ジェローム・アヴァロン(教え子・教師の父)・2
「兄上、右に1度修正してください」
「分かった」
容赦なく猛威を振るうトリスタンと、完璧な補佐をするジュリアス。
進む先から立て続けの爆音が響き渡り、その脅威のためか、樹林へ侵入してから一度たりとも魔物が近付いてこない。
「す、すごいですね、異世界クオリティ……。パンくずの目印どころの話じゃないです」
見通しの良すぎる背後。素晴らしい青空だな。振り返ったユーカ嬢が唖然と呟き、マクシミリアンが訊き返す。
「パンくず?」
「ああ、故郷の童話にそんなのがあるんです」
この大破壊を前に何が童話か。全く暢気な子供らめ! あとこれはこの世界でも普通ではないぞ、お嬢さん。
キアラン王子も特に言うことはないとばかりに、暴走兄弟に付いていく。周囲を注意深く警戒しながら。王家は結果主義なところがあるが、すでにその片鱗がうかがい知れる。
ルーファスなど率先して、トリスタンを手伝っている始末とは。騎士の務めとはいえ、我が子ながらなんと情のない! 妹にも可愛がられてきたくせに、合わせる顔がないぞ。
自領の自然を目の前で荒らされるアンセルは思うところもあるだろうが、自分の息子が元凶である手前、異を唱えられる立場ではない。グラディス嬢救出のために、ただ無言で付き従うだけだ。気の毒でかける言葉もない。
こうなったら一刻も早く、駆け付けたいところだが、こんな騒がしくしていたら、トロイに察知されるのではないのか?
そこをアンセルに訊いたところ、この樹林は音や気配、匂いといった五感も大幅に狂わされるとの返答だった。普段から魔物の接近になかなか気付けないのだが、今回はそれが有利に働くと。
「ところでお嬢ちゃんの感覚を信じるなら、グラディスとトロイがこの樹林のどこかにいるわけだよな?」
ただ付いていくだけのクエンティンが、誰にともなく言う。
「またグレイスの妨害とか、入ってくるんじゃねえ?」
もっともな懸念を口にした。
「確かに。その場合、またトリスタンに専念してもらうことになるか」
不甲斐ないが現実的に考えて、それ以外に手の打ちようがない。トリスタンと対等な怪物などさすがに手に負えん。
「その件だが、一つ思いついた可能性がある」
口を挟んできたのは、キアラン王子だ。彼は闘技場にいたから、ネル湖での戦闘は見ていないはずだが?
「俺は夏にグレイスを見ている。そして今日、本性を現したトロイの裏の姿を見た。その上で断言するが、両者の気配が全く同一のものだった」
「どういうこった?」
「理由までは分からないが……目を瞑ったら区別がつかないほどに、二人の放つ瘴気は酷似していた」
クエンティンの問いに、王子が険しい表情で考察していく。
「トロイが闘技場でグラディスを人質に取っていた時、疑問に思った。何故、奴も時間稼ぎをしているのか。ラングレー公が駆け付ける直前にやっと脱出したのは、おそらくはグレイスの撤退を待っていたのではないかと思う。トロイの言動と、ネル湖での経過を聞いた上での推測だが、彼らは何らかの術で、意識と力をある程度共有しているのではないだろうか?」
突拍子もない仮定に、誰もが怪訝な表情を浮かべる。ジュリアスもこちらを振り返っている。
「なんでそんな発想に着地したのか分かんねえな」
クエンティンが全員の感想を代弁する。当然の疑問に、王子は説明を続ける。
「つまりトロイは逃げなかったのではなく、逃げられなかったのではないか、と。その時は、グレイスがラングレー公との戦闘で力の大半を使っていたせいで」
「で、戦闘が終わった瞬間、やっと転移可能になって慌てて逃げ出したってわけか? おっかねえトリスタンが来ねえうちに」
「トロイがあの場で粘る必要性が、他に思い当たらない」
「その予想が事実なら、トロイもグレイス並みってことかよ」
「そこまでは分からないが、少なくともトロイ、グレイスの二人を、同時に相手取る可能性は低いと思う」
何とも頼りない根拠での推論だが、王家の洞察力は時に預言者じみている。頭からの否定はできんな。
アンセルが、隣で苦悩に沈んでいる。早まったことをせぬようしっかり見ていなければ。
「そんなのは実際会ってみりゃ分かるだろ。着いたぞ」
トリスタンの言葉に、視線を前に戻せば、確かに古ぼけた建物が、木の幹の隙間に垣間見えた。
後ろを振り返れば、一直線に続く道と空。本当に1度の狂いもなく到達してしまった。全く恐ろしい兄弟だ。
「待て、慎重にっ」
私が口を出す間もなく、トリスタンが無造作に扉を押し開けて入っていった。
「誰もいないぞ」
「ですが、先ほどまでいた形跡はあります」
続くジュリアスが室内を見回す。
確かに室内は全体的に埃が舞い、何かの道具や儀式の真新しい痕跡がある。床には複数の足跡が残っていた。
見たところ、男女二人分だろうか?
「こちらはグラディスのものですね」
ジュリアスが当然のように断定する。何故足跡でそこまで確信が持てるのだ?
「そうだな。同じサイズだし、今日のグラディスの靴は、踵が低く爪先がかなり丸かった」
キアラン王子が迷わず同意する。
瞬間記憶の天才と観察力の王家……理解不能だが便利だな。
王子は室内を見回し、何かに気付いたように部屋の隅へと歩いて行った。そこに落ちていた物を拾い上げる。
「あ、グラディスのネックレス! やっぱりここにいたんですね!」
ユーカ嬢が叫んだ。
なるほど、確かに先程のガラテア様の守護石とまるで色違いのお揃い。勘違いしたのも無理はない。
「しかし、また移動したようです。これ以上は手掛かりが……」
ルーファスが沈痛な面持ちで漏らす。
そうだ。転移されていたら、これ以上追いようがない。
「いや、普通に扉から出ていったようだ」
王子が床を食い入るように検分している。特に扉付近は我々の足跡も入り乱れているのに、見分けがつくものなのか?
「扉の横に、立ち止まったトロイの足跡。グラディスの歩幅から、走ってこのドアを飛び出したようだ。そして、その上にトロイの足跡が重なっている。歩いて出て行った? 逃げたのを追いかけるにしては、捕まえる意思が感じられない」
「ちょっと待て。状況が分からねえ」
「――トロイの意向で、森に追い立てられた、としか……」
クエンティンに答える王子の声は、ひどく苦し気に聞こえた。
「俺のかけた暗示が効いているなら、トロイはグラディスに直接攻撃ができない」
「おい、ここ魔物だらけだぞ!?」
マクシミリアンが、声を荒げる。
「早く探しに行かねえと! お前、サバイバルの時みたいに足跡追えるだろ!?」
「いや――この森は知覚が狂わされて、微妙な違いが識別できない」
「じゃあ、どうすんだよ!!」
「待て待て、落ち着けガキども」
止めに入ったクエンティンが、ジュリアスに向き直った。
「グラディスなら、どのルートで逃げるか予想着くか?」
「本来は、私たちの侵入ルートで鉢合わせる可能性が一番高いはずなんですが……地図の魔物分布図を見た限り、少なくとも北は有り得ないでしょうが……」
ジュリアスが腑に落ちない様子で、曖昧ながらも北だけはきっぱり否定する。
魔物分布図? 見たところ、各種族のナワバリが、全方位に万遍なく散っている。難易度も大差ないようだが。
「いや、その分布図は不正確だ。何らかの理由で集団移動が起こっている」
この面子の中で唯一ジュリアスとまともな議論を交わせる王子が、ここで否定した。
「ここに来るまでの樹木の葉が、ごっそりなくなっていた。アレは成体も幼生も群で活動する」
「まさか?」
ジュリアスが目を瞑る。脳内の映像を見直しているようだ。
「確認しました。ここで葉を食べる食性の魔物はアレだけです。グラディスが南側に逃走しなかった理由が分かりました。――とするなら」
「北しかない」
「そうですね」
王子の結論に、ジュリアスが頷いた。
さっきの会話で一体何が判明したのか? 何が何だかさっぱり分からん。
「よし、北に行くぞ」
トリスタンが、先頭を切って飛び出した。自信満々だが、お前も絶対理解してないだろうがっ。
と思いきや、突然足を止めて振り返る。視線を追うと、王子の手の中の宝石が、紫色の光を放っていた。グラディス嬢のネックレスだ。
「何が起こってる?」
「――ガラテア様の守護石が、呼んでいる……?」
トリスタンの問いに答えた王子は、そのまま迷いのない足取りで走り出した。




