世界に馴染んでいくことだってできていたかもしれなかった。
今を生きるということを教えてやれなかった。私自身が、そうではなかったから。必死で過去を諦めて、かといって未来を見てもいなかった。
トロイの前世の死亡時は小学生。記憶が覚醒した時点でも、意識はまだほんの子供。
最初のうちは、元の親や世界が恋しかったことだろう。それでもやがて成長して、心身ともに大人になっていけば、この世界を受け入れることはできたはずだったんじゃないだろうか?
むしろ子供だったからこそ自然に。
一番混乱していた辛い時期に、私と出会ってさえいなければ。
その出会いと別れが、トロイの人生の分岐点を、間違った方向に進ませてしまった。味わわなくていいはずの絶望が、たった七歳での召喚の儀式を実行に移させてしまったのだから。
そしてグレイスの元となった魔物と出会い、二度と引き返せない道を走り出させてしまった。
トロイの人生を、修正不能なまでに狂わせた。
初めて、心の底から疑問に思う。
どうして、ザカライアの人生はあったのだろう。
ガラテア、デメトリア、そしてグラディスと比べても、明らかに異質な存在。
大預言者としての本来の義務を何もなさず、むしろ余計なことだけして消えた、無意味な存在だったのかとさえ思えてくる。
私は、どうすればよかったんだろう。
答えの出ない不毛な問いを、ひたすら頭の中で繰り返す。
トロイが嘲笑した通り、どんなに軽蔑されても、未来を予知して穏便な解決方法を探ればよかった?
逆撫でないように、心にもない聞こえのいい言葉だけ並べ立てて、救助が来るまでの時間を稼ぐことはきっとできた。
あの場での説得さえ諦めていれば、激情のままの不完全な召喚自体防げてた。少なくとも死なせずにすんだはずだ。
予言で人の心をコントロールしたくないなんて、きれいごとにこだわってさえいなければ――。
でもそれは、自分の本当の人生じゃなくなる。他人に糸を引かれた決断。洗脳と何が違うのか。
それこそ、自分の人生を生きろなんて、どの口で言ってるんだって話だ。
人にそれを望むなら、自分がまず貫かないといけないのに。
どこまでも、堂々巡りな中、ふと思い出す。
そういえば、夏頃にこんな自分の姿を予言してたっけ。
――ああ、これは、確かにキツイわ……。
重い思考の海に沈みながら、その意識もいつの間にか闇に落ちていった。




